コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

憂国呆談

2013-03-16 10:37:00 | 政治
もちろん、つっこみどころはたくさんある。

「日本の歴史教育は歪曲されている」英BBC
http://j.people.com.cn/94475/8169206.html

しかし、近現代史の頁が少なすぎ、先の戦争中の事件についてもほとんど触れられていない。あるいは歴史教育そのものの履修時間が短かい。などなどについて、BBC報道の元データはわからないが、たぶん事実に近いだろう。

これに近現代史の実質的な授業時間のデータをくわえたとしたら、「史実をまともに教えられてこなかった多くの日本人」といわれて返す言葉はないだろう。それだけでも、「ネットで関連情報を調べ、右派の言論によって誤った歴史認識を持つ恐れは十分にある」と指摘される根拠はあるわけだ。

どのような歴史教育をしているか、以下なのだから、どのような歴史教育もしていないとは。したがって、これは記事中にはない文言だが、<日本人は自国の歴史に向き合っていない>といわれてもしかたない。たとえば、公の場で、以上のような指摘や批判や断定されたとしたら、<そのとおりです>というほかない。



もちろん、つっこみどころはたくさんある。中韓の反日歴史教育を批判する人も少なくないだろう。しかし、これはあくまでも、どこまでも、日本国と日本国民の問題である。外国や国内勢力のせいにすれば、それこそつっこみどころをたくさんつくることになる。

中韓に反日意識が高まったのには、彼の国々の経済的発展にともなう民主化が大きく影響していることに、異論を唱える人はさすがに少ないだろう。生産性の拡大に不可欠な経済の民主化は、かならず政治に拡大する。かつては政府に黙らされていたが、いまは黙っちゃないわけだ。

戦争犯罪や歴史問題について、解決済みと合意したのは弾圧的な政府であって、国民市民はそれに同意をした覚えはないから、あらためて異議申し立ての声をあげるのは当然のことだ。彼らはそう思っているのだろう。そうした民主化された言論を、「反日」世論に組織して政治利用したのは、またべつの問題だろう。

日本の歩みはそんな中韓とは異なる。世界の頂点にひとしい経済的発展を経ながら、それにともなう民主化の進展はあっただろうか。もちろん、制度としてはたくさんあった。ただし、歴史的日本を問い直すことはなかった。中韓のように、「かつて」と「いま」という時間を日本はもたない。その結果として、歴史教育、近現代史を教えない学ばない教育になった。

自民党政治の下で、国民は「かつて」も「いま」も黙ったままだ。「てっぺっぺっ」のような明らかに国民生活の破壊につながるおそれのある条約交渉参加に、黙っているどころか賛成する国民が多い。なぜかはわからない。

強いてわかろうとすれば、日本という国はなく、日本国民という人々はいない、という答えしか思いつかない。ちょうど、幕末期に、中国や朝鮮や日本という国民国家は存在せず、ただ土着の中国人や朝鮮人や日本人しかいなかったように。いうまでもなく、歴史とは国民国家の時間のことにほかならないからだ。

安倍首相は、「日本を取り戻す!」といった。自民党政治に戻るというのだろう。それを退行や反動と中韓は批判しているが、過褒というものだろう。歴史を知らない国民に、遡及する時間などないからだ。「かつて」も「いま」も、わたしたちは無時間に、無歴史を生きている。それを生きているといえるのなら、だが。

さて、以上の書き込みに、つっこみどころはいくつあるでしょうか。以下から正しいと思うものを選んで下さい。
    1.1つ 2.2つ 3.たくさん
正解された方には、「ヤマザキ春のパンまつり」特製サラダボールを抽選で差し上げます。ふるってご応募下さい。

(敬称略)
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冤罪というより

2013-03-15 21:43:00 | 政治
裁判未満だろう。もうむちゃくちゃでんがな。もうこうなったら、てっぺっぺに加盟してアメリカの弁護士を輸入したらいい。日本の司法試験に合格していなくても、アメリカの弁護士資格のまま弁護活動ができるようにして、日本のでたらめな裁判官や検察官を駆逐してもらいたいもんだ。

新聞各紙のなかでとりわけひどかったのがこれ。

元秘書2審も有罪 小沢氏に議員辞職求める 2013.3.14 03:24 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130314/trl13031403250000-n1.htm

マイナーメディアの片隅で記者生命をかけているが、新聞のアリバイづくりがこれ。

石川議員は5千万円を受け取っていない 2013年03月15日http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2013031400059.html?iref=webronza
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君は黒犬を見たか

2013-03-15 20:51:00 | 新刊本



先日、新刊書店をのぞいたら、文春文庫から食指がうごく短編集が2冊出ていた。『1922』(スティーブン・キング)とアンソロジーの『厭な物語』。家には手持ちの未読が30冊ほどあるので、両方とも買い込むのは後ろめたい。近年ごぶさたのキングは後日の楽しみとして、『厭な物語』に。

「癒やされる」とか「愛おしい」をもじれば、「厭わしい」とか「嫌される」短編小説の名作・傑作を集めています。

それって、憎悪や悲惨、虐待や殺人、流血に苦痛だらけなのに、善意や救済はかけらもないやつでしょ。そのとおり。なんと物好きな、そんな後味の悪そうな小説なんぞ読みたくもないね。それでいい。

しかし、もったいない。勘違いだからです。読後感は、どの一篇をとっても爽やか、スカッとすること請けあいます。名作や傑作を読んだ充実感はずっしり残ります。直後の読後感は意外なほど悪くないどころか、ごちそうを食べた後の満腹感に似た悦びがあります。「後味が悪い」「最悪」「ムカツク」という感想や紹介を真に受けてはなりません。それは、「ゲテもの喰い」の優越感みたいなものだからです。

「スカッと爽やか」には、にわかに頷けないでしょうから、「充実感ずっしり」の理由(わけ)をいくつか見つくろって。まず、アガサクリスティの「崖っぷち」によくあらわれていますが、気持ちがよいくらいとても道徳的な作品です。karaさんから教わった倫理4段階論そのままに物語は進みます。

倫理には3段階ないし4段階あって、自己保存→相互性→法の支配(復讐の禁止)→自己犠牲で、これらは階層をなしていて、しかも他人に求めていいのは法の支配までなのに、どうも自分は復讐イケイケで三段階目にも到達していないのに、いきなり他人には四段階目を求める輩が多いのでいやになります。http://9101.teacup.com/chijin/bbs/1953

「崖っぷち」を眺めるクレアをはじめ、この「厭な物語」に登場する悪人や犯罪者たちは、つねにこの4段階を意識しています。強烈な自己保存の衝動に駆られていて、やられたらやりかえせの相互性に力で訴え、なんとかして法の支配を逃れようとぢたばたし、他者の自己犠牲をあてにして自らは生き延びようとします。

あなたは倫理や道徳なんて、ふだん考えてみたこともないでしょう? 彼らは焦がれたあげく自意識と重なるほど、つねに思い、悩んでいます。これほど道徳的、倫理的な人間に、俗世間ではめったにお目にかかることはできません。ま、お目にかかったが最後ですがね。

なにをいうのやら、得手勝手なだけじゃないかって? 道徳や倫理とは真逆だろうというわけですね。そうですね。彼ら悪人や犯罪者なら、こんな風に開きなおるかもしれません。

もっとも上の道徳的・倫理的行為ってのは、「自己犠牲」なんじゃないのか? ならば、悪の道を邁進することで、道徳や人倫を光りとともに降臨させて、自らは地獄に落ちる我々こそ、尊い自己犠牲を払っているともいえるわけだ。

ま、わたしがいうとただの詭弁に聴こえるでしょうが、「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」の「悪人正機説」そのものなのが、フラナリー・オコナーの「善人はそういない」です。殺される善人より、殺す悪人の方が、はるかに知的で、宗教的な理会も深いのです。

この「半端物」と渾名される脱獄囚も、いずれ殺されるかのたれ死にするのでしょうが、すでに往生しているのがわかるはずです。ほかにも、ジョー・R・ランズデールの「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショー」では、人殺しより犬殺しを嫌悪する道徳的な悪人が登場します。

「スカッと爽やか」するのは、わたしたちもまた、彼らのように道徳的・倫理的人間になれるのだという解放感によるものです。

そして究極の自己犠牲を捧げんと上昇することもできる。地獄へ降りずに。読者ですから、どこまでも安全な立場で、見晴らしのよい場に立てるわけです。

と、ここまでが直後の読後感です。消化不良を起こして不快感が残るという悪影響が、もっとずっと先になって出てきます。「ゲテもの喰い」の人がいう「後味が悪い」とはこのことです。

ふと考えるわけです。彼ら悪人は、道徳や倫理に縛られていないとか、縛られているとかじゃないのではないか。わたしたちが考えるプラスチック成形されたような社会道徳や人間倫理を、彼ら悪人が意識しているとはとても思えない。

概念以前、言葉以前から意識されたもの。まるで血肉をそなえるかのように、気味わるくうごめき震える、規範と後に名づけられたある欲望に、彼ら悪人は捕らわれたのではないか。たとえば、ヌルヌルのたうつ黒犬の化け物と対話するおぞましい異界で。

そして、彼ら悪人の規範の化け物と、わたしたちの道徳や倫理とは、じつはつながっているのではないか。いや、そんなことはあり得ない。いや、すでに人間が考えたことは、すべてあり得ることだ。現にそんな小説物語がこれほどたくさんあるじゃないか。

そんな風にぐるぐる思い考えるようになります。これが消化不良に似た不快感の正体です。ヌルヌルのたうつ黒犬の化け物を呼び出し、対話をはじめているのです。そこでほんとうの不安と恐怖を楽しむことができるのです。それは悪い遊びです。では、ほかの「厭な物語」をご紹介。

「すっぽん」パトリシア・ハイスミス
厭な母親が出てきます。

「フェリシテ」モーリス・ルヴェル
厭な紳士が出てきます。

「くじ」シャーリイ・ジャクスン
厭な村人たちが出てきます。

「シーズンの始まり」ウラジミール・ソローキン
厭な狩人が出てきます。

「判決、ある物語」フランツ・カフカ
厭な父子が出てきます。

「赤」リチャード・クリスチャン・マシスン
厭なパパがいます。

「言えないわけ」ローレンス・ブロック
厭な遺族がいます。

「うしろをみるな」フレドリック・ブラウン
厭な男があなたのうしろに

自分を除けば、こんな厭な人間はまわりにいないはずです。しかし、念のために厄払いしておきましょう。

May God always fill your heart with happiness!

Godを逆に綴ると・・・。

(敬称略)
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名は体を表す

2013-03-13 02:01:00 | 3・11大震災
3.11記念の特集記事や特別番組でにぎやかだった。にもかかわらず、だからこそなのか、風化がすすんでいる気がするのは、わたしだけだろうか。この集会を知ったときも、えっ、そこまで風化はきているのかと驚いた。

「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」
http://sayonara-nukes.org/2013/03/130309action/

「つながろう」にはいっとき安売りされた「絆(きずな)」の焼き直しを、「さようなら」には別れ忘れを連想したからだ。そうではなくて、福島の原発事故被害と脱原発の拡がりに連帯しようということらしい。それとわかるのに、しばらく時間がかかった。あなたはすぐにわかっただろうか。

「つながろうフクシマ!さようなら原発」。たった17字に過ぎないのに、異和感がまとわりつく。ひらがなとカタカナばかりの猫なで声、ヒロシマ・ナガサキにフクシマをつなげる安直さ。フクシマにも、「過ちは繰返しませぬから」と石碑でも建てるつもりなのか。

合意形成をめざす真摯な足踏みより、人を舐めた多数派工作の泥足がみえてしまうのは、わたしだけだろうか。「福島に連帯を 脱原発集会」、あるいは「3.11脱原発集会」ではどうしていけないのか。そこに、「つながろうフクシマ!さようなら原発」やら、多様な団体・個人が参加するならわかる。

統一スローガンを掲げなければという旧態依然には、かつての「勝手連」や最近の金曜日の官邸前デモ、ツイッターやフェイスブックの呼集デモなどから、何も学んだ形跡がみられない。目的も動機も行動さえ、統一させず、参加だけを呼びかける。そんな「経験」は、まるでなかったかのようだ。

上目づかいの見え透いた言葉づかいに、かえって運動のための運動が露呈してしまっているではないか。にもかかわらず、だからこそなのか、いつものように大江健三郎が登壇席に鎮座している。君はそこから降りて、文学者の一人として、最前列にあぐらをかいて座っているべきなのに。

脱原発もヒロシマ・ナガサキの反核運動とよく似たキャンペーン運動に堕したのかと、やはり風化を思わざるを得ない。あれから、まだ二年なのに、もう二年になり、人の噂も七年になるわけか。

(敬称略)
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インフレ目標2%は達成不可能 2

2013-03-06 01:50:00 | 経済
野口悠紀雄氏:インフレ目標2%は達成不可能」文字起こし
公開日: 2013/01/26 http://www.videonews.com/
話し手:野口悠紀雄 聞き手:神保哲生


文字起こし後半部は、動画の16:20~




神保: なるほど、で、先生ね、なかなかアベノミクスとか金融緩和とか、われわれには本当の意味で正確には理解しにくいんですが、たとえば野口先生もそのお一人だし、ほかにもいろいろ懸念を表明されている方は多いわけですよね。とはいえ、日銀も2%だとか、規制緩和については政府の路線を踏襲するとか、そういう共同声明を出しているのをみてね、これもし、ほんとうにジャブジャブお金を刷り、国債をどんどん買いということをなっちゃって、先生がおっしゃるように、実際にはインフレターゲットにも行かない、いまの状態だと行かない間もずっと刷り続けるというようになりそうですよね、これはどういうリスクというか、それを実際にやった場合に、一般市民としては何を懸念してなきゃいけないということになりますか、何を心配しなきゃいけないか

野口: いまの方針を続ける場合、危険はないんです。なんで金融緩和をやっているかというと、2%物価上昇率を上げるとか、活性化するとかいっていますが、あれはまやかしに過ぎない。で、本当の目的は国債を買うことなんです。たとえば、いま大型補正をつくりますね。で、国債を5兆円増発することになります。で、ほっぽっとくと金利が上がっちゃうんです。それを抑えるために、日銀が買う必要があるんです。国債の発行額は、この数年急増してるんです。で、それによる金利上昇を抑えるために日銀が買ってるんです。それが金融緩和です。金融緩和の本当の目的は、物価上昇率を高めることではありません。国債を買うことなんです。このことを国債の貨幣化といいますが、国債が増発されて金利が上がるのを防ぐためですね。それはいまも行われています。ただし、それはいつまでもできるかっていうと、できなくなりつつあるんです。つまり、さっき、いちばん最初に金融緩和は何をやっているかというと、銀行が持っている国債を日銀が買うんだといいましたね。銀行はイヤだということができるんですね。つまり、日銀が買いたいだけ買えないということなんです。で、こういう状態を札割れといってるんですが、札割れはじつは去年の9月から頻発しています。ということは、いまのまんまの金融緩和は進められなくなる。無制限の金融緩和やるっていうんですが、無制限にできるとは限らないんです、無制限にできなくなりつつあるんです。これを突破する方法は、日銀に直接買ってもらうことです、市場を通じながら。国債の日銀引き受けですね、国債の日銀引き受けをやると、この問題はぜんぶ解決します

神保: そこまでいきますか?

野口: わかりませんけれど、いまの法律が行き詰まりつつあるんですから、そうなる可能性はありますね。ただし、そういったことを政府が求めてきた場合に、日銀はNOっていうんです。いまの日銀法ならNOといえる。これが日銀の独立性ですね。ただ、政府の一部には、この独立性を破って、日銀法を改正しようって考えを持っている人もいる。で、そうすると、政府は日銀に命令できるんですね。こうなれば事態は一変しますね。で、じつはいまの日銀法といいますのは、これは1989年にできた法律で、その前の法律、これは戦時立法で昭和17年にできた法律ですが、この法律では政府が日銀に命令できることになっているんです。で、それがいろいろな問題を生んだためにですね、戦後のインフレーションとか、そんな問題を生んだために、いまの日銀法になったわけです。それを踏みにじろうというのですから、これはひじょうに問題です

神保: いまの問題でもあれですね、日銀法の改正論議というのは、よく聞くのは手段の独立とか、目的の独立みたいなことで、手段は自分たちで自由にやっていいけれど、目的は政府と共有しなければいけないから、改正が必要だと。ほんとうにウォッチしなければいけないのは、手段も命令するような

野口: 目的を共有すれば手段も共有することになります。目的が決まれば手段は束縛されますね。だから、目的と手段を分離するなんて、それは詭弁だと思いますよ。とにかく、いまの法律では、目的についても手段についても、政府は命令できないんです。それを命令できるようにしよう、戦時立法に戻そうってのが、日銀の独立性を破ろうって考え方です

神保: で、先生いまハッとしたんですが、金融緩和の目的は国債を買うことだと

野口: もちろん

神保: で、金融緩和の方は実際は仮面をかぶっていて

野口: 仮面というのは2%物価上昇率を上げるとかですね、できもしない2%という目的を上げるのはなぜかというと、本当の目的を隠すためです

神保: 隠すため

野口: 2%といえば、いつになっても実現できませんから、いつまでも金融緩和政策をとり続けることができます

神保: 国債をどんどん買い続けることになると

野口: そうです

神保: そうすると金利が上がらないと。そうすると、これはものすごい高等手段ですよね

野口: 高等手段ではないです。歴史が示しているのは、財政赤字が積み上がった政府は常にそういうことをやっているということです

神保: この話はどこに首謀者がいるんでしょうか
 
野口: どこに首謀者がいるかわかりませんけれど、少なくとも巨額の財政赤字から抜け出せない政府は、インフレを求めていますね、あるいはこういう状況の中で、赤字が増えるから財政ができない、政治家は財政を増やして人気取りをしたいですから、その制約はぜひとも外したいですね。で、インフレを求めている人は世の中に大勢いますね。負担を負うのは国民です

神保: ひじょうに初歩的な質問で、どういう形で国民に負担という形で返ってくるんですか

野口: 定期預金がチャラになるんです。これは日本国民は終戦直後に経験したことですよ。終戦直後に、基本的にいまと同じようなことが起きて、インフレが起きたんです。物価が120倍くらいになったんですね。で、戦時中に戦時国債をたくさん買わされましたね。この国債が紙切れになったわけですね。そのことがまた起こるということです

神保: それはハイパーインフレ

野口: ハイパーではないですね、ハイパーってのは一兆倍とかそういうことですからね。日本の場合、100倍くらいですからね、100倍でもね、100円が1円に、100万円が1万円になるのは、大変なことですよ

神保: いまの100倍なんていう可能性とか危険性はどれくらい現実的なものとして、われわれが考えなきゃいけないんでしょうか

野口: それはどの程度の国債を発行するか、どの程度財政支出を増やすかによりますね、どの程度というのはいえません。何をやるかによります。ただし、終戦直後と違うところは何かといいますと、いまは資本取引、国際的な資本取引が自由になっているということですよ。その結果、何が起こるかというと、日本でインフレが起こると予想したら、日本の資本は海外に逃げ出すということです。これをキャピタル・フライトといいますが、キャピタル・フライトをするとなるとそれは円を売るということですから、円安になりますね。円安になって輸入物価が上がりますね。ですから、国内のインフレが加速されますね。そういうことになって、コントロールできなくなる可能性がひじょうに強いですね。つまり、日銀引き受けを認める、日銀の独立性を破るってのは、そういう危険に日本を晒すってことです。だから、それゆえにひじょうに重大な問題なんです

神保: で、いまの話は、自民党の三本の矢といっているけれども、実際は三本めの矢は実際はほとんどまだ出てきていない感じで、成長戦略とか規制緩和とか出ていうないので、じつは財政出動だということなんですか、これは

野口: 財政出動はすでに決めたわけですね、で、財政出動をやると国債は増えますね、金利が上がりますね、金利が上がると問題なので日銀が買うと

神保: すると結局は、財政出動を中心に据えた、でまあそれをちょっと金融緩和という

野口: それをスムーズに行うために金融緩和をやるわけですね。だけど、財政出動のために国債を買うのが目的だというと批判が集まるから、だから物価を上げるんだといってるんですね。だからそれはまやかしの目的です

神保: だから変な話、物価は上がらない方がいいんですね、そのまま買い続けることができちゃうから

野口: 物価は上がらないんです。影響はないです。でも、金利上昇は抑えるって効果は明らかにあるんですよ、国債を買っているわけですから

神保: 危険な兆候を見破るために、どのあたりをわれわれはウォッチしなければならないですか

野口: 円がある程度の水準になったら危険ですね。ですから資産をドルに換えることを真剣に考えないと危なくなりますね

神保: ある程度といいますと、いったん90円くらいまでいったのが、いま88、87円まで少し円高に戻していますが、どのくらいを

野口: 簡単な計算を申しますとね、2%に上がるっていっているわけでしょ、消費者物価を2%上げるためにはですね、輸入物価が4割上がる必要があるんですよ、過去のデータからみると。ていうことは、円が4割り安くなれば、そうなるんですね。ていうことは、いま仮に90円だとしますね。4割ということは120~130円くらい。そのくらいになりそうだったら危険ですね。つまり日本人はですよ、自国の通貨である円を安心して持てなくなるってこです。ひじょうに悲劇的なことですね。円の価値を守るってことこそ、政治的なもっとも基本的な責任じゃないですか。それが果たせなくなるってことです。どこでウォッチしたらよいかというひとつの答えがそれです

神保: 為替をみると。先生どうですか、ずっと経済をみてきて、ここにきて来て日本がついに、自民党政権に戻って、インフレターゲットとか、金融緩和でデフレ脱却とか、どうも国の政策で出てきたと、一方で20年、何をやってもなかなか日本の経済の活性化ははかれなかったというのも事実で、多くの人はなんだかよくわからないけれど、こんどはこっちにやらしてみてもいいんじゃないかと

野口: 違います。それはさっきいったように20年間金融緩和をやり続けたんです。さっきいいましたように。で、効果がなかったんです。つまり、ほんとうは経済の構造を変えなくてはいけないんですね。世界の状況の変化に対して。それは手術みたいなもんですよ。でも、手術は痛いからいやだと言い続けてきたんです

神保: それは規制緩和とか既得権益を切るとかのことですね

野口: それは嫌だから、金融緩和という麻薬を飲みましょうと、それを20年間飲み続けてきたんです。いまになって起こったことではありません。20年続けてきたんです。それをさらに続けようということです

神保: なるほど

野口: だからまだ麻薬を飲み続けていきたい、末期的症状ですね。だから、真剣に考えなくてはいけないです。日本ていう国を捨てざるを得なくなっていますね、いまや

神保: 先生、僕の方でほんとうは先生に聞くべきことを聞きそびれていて、ということはほかにありますか

野口: だいたいカバーしたと思いますが

神保: わかりました。どうもありがとうございました

(敬称略)





















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