堂々たるスピーチです。メディアからは辺野古移設反対の声ばかり聴こえますが、これも沖縄の声です。
2・21普天間飛行場 辺野古移設名護市市民大会(我那覇まさ子)
次は、我那覇さんが批難する沖縄マスコミの最近の偏向記事といわれているものです。
オスプレイ宣撫 離島防衛に絡める安直さ(琉球新報社説)
2013年2月18日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-202736-storytopic-11.html
よくいえば冷静、わるくいえば他人事のような筆致です。立ち止まって、読者に考えさせるための記事だからです。我那覇さんのスピーチは、踏み出して、聴衆に訴えるためのものです。
ただし、正反対の主張にみえて、じつはどちらも同じ見解を採用しています。沖縄県民は騙されている、というものです。騙しているのが、米軍や本土政府か県内マスコミや反米左翼と、相手が違うだけで、騙されているという前提は同じです。
琉球新報の場合、「騙されている」ことを指示するいくつもの言葉を使っていますが、もっとも露わなのは、見出しにもある「宣撫」でしょう。我那覇さんは、もっと率直に、「県内新聞マスコミはウソをついています」といいます。
騙されている! そう云われればかなり衝撃的なので、思わず身を乗り出してしまいますが、じつは「騙されている論」は、たいてい推測にもとづく脆弱な議論である場合が多いものです。
国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなどを考えると、中国が尖閣諸島を「奪う」メリットがあるとは思えない。従って「奪還」のためにオスプレイが役立つこともないだろう。
この琉球新報社説の結論だけを読んでも、「思えない」「ないだろう」を重ねた推測というか願望に過ぎないことがわかるでしょう。くらべて、我那覇さんはきっぱり言い切っています。
11万人も集まったという県民大会は、実際には1万2、3千人だったことがたしかめられています。また、県警の犯罪統計資料によれば、米軍の犯罪発生率は、県民の1/10です。反米世論をつくりだすために、大々的に報道するのです。
具体的な数字をあげているだけに、推測や願望とは無縁に思えますが、やはり脆弱な議論と云わざるを得ません。ためしに、「米軍の犯罪発生率は、県民の1/10」を沖縄県警察犯罪統計資料でたしかめてみましょう。
沖縄県の人口は、1,413,482人、在沖米軍人員は、44,963人。約3.1%を米軍人とその関連が占めています(ウィキペディアなどに拠る)。沖縄県全体の刑法犯検挙件数は4,233人、そのうち米軍人関連の検挙総数54人です(平成24年12月末)。米軍関連は、1.2%の比率です。
米軍人の人口比3.1%に対して、犯罪発生率は1.2%ですから、我那覇さんの「1/10」ほどではありませんが、たしかに沖縄米軍の犯罪率は県民より低いといえます。
喧伝されるほど米軍人の犯罪は多くないのか、そう肯きそうですが、ちょうど今朝の毎日新聞に<沖縄集団強姦 2米兵 懲役10年と9年>という記事が出ています。強姦事件としては異例に厳しい長期刑を下したと報じたものです(なぜか、この記事はサイトには掲載されていません)。
那覇地裁の鈴木裁判長は判決理由を述べた後、この裁判が裁判員裁判であることを踏まえ、「(重い量刑と思うかもしれないが)県民感情はもっと厳しい」と被告に伝えています。
犯罪統計上は、沖縄県民より米軍人は犯罪を犯さないはずなのに、この「厳しい県民感情」はどこからきたのでしょう。沖縄の新聞マスコミがつくりあげたウソに騙されているのでしょうか。
毎日新聞記事には、『日米密約 裁かれない米軍犯罪』(布施祐仁)の著作があるジャーナリストのコメントが添えられています。「(1953年の日米の密約により)本来起訴されるべき事件の多くが不起訴になっている現実がある」そうです。
そんな「密約」以前に、基地に逃げ込んだ米軍人の犯罪に対して訴追の道が閉ざされていることは、わたしたちも知っています。今回のように沖縄の裁判所で米軍人が裁かれるのは珍しいからこそ、かなり大きく紙面をさいて詳細に報じているのです。
また、基地内で起きた事件や犯罪も、警察の検挙件数には含まれないはずです。そもそも強姦事件は被害者が訴えにくい犯罪であり、日本の裁判所で訴追できなければ、なおのこと泣き寝入りする女性が少なくないだろうことは、沖縄県民でなくとも容易に想像できることです。
我那覇さんの「1/10」は、「厳しい県民感情」を裏づける実際の犯罪件数とはかけ離れたものといえるでしょう。少なくとも見かけどおりの検挙件数内におさまるとは考えにくい。沖縄県民の反米感情を煽り、世論を基地反対に導き、中国侵略の手先になりつつある沖縄の新聞マスコミ、という推測が先走り、現実から飛躍してしまったのかもしれません。
ただし、我那覇さんのマスコミ批判に根拠がない、まったく同意できない、というわけではありません。「そのとおり!」とかけ声をかけたいところも少なからずあります。しかし、マスコミの劣化が招く偏向報道(とわたしは思っています)より、もっと大事なことがほかにあるように思います。
我那覇さん(たち)辺野古移設推進派と、琉球新報をはじめとする沖縄の新聞マスコミの間に、異論があるのではなく、ほとんど同型の論理が駆使されていることは、もっと指摘されて然るべきです。
「本土」のわたしからみれば、ほとんど同じ「沖縄の声」といえます。我那覇さん、琉球新報のいずれもが、「騙されている」とはいうが、「騙されるな」とはいいません。なぜでしょうか。いや、両者とも、「騙されている」から、「騙されるな」といっているのではないか。そういっているも同然ではないか。
そう考える人もいるでしょうが、「騙されるな」と「騙されている」はまったく違うものです。「騙されるな」が遂行的であるのに対し、「騙されている」はある状態や状況を示すという違いだけでなく、その関係性がまるで異なります。
「騙されるな」では、そう云う人と云われる人は対等です。「騙されている」では、そう告げる人が、告げられる人より明らかに上位を占めます。「騙されるな」には、「騙しかえせ」という能動もあり、騙す側とさえ対等ですが、「騙されている」では、「騙されていない」という受動しかなく、そのまま下位に甘んじるものです。
つまり、「騙されている」論は、被害者意識に近いところから出てくるものです。したがって、「騙されている」という言説には、同情以外に寄せられる感情が思い当たりません。「騙されるな」には、裏づけとなる実態と論理が求められるので、人を惑わすこともありますが、奮起させる感情も呼び起こします。
「騙されるな」は不信のススメなのですが、自らを信じてそこから進む言葉です。一方、「騙されている」とは、自らへの不信のススメであり、そこから進まずそこに止まるものです。
「騙されている」に「騙されるな」。もちろん、沖縄にも、「騙されているフリ」を含めて、いろいろな声なき声があるはずですが。
(敬称略)
2・21普天間飛行場 辺野古移設名護市市民大会(我那覇まさ子)
次は、我那覇さんが批難する沖縄マスコミの最近の偏向記事といわれているものです。
オスプレイ宣撫 離島防衛に絡める安直さ(琉球新報社説)
2013年2月18日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-202736-storytopic-11.html
よくいえば冷静、わるくいえば他人事のような筆致です。立ち止まって、読者に考えさせるための記事だからです。我那覇さんのスピーチは、踏み出して、聴衆に訴えるためのものです。
ただし、正反対の主張にみえて、じつはどちらも同じ見解を採用しています。沖縄県民は騙されている、というものです。騙しているのが、米軍や本土政府か県内マスコミや反米左翼と、相手が違うだけで、騙されているという前提は同じです。
琉球新報の場合、「騙されている」ことを指示するいくつもの言葉を使っていますが、もっとも露わなのは、見出しにもある「宣撫」でしょう。我那覇さんは、もっと率直に、「県内新聞マスコミはウソをついています」といいます。
騙されている! そう云われればかなり衝撃的なので、思わず身を乗り出してしまいますが、じつは「騙されている論」は、たいてい推測にもとづく脆弱な議論である場合が多いものです。
国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなどを考えると、中国が尖閣諸島を「奪う」メリットがあるとは思えない。従って「奪還」のためにオスプレイが役立つこともないだろう。
この琉球新報社説の結論だけを読んでも、「思えない」「ないだろう」を重ねた推測というか願望に過ぎないことがわかるでしょう。くらべて、我那覇さんはきっぱり言い切っています。
11万人も集まったという県民大会は、実際には1万2、3千人だったことがたしかめられています。また、県警の犯罪統計資料によれば、米軍の犯罪発生率は、県民の1/10です。反米世論をつくりだすために、大々的に報道するのです。
具体的な数字をあげているだけに、推測や願望とは無縁に思えますが、やはり脆弱な議論と云わざるを得ません。ためしに、「米軍の犯罪発生率は、県民の1/10」を沖縄県警察犯罪統計資料でたしかめてみましょう。
沖縄県の人口は、1,413,482人、在沖米軍人員は、44,963人。約3.1%を米軍人とその関連が占めています(ウィキペディアなどに拠る)。沖縄県全体の刑法犯検挙件数は4,233人、そのうち米軍人関連の検挙総数54人です(平成24年12月末)。米軍関連は、1.2%の比率です。
米軍人の人口比3.1%に対して、犯罪発生率は1.2%ですから、我那覇さんの「1/10」ほどではありませんが、たしかに沖縄米軍の犯罪率は県民より低いといえます。
喧伝されるほど米軍人の犯罪は多くないのか、そう肯きそうですが、ちょうど今朝の毎日新聞に<沖縄集団強姦 2米兵 懲役10年と9年>という記事が出ています。強姦事件としては異例に厳しい長期刑を下したと報じたものです(なぜか、この記事はサイトには掲載されていません)。
那覇地裁の鈴木裁判長は判決理由を述べた後、この裁判が裁判員裁判であることを踏まえ、「(重い量刑と思うかもしれないが)県民感情はもっと厳しい」と被告に伝えています。
犯罪統計上は、沖縄県民より米軍人は犯罪を犯さないはずなのに、この「厳しい県民感情」はどこからきたのでしょう。沖縄の新聞マスコミがつくりあげたウソに騙されているのでしょうか。
毎日新聞記事には、『日米密約 裁かれない米軍犯罪』(布施祐仁)の著作があるジャーナリストのコメントが添えられています。「(1953年の日米の密約により)本来起訴されるべき事件の多くが不起訴になっている現実がある」そうです。
そんな「密約」以前に、基地に逃げ込んだ米軍人の犯罪に対して訴追の道が閉ざされていることは、わたしたちも知っています。今回のように沖縄の裁判所で米軍人が裁かれるのは珍しいからこそ、かなり大きく紙面をさいて詳細に報じているのです。
また、基地内で起きた事件や犯罪も、警察の検挙件数には含まれないはずです。そもそも強姦事件は被害者が訴えにくい犯罪であり、日本の裁判所で訴追できなければ、なおのこと泣き寝入りする女性が少なくないだろうことは、沖縄県民でなくとも容易に想像できることです。
我那覇さんの「1/10」は、「厳しい県民感情」を裏づける実際の犯罪件数とはかけ離れたものといえるでしょう。少なくとも見かけどおりの検挙件数内におさまるとは考えにくい。沖縄県民の反米感情を煽り、世論を基地反対に導き、中国侵略の手先になりつつある沖縄の新聞マスコミ、という推測が先走り、現実から飛躍してしまったのかもしれません。
ただし、我那覇さんのマスコミ批判に根拠がない、まったく同意できない、というわけではありません。「そのとおり!」とかけ声をかけたいところも少なからずあります。しかし、マスコミの劣化が招く偏向報道(とわたしは思っています)より、もっと大事なことがほかにあるように思います。
我那覇さん(たち)辺野古移設推進派と、琉球新報をはじめとする沖縄の新聞マスコミの間に、異論があるのではなく、ほとんど同型の論理が駆使されていることは、もっと指摘されて然るべきです。
「本土」のわたしからみれば、ほとんど同じ「沖縄の声」といえます。我那覇さん、琉球新報のいずれもが、「騙されている」とはいうが、「騙されるな」とはいいません。なぜでしょうか。いや、両者とも、「騙されている」から、「騙されるな」といっているのではないか。そういっているも同然ではないか。
そう考える人もいるでしょうが、「騙されるな」と「騙されている」はまったく違うものです。「騙されるな」が遂行的であるのに対し、「騙されている」はある状態や状況を示すという違いだけでなく、その関係性がまるで異なります。
「騙されるな」では、そう云う人と云われる人は対等です。「騙されている」では、そう告げる人が、告げられる人より明らかに上位を占めます。「騙されるな」には、「騙しかえせ」という能動もあり、騙す側とさえ対等ですが、「騙されている」では、「騙されていない」という受動しかなく、そのまま下位に甘んじるものです。
つまり、「騙されている」論は、被害者意識に近いところから出てくるものです。したがって、「騙されている」という言説には、同情以外に寄せられる感情が思い当たりません。「騙されるな」には、裏づけとなる実態と論理が求められるので、人を惑わすこともありますが、奮起させる感情も呼び起こします。
「騙されるな」は不信のススメなのですが、自らを信じてそこから進む言葉です。一方、「騙されている」とは、自らへの不信のススメであり、そこから進まずそこに止まるものです。
「騙されている」に「騙されるな」。もちろん、沖縄にも、「騙されているフリ」を含めて、いろいろな声なき声があるはずですが。
(敬称略)