CATVかスカパーを契約していたら、今月は、「ハッスル&フロウ(hustle & flow)」が必見。
南部の都会メンフィスでヒモ稼業(pimp)のDJay。街角に停めたボロ車で客を待つ。助手席には、痩せっぽちの白人少女ノラ。男一人が乗った車が横に付く。「前は40ドル、後ろなら60ドル」と運転席の男に声をかけるDJay。商談がまとまれば、ノラが乗り移る。前の席と後ろの席では、ノラが使う身体の部位が違う。
DJayは3人の女たちを抱えているが、稼ぎ頭はストリップクラブのダンサーになり自前で商売をはじめ、グラマーとはほど遠いノラは売れ残ることが多く、もう一人は臨月間近で働けない。本業の売春仲介業は低迷している上に、副業のマリファナ密売も支払いが滞り、供給が止められそうになっている。
行き詰まったDJayがふと入手したカシオキーボードから、若い頃に鳴らしたラッパーの夢が甦り、仲間たちと困難を乗り越えラップ歌手としてデビューするまでの物語といえば、アメリカ映画おなじみのサクセスストーリー。だが、ヒモと売春婦の貧しく惨めな日常を丹念に描くばかりで、DJayはなかなかサクセスしないのだ。
音楽業界の大物の感嘆や聴衆の拍手喝采といった派手な「成功」の場面はなく、DJayのラップを認め感動するのは、一緒にデモテープをつくる幼なじみの素人ディレクターやその仲間のミキサー、抱えの2人の売春婦だけ。仲間たちのうなずきや微笑、涙ぐみといった小さな「成功」だけで、終盤まで引っ張られる。
もしかするとDJayはこのまま成功をつかめないのではないか、とDJayといっしょに観客も焦り出すのは、音楽があまり鳴らないからである。DJayと仲間たちは言い合いばかりしている。だが、そのドラマ重視によって、ヒモ稼業から抜け出そうとするDJayに寄り添う仲間たちの説得力が増し、拍手喝采がなくとも気にならなくなる。
そう、この映画には、聴衆が熱狂して拍手喝采する場面が一度もない。主人公の成功の歓喜を観客がともに味わうカタルシスの場面はない。たぶん、ラップという言葉の世界を扱っているからだろう。DJayは、ヒモと娼婦の言葉をそのままラップにする。日々刻々、投げつけ、切り返し、罵る、言葉を詩にしてビートに乗せる。
したがって、言葉がやってくる場所、街を丁寧に描くことになる。訪ねたことはないが、メンフィスという街の猥雑な空気、その色や音や匂いを映そうとしているように思える。たとえば、メンフィスサウンドの大物アイザック・ヘイズの怪異な容貌はその典型だろう。DJayを応援するクラブのオーナー役のジイさんである。
そこから、この映画の主題が浮かび上がってくる。DJayや仲間たちが、真に求めているのは、富や名声ではなく、貧しく惨めな境遇から抜け出すことでもなく、実は自分の人生を見つけたいという希望なのだ。ここではないどこか、ではなく、幾度となく絶望を味わった、自分たちの街、このメンフィスで、俺たちは希望をつかみたい。
空前のCDセールスや満員の聴衆の熱狂といった「成功」をめざしていないことを、メンフィス出身のラップスター・スキニーの裏切りによって、DJayと観客はあらためて思い知ることになる。DJayはデモテープをスキニーに手渡し、プロデビューの道を開いてもらおうとする。そして、敬愛するスキニーは、手酷くDJayを裏切ってみせる。
しかし、スキニーにデモテープを渡したところで、すでにDJayたちは「成功」していたのである。もちろん、スキニーにコネをつけて、音楽業界への橋渡しを期待しているのだが、自信を持ってスキニーに手渡せるデモテープを自分たちはつくることができた、それだけで充分にDJayは満足していたのである。
「俺のディック(DICK)を舐めな」といわれたDJayは爆発する。DJayの怒りは、「成功」の道が閉ざされた失望や傲慢なスキニーへ向けられたというより、自分たちの街の言葉をラップにした、「街の仲間」に裏切られたことから発している。それからエンドマークが出るまでは、つけたりである。映画としては、実はここで完了している。
スキニーは、「夢は誰にでも持てる」とDJayにいった。「夢は誰にでも持てる」が、(夢を実現できる人間は限られている。たとえば俺のように)。そうした含意が込められている。刑務所に収監されたDJayも、ラップをやっているという看守2人に、「夢は誰にでも持てる」という。(夢は分かち合える)という含意を込めて。
DJay=ディジェイ (テレンス・ハワード Terrence Howard)
ノラ (タリン・マニング Taryn Manning)
シャグ (タラジ・ヘンソン Taraji P. Henson )
キイ (アンソニー・アンダーソン Anthony Anderson)
スキニー(ラダクリス Ludacris )
アーメル(アイザック・ヘイズ Isaac Hayes)
2005年、映画の中で歌われた「It's Hard Out Here For A Pimp」(ヒモはつらいよ)がアカデミー歌曲賞受賞したときの映像。前口上は、スキニーを演じたルダクリス(Ludacris)、歌っているのは、スリー・6・マフィア、コーラスはやはりシャグ役のタラジ・ヘンソン(Taraji P. Henson)。
南部の都会メンフィスでヒモ稼業(pimp)のDJay。街角に停めたボロ車で客を待つ。助手席には、痩せっぽちの白人少女ノラ。男一人が乗った車が横に付く。「前は40ドル、後ろなら60ドル」と運転席の男に声をかけるDJay。商談がまとまれば、ノラが乗り移る。前の席と後ろの席では、ノラが使う身体の部位が違う。
DJayは3人の女たちを抱えているが、稼ぎ頭はストリップクラブのダンサーになり自前で商売をはじめ、グラマーとはほど遠いノラは売れ残ることが多く、もう一人は臨月間近で働けない。本業の売春仲介業は低迷している上に、副業のマリファナ密売も支払いが滞り、供給が止められそうになっている。
行き詰まったDJayがふと入手したカシオキーボードから、若い頃に鳴らしたラッパーの夢が甦り、仲間たちと困難を乗り越えラップ歌手としてデビューするまでの物語といえば、アメリカ映画おなじみのサクセスストーリー。だが、ヒモと売春婦の貧しく惨めな日常を丹念に描くばかりで、DJayはなかなかサクセスしないのだ。
音楽業界の大物の感嘆や聴衆の拍手喝采といった派手な「成功」の場面はなく、DJayのラップを認め感動するのは、一緒にデモテープをつくる幼なじみの素人ディレクターやその仲間のミキサー、抱えの2人の売春婦だけ。仲間たちのうなずきや微笑、涙ぐみといった小さな「成功」だけで、終盤まで引っ張られる。
もしかするとDJayはこのまま成功をつかめないのではないか、とDJayといっしょに観客も焦り出すのは、音楽があまり鳴らないからである。DJayと仲間たちは言い合いばかりしている。だが、そのドラマ重視によって、ヒモ稼業から抜け出そうとするDJayに寄り添う仲間たちの説得力が増し、拍手喝采がなくとも気にならなくなる。
そう、この映画には、聴衆が熱狂して拍手喝采する場面が一度もない。主人公の成功の歓喜を観客がともに味わうカタルシスの場面はない。たぶん、ラップという言葉の世界を扱っているからだろう。DJayは、ヒモと娼婦の言葉をそのままラップにする。日々刻々、投げつけ、切り返し、罵る、言葉を詩にしてビートに乗せる。
したがって、言葉がやってくる場所、街を丁寧に描くことになる。訪ねたことはないが、メンフィスという街の猥雑な空気、その色や音や匂いを映そうとしているように思える。たとえば、メンフィスサウンドの大物アイザック・ヘイズの怪異な容貌はその典型だろう。DJayを応援するクラブのオーナー役のジイさんである。
そこから、この映画の主題が浮かび上がってくる。DJayや仲間たちが、真に求めているのは、富や名声ではなく、貧しく惨めな境遇から抜け出すことでもなく、実は自分の人生を見つけたいという希望なのだ。ここではないどこか、ではなく、幾度となく絶望を味わった、自分たちの街、このメンフィスで、俺たちは希望をつかみたい。
空前のCDセールスや満員の聴衆の熱狂といった「成功」をめざしていないことを、メンフィス出身のラップスター・スキニーの裏切りによって、DJayと観客はあらためて思い知ることになる。DJayはデモテープをスキニーに手渡し、プロデビューの道を開いてもらおうとする。そして、敬愛するスキニーは、手酷くDJayを裏切ってみせる。
しかし、スキニーにデモテープを渡したところで、すでにDJayたちは「成功」していたのである。もちろん、スキニーにコネをつけて、音楽業界への橋渡しを期待しているのだが、自信を持ってスキニーに手渡せるデモテープを自分たちはつくることができた、それだけで充分にDJayは満足していたのである。
「俺のディック(DICK)を舐めな」といわれたDJayは爆発する。DJayの怒りは、「成功」の道が閉ざされた失望や傲慢なスキニーへ向けられたというより、自分たちの街の言葉をラップにした、「街の仲間」に裏切られたことから発している。それからエンドマークが出るまでは、つけたりである。映画としては、実はここで完了している。
スキニーは、「夢は誰にでも持てる」とDJayにいった。「夢は誰にでも持てる」が、(夢を実現できる人間は限られている。たとえば俺のように)。そうした含意が込められている。刑務所に収監されたDJayも、ラップをやっているという看守2人に、「夢は誰にでも持てる」という。(夢は分かち合える)という含意を込めて。
DJay=ディジェイ (テレンス・ハワード Terrence Howard)
ノラ (タリン・マニング Taryn Manning)
シャグ (タラジ・ヘンソン Taraji P. Henson )
キイ (アンソニー・アンダーソン Anthony Anderson)
スキニー(ラダクリス Ludacris )
アーメル(アイザック・ヘイズ Isaac Hayes)
2005年、映画の中で歌われた「It's Hard Out Here For A Pimp」(ヒモはつらいよ)がアカデミー歌曲賞受賞したときの映像。前口上は、スキニーを演じたルダクリス(Ludacris)、歌っているのは、スリー・6・マフィア、コーラスはやはりシャグ役のタラジ・ヘンソン(Taraji P. Henson)。