藤原悪魔 (藤原 新也 文春文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%82%AA%E9%AD%94-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%97%A4%E5%8E%9F-%E6%96%B0%E4%B9%9F/dp/4167591022
98年に刊行された単行本の方を江東区大島の古本屋から105円で購入した。これほど入念な観察(exマユゲ犬の伝説)と沈痛な思索(exバモイドオキ神の降臨)と末世への洞察(ex藤原悪魔)に満ちたエッセイの数々への値いとしては、申し訳ない気がする。しかし、文庫サイズでは掲載写真のインパクトが減ずるはず(exある野良猫の短い生涯について)。できれば、古本屋で探してほしい。
たぶん、何年も経てから読み返しても、その度に藤原新也の視線の揺るぎなさを再発見できるだろう。少なくとも、90年代の日本人の足下を隠していた霧のような時代の「空気」を思い出すきっかけになるはず。女性誌「CREA」の連載をまとめたものだが、「犬死にだ」(なぜ、カンボジア)と断じて、私たちの眼球を突き通す針のような一編もあり、読み手によって、大きく高く低く密やかに響く言葉がある。
が、私は藤原新也はどうも苦手だった。たとえば、裏表紙に引用された、「ある野良猫の短い生涯について」からの一文。
私が病気の猫を飼い続けたのは
他人が思うように
自分に慈悲心があるからではなく、
その猫の存在によって自分の中に
眠っている慈悲の気持ちが
引き出されたからである。
つまり逆に考えればその猫は
自らが病むという犠牲を払って、
他者に慈悲の心を
与えてくれたということだ。
インドを表現者としての起点とした藤原新也らしい感慨だが、
その猫の存在によって/自分の中に
つまり逆に考えれば/その猫は
かつて読んだ『東京漂流』などには、/を取り払って続ける、自意識の過剰から来るくどさがあるように思えた。このわずか10行足らずのなかにも、自他を表す言葉が、6回も出てくる。「自分」と「自ら」は藤原新也と猫を指すが、その視線は往還している。「他人」と「他者」も、藤原新也という個人と人類の一人という集合に止まり、絶対的に理解不能な「他者」は不在に思える。
今回、それが気にならなかったのは、阪神大震災やオウム事件、酒鬼薔薇事件、カンボジアPKO、湾岸戦争など、十年一昔の事件や事故を「同時代人」として振り返ってみた、こちらの変化のせいかもしれない。
ちょうど、走行中の電車の吊革につかまり、左右の車窓ではなく前後の車内を見通しているとする。竹で作った蛇の玩具のように、連結車両を節にして電車は揺れ曲がりながら進んでいる。近く遠くに、自分と同じように吊革をつかみ、あるいは席に座る乗客たちの姿がに見える。離れた車両の人の顔や身体つきは判然とせず、電車がカーブに入れば、車両は折れ人は隠れ、折れが戻ればまた姿を見せる。その車内の様子は、変わり映えしない。
この本を読んでいると、「現在」と「過去」がそんな風に見える気がする。進行方向は関係ない。前も後ろもない。ただ、つながっている。そのひとつの車両に自分がいる。そこをとりあえず、「現在」と名づけている。そうした時間の車列を仮想してみると、事件や事故が起きた「現在」、その解釈や影響について騒がれた1か月後の「現在」、あるいは十年後の「現在」をフラットに見通すことができる。
藤原新也は、事件や事故が起きた「現在」をその十年後の視線で書いたように思えた。「現在」を十年前の視線で論ずる人はたくさんいるが、「現在」を十年後の視線で見通す人なら、自分をも見通しているのだから、自意識からはとっくに放たれている。やはり、絵を描き、写真を撮る習慣から身につけたものかもしれない。平面に切り取られた一瞬だからこそ、そこに時間を見ようとするように。
そういうわけで、というか、たぶん、私コタツだけの、そういうわけで、藤原新也への苦手意識を払拭した一冊であった。めでたし。
目次
マユゲ犬の伝説
時間長者
天空の音楽
哀愁のプレックファースト
イギリスの普通の窓からの眺め
アイルランド・シチュー
神話
エンパイヤステートビル八十六階の老女
島の歌
山手線一周手相マラソン
サイババの足
郵便配達夫は二度微笑む
なぜ、カンボジアか
あの世通信
南海
滑走路
藤原悪魔
猫の島探訪 其ノ一
猫の島探訪 其ノ二
あるカメラマンの死
自殺未遂の秋
人猥丸航海日誌
魚に歓び骨に迷う
青年と斧
オランウータン参上
富士日記
安楽死温泉
そしてマーヤだけが残った
見えない戦争
手紙
竹の花
0-157
人生の午睡
池田満寿夫の死
猿岩石の憂愁
恋愛小説の条件
外房猫番付
老人と海
国際オヤジ狩り元年
この世のマント
バモイドオキ神の降臨
ある野良猫の短い生涯について
あとがき
ちなみに、私のベストは、「池田満寿夫の死」ですね。
(敬称略)