嫌韓へなびく前に で朴裕河(パク ユハ)さんの論説を紹介しましたが、この8月1日、従軍慰安婦問題の新たなウェブサイトが開設されました。「性奴隷」「強制連行」派の代表的な研究者である吉見義明中央大教授らが中心となり、ウェブ制作には「日本の戦争責任資料センター」「『戦争と女性への暴力』リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)」の2団体が協力しています。
Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
http://fightforjustice.info/
これまでに収集した証言や写真など、従軍慰安婦問題の「事実」を掲載し、内外に情報提供していく目的です。興味深いのは、従軍慰安婦から日本軍「慰安婦」に用語を変更している点です。従軍慰安婦問題を日本に特化する狙いかもしれません。たとえば、<Q&A>「6 朝鮮戦争やベトナム戦争でもあったのか? 」へは以下のような回答がされています。
朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。これは韓国において、韓国軍の資料などを使った研究が出ています。これ自身、たいへん大きな問題で人権蹂躙行為です。
ただなぜ1950年代において韓国軍がこうした慰安婦制度を作ったのかを考えると、当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが多数いました。いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていたのです。
その代表的な人物で、後に軍事クーデターをおこして政権を奪い、長期軍事独裁政権を指導した朴正熙を見ると、彼は満州国の軍官学校を出て、さらに日本の陸軍士官学校も卒業しています。そして戦時中は、満州国軍の将校です。満州国軍とは日本軍の指導下で、満州の抗日ゲリラの討伐をやっていた軍隊です。
日本への抵抗派、独立派を弾圧していた人物であり、典型的な親日派です。朴正熙は、陸軍士官学校では、陸士第57期ですが、このときの陸軍士官学校校長は後に沖縄の第三二軍司令官になる牛島満です。第三二軍は組織的に大規模に沖縄各地に慰安所を設置したことは有名です。
つまり旧日本軍出身者が握っていた韓国軍は、日本軍のやり方を真似たのです。朝鮮戦争の例を持ち出して、日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを反省しなければならないのではないでしょうか。
びっくりする解説です。先頃、朝鮮戦争休戦60周年記念式典に出席したオバマ大統領は、「朝鮮戦争は韓国が勝利した!」と演説しました。「いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていた」とすれば、朝鮮戦争に「勝利」したのは、朴正熙ら対日協力者たちのおかげであり、つまりは彼らを育てた日本のおかげとなります。それでいいのでしょうか。あるいは、北朝鮮がそのまま侵攻して、南北朝鮮が統一されればよかったのに、残念だったということなのでしょうか。
たしかに、韓国では朴正熙元大統領の独裁政治や旧日本軍将校出身に根強い批判があることは事実ですが、韓国の高度経済成長を主導した偉大な大統領だったとする高い評価もそれ以上にあります。元とはいえ、他国の大統領を、それも「親日」を罪として一方的に弾劾するのは、解説の域を越えています。
また、朴正熙が学んだときの陸軍士官学校の校長が、後に沖縄に慰安所を設置したからといって、朝鮮戦争時の慰安所と関係づけるのは強引を通り越しています。陸軍士官学校が慰安婦の募集や慰安所の設置運営を教え、朴正熙が朝鮮戦争時の慰安所設置を直接に指揮した記録でもない限りは。
以上のような牽強付会を重ねて、朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所の起源は日本であり、「むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったこと」を日本が反省しなければならないという結論に至ります。すべての悪と罪は日本に帰結するかのようです。
これほどにもなると、もはや自虐思想とはいえず、原罪意識に近いものです。倫理的な主体性を持ち、したがって贖罪の資格を有するのは唯一日本だけ。だとすれば、ユダヤ教の受難思想に基づくシオニズムの選民思想に近いものを感じます。
「日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまった」という表現にもそれがよく表れています。一般に、悪習と犯罪は区別されるのに、一緒くたにされているのは、日本軍の「犯罪」が韓国軍に「悪習」として受け継がれた、と韓国を免責したいがためでしょう。
「悪習に染まる」とは、大人から子どもへのように、上位者から下位者へ伝わる関係を示すものです。責任の主従というより存在としての主従関係をはからずも浮かび上がらせています。あるいは、当時としては慰安所を悪習とみなすことができるが、現在からみれば犯罪であるという、自らの主張の矛盾を露呈したものとも読めます。
というわけで、すべてを読んだわけではありませんが、読み進めるのはかなりしんどいものがあります。日本が批難されているというだけでなく、度を越した卑下や反省の強要が、裏返しに傲慢な自尊心をうかがわせ、転倒したナルシズムを感じるからです。まるで日本人は、人間の罪をすべて背負って磔刑に処せられたキリストであるかのようです。
「従軍慰安婦論」より「従軍慰安婦論・論」が必要なのかもしれません。そこで口直しといっては失礼ですが、「従軍慰安婦論・論」の視点を含む好ブログを紹介します。最近見つけたばかりなので、やはりすべて目を通したわけではありませんが、自らを「ネトウヨ」と韜晦(?)しながら、じつにクールに展開しています。
続・慰安婦騒動を考える
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/
(敬称略)
Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
http://fightforjustice.info/
これまでに収集した証言や写真など、従軍慰安婦問題の「事実」を掲載し、内外に情報提供していく目的です。興味深いのは、従軍慰安婦から日本軍「慰安婦」に用語を変更している点です。従軍慰安婦問題を日本に特化する狙いかもしれません。たとえば、<Q&A>「6 朝鮮戦争やベトナム戦争でもあったのか? 」へは以下のような回答がされています。
朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。これは韓国において、韓国軍の資料などを使った研究が出ています。これ自身、たいへん大きな問題で人権蹂躙行為です。
ただなぜ1950年代において韓国軍がこうした慰安婦制度を作ったのかを考えると、当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが多数いました。いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていたのです。
その代表的な人物で、後に軍事クーデターをおこして政権を奪い、長期軍事独裁政権を指導した朴正熙を見ると、彼は満州国の軍官学校を出て、さらに日本の陸軍士官学校も卒業しています。そして戦時中は、満州国軍の将校です。満州国軍とは日本軍の指導下で、満州の抗日ゲリラの討伐をやっていた軍隊です。
日本への抵抗派、独立派を弾圧していた人物であり、典型的な親日派です。朴正熙は、陸軍士官学校では、陸士第57期ですが、このときの陸軍士官学校校長は後に沖縄の第三二軍司令官になる牛島満です。第三二軍は組織的に大規模に沖縄各地に慰安所を設置したことは有名です。
つまり旧日本軍出身者が握っていた韓国軍は、日本軍のやり方を真似たのです。朝鮮戦争の例を持ち出して、日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを反省しなければならないのではないでしょうか。
びっくりする解説です。先頃、朝鮮戦争休戦60周年記念式典に出席したオバマ大統領は、「朝鮮戦争は韓国が勝利した!」と演説しました。「いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていた」とすれば、朝鮮戦争に「勝利」したのは、朴正熙ら対日協力者たちのおかげであり、つまりは彼らを育てた日本のおかげとなります。それでいいのでしょうか。あるいは、北朝鮮がそのまま侵攻して、南北朝鮮が統一されればよかったのに、残念だったということなのでしょうか。
たしかに、韓国では朴正熙元大統領の独裁政治や旧日本軍将校出身に根強い批判があることは事実ですが、韓国の高度経済成長を主導した偉大な大統領だったとする高い評価もそれ以上にあります。元とはいえ、他国の大統領を、それも「親日」を罪として一方的に弾劾するのは、解説の域を越えています。
また、朴正熙が学んだときの陸軍士官学校の校長が、後に沖縄に慰安所を設置したからといって、朝鮮戦争時の慰安所と関係づけるのは強引を通り越しています。陸軍士官学校が慰安婦の募集や慰安所の設置運営を教え、朴正熙が朝鮮戦争時の慰安所設置を直接に指揮した記録でもない限りは。
以上のような牽強付会を重ねて、朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所の起源は日本であり、「むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったこと」を日本が反省しなければならないという結論に至ります。すべての悪と罪は日本に帰結するかのようです。
これほどにもなると、もはや自虐思想とはいえず、原罪意識に近いものです。倫理的な主体性を持ち、したがって贖罪の資格を有するのは唯一日本だけ。だとすれば、ユダヤ教の受難思想に基づくシオニズムの選民思想に近いものを感じます。
「日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまった」という表現にもそれがよく表れています。一般に、悪習と犯罪は区別されるのに、一緒くたにされているのは、日本軍の「犯罪」が韓国軍に「悪習」として受け継がれた、と韓国を免責したいがためでしょう。
「悪習に染まる」とは、大人から子どもへのように、上位者から下位者へ伝わる関係を示すものです。責任の主従というより存在としての主従関係をはからずも浮かび上がらせています。あるいは、当時としては慰安所を悪習とみなすことができるが、現在からみれば犯罪であるという、自らの主張の矛盾を露呈したものとも読めます。
というわけで、すべてを読んだわけではありませんが、読み進めるのはかなりしんどいものがあります。日本が批難されているというだけでなく、度を越した卑下や反省の強要が、裏返しに傲慢な自尊心をうかがわせ、転倒したナルシズムを感じるからです。まるで日本人は、人間の罪をすべて背負って磔刑に処せられたキリストであるかのようです。
「従軍慰安婦論」より「従軍慰安婦論・論」が必要なのかもしれません。そこで口直しといっては失礼ですが、「従軍慰安婦論・論」の視点を含む好ブログを紹介します。最近見つけたばかりなので、やはりすべて目を通したわけではありませんが、自らを「ネトウヨ」と韜晦(?)しながら、じつにクールに展開しています。
続・慰安婦騒動を考える
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/
(敬称略)