コタツ評論

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疎開と疎外

2011-04-14 23:52:00 | 3・11大震災

学童疎開

戦争中、空襲を逃れて東京から地方へ疎開した。いまの70代には疎開経験者が少なくない。戦争指導者である、政治家や官僚、軍人の家族も多く疎開した。

戦火を免れるための当時の疎開と、放射能被害を免れようとする今の「疎開」とは、どこが違っているか。かつては政策として採用されたほど、米軍の空襲は繰り返し東京を火の海にして、国民の生命と財産は確実な危険に晒されていた。

今回は、「ただちに健康に影響はない」という政府見解の下で、危険性を自主的に判断した「疎開」である。政策ではないから、「疎開」より避難というべきだろうが、どうして「疎開」という戦中用語が甦ってきたか、何か因縁を感じる。

さて、公人の家族の場合、いつから避難したのか、いつまで避難するのか、公開されるべき情報だと思う。レベル7という認識が政府部内で共有された3月23日以前に、家族を「疎開」させていた場合は、当然、その齟齬と矛盾が指摘されるだろう。

ところで、本来の意味で、「避難」「疎開」した福島の子どもたちへの差別と偏見、この疎外する心は、いったいどこから生み落とされたのだろうか。瓦礫ゴミの受け入れに反対して、川崎市に苦情した2千人をどう考えたらよいのだろう。

東日本大震災:「放射能怖い」福島からの避難児童に偏見
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110414k0000m040137000c.html

福島ごみ「受け入れるな」 川崎市に市民ら苦情2千件超
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041301001033.html

「がんばれ日本!」と「東電潰せ」「管のアホ」は、実はほとんど同じことを言いたがっているように思える。「私は関係ない」と。



コメント (1)
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