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産経抄の手口を学んだらどうかね

2013-08-07 23:23:00 | 政治
新聞コラムを読むなら、朝日「天声人語」や読売「編集手帳」より、産経「産経抄」です。大学の入試問題には向かないが、「日本語の作文技術」を縦横無尽に駆使していながら、ほとんど作為を感じさせない見事なコラムを書いています。



2013.8.3 03:08[産経抄]http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130803/plc13080303080004-n1.htm

▼久々にぎょっとした。朝日新聞など一部メディアが繰り広げている「麻生太郎副総理ナチス発言」祭りに、である。きのうの朝日新聞を見ると、1、2面と政治、社会面、それに社説まで動員しての大騒ぎである。

読売新聞も社説で、「麻生財務相発言 ナチスにどう改憲を学ぶのか(8月3日付))」と痛烈に批判しているのに、なぜか朝日新聞だけを名指して書き出しています。その理由は後で判明します。

▼麻生氏は7月29日、都内で開かれたシンポジウムで「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね?」と発言した。確かに字面だけをみれば、あたかもナチスの手法を称揚しているようにみえる。

この「字面」と称揚が、重要な仕掛けと伏線になっています。ふつうに読めば、「字面」とはこの文章のはずです。

ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね?

この「字面」を再構成して、要約に印象をくわえたのが、次の一文です。

確かに字面だけをみれば、あたかもナチスの手法を称揚しているようにみえる。

新聞にふさわしい文章語にただ書き換えたようですが、じつはかなり手が込んでいます。わかりやす「過ぎる」話し言葉をわかり難くする、それがこの文章の目的です。

「犯行の手口」というように、「手口」といえば、きわめて即物的なものに対し、「手法」はもっと広く方法論まで指すものです。したがって、「手口」を「手法」と言い換えるのは無理があるのですが、「字面」とやや貶めているために、やや高級な表現に言い換えたくらいにみえます。

しかし、それ以前に重要な仕事がすでに済んでいます。「手口を学んだら」という誤解しようもないひとまとまりの言葉を、「手口」と「学んだら」に分解しているのです。悪事を連想しがちな「手口」をいちはやく遠ざけたのは、そのついでに過ぎません。真正なテキストである「字面」から、読者を「解放」しているわけです。

「手口」を「手法」と言い換える以上に、「学んだら」を「称揚している」に置き換えるのは、かなりの曲芸です。誰でもわかるこの不自然を「ようにみえる」と印象にして逃げています。「ようにみえる」のは、筆者の印象なのか、あるいは一般的な印象なのか、ここでは不明です。

書き手の印象を書くことは、無署名の報道記事では禁じ手なのですが、特定の筆者が書くコラムなら許されます。その強みを活かして、筆者の印象を一般的な印象に重ねて、最大限の効果を狙っています。

「学んだら」から 「 称揚している」というあきらかな飛躍を納得させているのは、読者の予想を裏切り麻生批判の次数を繰り上げているからです。右寄りといわれる産経新聞において、「産経抄」は左批判の直言をすることで知られています。「なぜか?」と読者は疑問を膨らまします。

前段で、「麻生ナチス発言」批判を「祭り」とあきらかに揶揄しながら、「ナチスから学んだら」を「 称揚している」とより高次に上げて、火に油を注ぐような真似をしています。麻生擁護の立場なのに、墓穴を広げたようなものです。

「称揚」と打った駒の役割は何でしょう? オセロゲームでいえば、「称揚」の白面は、「ナチスを称揚した」と麻生批判の次数を繰り上げたことです。「称揚」の黒面は、麻生さんが「ナチスを称揚した」事実はないということです。ここでは、白面が表になっていて、裏に伏せられている黒面は見えません。マスコミのオセロゲームでは、黒面を打ったり黒に裏返す者はいません。

さて、ここでまた、「字面」に戻ります。シンポジウムのスピーチという音声情報なのに、「確かに字面だけをみれば」と筆者はいいます。この「字面」とは、筆者がすぐ前で自身が引用した文章だけをじつは指していません。そう誤解させる狙いはありますが、いちはやく朝日新聞が文字起こして掲載した「麻生ナチス発言」の全文こそ「字面」なのです。

つまり、この産経抄は、朝日新聞の「麻生ナチス発言」記事への紙面批評なのです。したがって、「字面だけをみれば」には、(表面的)という朝日への皮肉を込めています。ちなみに、書き出しの「ぎょっとした」は、8月1日付の天声人語からの借用です。また、字面(表面的)という皮肉は、麻生さんへも幾分かは向けられているかもしれません。

鞄を持った女のブルース

クラウディア・カルディナーレです。いい女でした。

もちろん、産経抄の読者がすでに朝日新聞掲載の麻生発言全文を読んでいるとは限らず、読んでいたとしても全文を覚えているとも限りません。むしろ、そんな人はごく少数でしょう。そこで、麻生発言全文を「あたかもナチスの手法を称揚しているようにみえる」と読者に代わってまとめてみせた「ようにみえる」わけです。

「学んだら」を「称揚している」と飛躍させたのは、朝日新聞の麻生批判記事の要約から導き出された印象(批評)であると横滑りして、つまりは朝日が言い出したと朝日批判に逢着する仕組みです。朝日新聞が「称揚している」やそれに類する表現をつかったのかは、つまびらかではありませんが、そう思わせることに成功しています。

読者にとっては、他紙記事の要約と紙面批評を一度に読めるわけで、便利で親切な印象が残ります。しかし、繰り返しますが、麻生さんが「ナチスを称揚した」事実やその形跡はないのです。朝日新聞掲載の「麻生ナチス発言」全文を読めば、すぐにわかることです。また、わざわざ読まずとも、「ナチスの手口」という貶めた表現は、「称揚」ではあり得ません。

つまり、「称揚」とは、後でパチンと破裂させるために膨らませた風船のようなものです。ありもしない風船をあるかのようにみせているだけですが、パチンと音がして風船が眼前にないとき、破裂して消えたのか、元からなかったのかはわかりません。麻生さんの発言全文を読む人は珍しいからです。そして、その風船を膨らませたのは筆者ではなく、朝日新聞だと言外にいっているわけです。

▼在米のユダヤ系人権団体が「どのような手法がナチスから学ぶに値するのか」と非難したのもうなずける。しかも、ナチスは憲法を改正も制定もしておらず、形の上でワイマール憲法は戦後まで存続していた。

在米のユダヤ系人権団体とは、たぶんサイモン・ヴィーゼンタール・センターのことだと思いますが、「どのような手法が学ぶに値するのか」というコメントは興味深いものです。原文を読みたいところですが、それはともかく、風船がパチンと破裂する音が聴こえたでしょうか? 

ナチスがワイマール憲法を改正していなければ、その改正の手口を学びようがありません。したがって、ナチスから学ぶ、反面教師として学ぶ、いずれも成り立ちません。麻生発言のナチス例示が不適切という以前に、事実誤認に基づくので、その批判を含めて無効だ、ということです。

▼首相経験者であり、しかも政権の柱である副総理として軽率極まりない。ただ、彼の肩を持つ義理はないのだが、前後の発言を詳しく点検し、当日会場にいた記者や傍聴者の話を聞くと、だいぶ様子が違う。

たたみかけるように、「軽率極まりない」と読者国民に代わって叱るという手仕舞いに入っています。先の「字面」が「軽率」と巧く対応しています。

しかし、ワイマール憲法を改正してナチス憲法へ、だれも気づかないで変わった、それが麻生の事実誤認であろうと、「だれも気づかないで」憲法を変えるという反民主主義的な「手口を学んだら」とした発言の問題は相変わらず残るのではないか。そんな疑問を残す読者には、「だいぶ様子が違う」と現場の声を振り向けます。

▼討論者の一人として参加した麻生氏は「(憲法改正は)喧噪(けんそう)の中で決めないでほしい」と改正積極派が多い聴衆に向かって何度も繰り返している。「ナチス発言」も彼特有の皮肉な口調で語られ、場内に笑いも起きたという。ある傍聴者は、「ナチスをたたえているようにはとても聞こえなかった」と話す。

取材としては貧弱ですが、ようするに、自民党の参議院選圧勝に勢いづく改正積極派が多い聴衆を前にして、「静かに憲法改正を進めよう」という意図から、「ナチスの手口を学んだら」となかばジョークを飛ばしたに過ぎない。そういうまとめです。「だれも気づかないで変わった」に対する、反論、反証の体をなしていませんが、次の決定的な一行がこの疑問を打ち消してしまいます。

▼朝日新聞などが、シンポジウム翌日に一行も報じていないのが何よりの証拠である。

乾坤一擲の一行です。これまで長々と解説してきたように、この産経抄はさすが練達の書き手だけに、文章、構成ともに工夫が凝らされていますが、これには唖然としました。

当初、朝日は書かなかった、朝日自身も問題発言とは思わなかったからだ、麻生発言に「軽率」以上の問題はない、当初、書かなかったのが、「何よりの証拠である」。

委曲を尽くして、「麻生ナチス発言」擁護とその批判の沈静につとめながら、積み上げてきた記述のすべてを無視するかのように、最後の風船を破裂させました。パチン! 風船が消えた後に残るのは、この一行だけです。

朝日新聞の権威の裾に縋りつきながら、脚に噛みついている。真剣と自傷の巧まざるユーモア。この産経抄が読者に愛される理由がわかる気がします。

コラム同業者の天声人語子へエール交換でもあります。この8月3日の産経抄と8月1日付けの「天声人語」を読み比べると、「発言の真意」において、ほとんど異同なしと読むこともできます。右産経と左朝日の対立というのも、ありもしない風船に思えます。

(敬称略)



Someone to watch over me

2013-08-05 22:05:00 | 音楽
Nikki Yanofsky


「誰かが私を見つめている Someone to watch over me 」という名曲です。エラ・フィッツジェラルドやサラ・ボーンの歌唱で知られた曲ですが、最近ではスティングが歌って有名になりました。

John Scofield Trio2010]


Donald Byrd Quintet
http://www.youtube.com/watch?v=5GJXN450MtI#at=18

Seldon Powell
http://www.youtube.com/watch?v=imgbWmfwBe0&feature=player_embedded

サムワンワッチオーバーミー

さっきから、何ガン付けてんだよお
おっとろしいな、朝っぱらから
あんだってえ
いやね、おまえさ、ま、いいや、いいよ、もう
言いかけてやめんなよ、気になんじゃねえか
ま、そんな感じじゃねえしな、出かけるのか?
だから、なんだっつーの! おっとこらしくねえな
おまえも女らしくねえな、年中、ジャージだし
なに、指さしてんだよ、カレンダーがどうかしたか
だから、もういいよ、出かけるのか?
出かけんよ、ついてくんなよ
寒いから、革ジャン貸してやる、着てけ
夕方には戻るよ
遅かったな
ああ、ちょっと手間取ったかんな
飯、どうする?
ほらよ
なんだ、この紙袋、パチンコに行ってたのか?
うっせえな、それ欲しかったんだろ
ガーナにアーモンドにマカダミアか、知ってたんだ?
ったく、ガキみてえによ
ま、欲しいってほどじゃないが、知ってるのかなって
バレンタインくらい
だいぶ負けたのか?
買った方が安上がりだった
やっぱ、おまえっておもしろい
云ってろ
革ジャンは着てろ
どっか飯食いに行こうや

嫌韓へなびく前に 2

2013-08-03 00:35:00 | 政治
嫌韓へなびく前に で朴裕河(パク ユハ)さんの論説を紹介しましたが、この8月1日、従軍慰安婦問題の新たなウェブサイトが開設されました。「性奴隷」「強制連行」派の代表的な研究者である吉見義明中央大教授らが中心となり、ウェブ制作には「日本の戦争責任資料センター」「『戦争と女性への暴力』リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)」の2団体が協力しています。

Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
http://fightforjustice.info/

これまでに収集した証言や写真など、従軍慰安婦問題の「事実」を掲載し、内外に情報提供していく目的です。興味深いのは、従軍慰安婦から日本軍「慰安婦」に用語を変更している点です。従軍慰安婦問題を日本に特化する狙いかもしれません。たとえば、<Q&A>「6 朝鮮戦争やベトナム戦争でもあったのか? 」へは以下のような回答がされています。

朝鮮戦争のときに韓国軍は日本軍と同じような慰安所を設け、また韓国政府が米軍のために慰安所を提供したことがありました。これは韓国において、韓国軍の資料などを使った研究が出ています。これ自身、たいへん大きな問題で人権蹂躙行為です。

ただなぜ1950年代において韓国軍がこうした慰安婦制度を作ったのかを考えると、当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが多数いました。いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていたのです。

その代表的な人物で、後に軍事クーデターをおこして政権を奪い、長期軍事独裁政権を指導した朴正熙を見ると、彼は満州国の軍官学校を出て、さらに日本の陸軍士官学校も卒業しています。そして戦時中は、満州国軍の将校です。満州国軍とは日本軍の指導下で、満州の抗日ゲリラの討伐をやっていた軍隊です。

日本への抵抗派、独立派を弾圧していた人物であり、典型的な親日派です。朴正熙は、陸軍士官学校では、陸士第57期ですが、このときの陸軍士官学校校長は後に沖縄の第三二軍司令官になる牛島満です。第三二軍は組織的に大規模に沖縄各地に慰安所を設置したことは有名です。

つまり旧日本軍出身者が握っていた韓国軍は、日本軍のやり方を真似たのです。朝鮮戦争の例を持ち出して、日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを反省しなければならないのではないでしょうか。

びっくりする解説です。先頃、朝鮮戦争休戦60周年記念式典に出席したオバマ大統領は、「朝鮮戦争は韓国が勝利した!」と演説しました。「いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていた」とすれば、朝鮮戦争に「勝利」したのは、朴正熙ら対日協力者たちのおかげであり、つまりは彼らを育てた日本のおかげとなります。それでいいのでしょうか。あるいは、北朝鮮がそのまま侵攻して、南北朝鮮が統一されればよかったのに、残念だったということなのでしょうか。

たしかに、韓国では朴正熙元大統領の独裁政治や旧日本軍将校出身に根強い批判があることは事実ですが、韓国の高度経済成長を主導した偉大な大統領だったとする高い評価もそれ以上にあります。元とはいえ、他国の大統領を、それも「親日」を罪として一方的に弾劾するのは、解説の域を越えています。

また、朴正熙が学んだときの陸軍士官学校の校長が、後に沖縄に慰安所を設置したからといって、朝鮮戦争時の慰安所と関係づけるのは強引を通り越しています。陸軍士官学校が慰安婦の募集や慰安所の設置運営を教え、朴正熙が朝鮮戦争時の慰安所設置を直接に指揮した記録でもない限りは。

以上のような牽強付会を重ねて、朝鮮戦争時の韓国軍の慰安所の起源は日本であり、「むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったこと」を日本が反省しなければならないという結論に至ります。すべての悪と罪は日本に帰結するかのようです。

これほどにもなると、もはや自虐思想とはいえず、原罪意識に近いものです。倫理的な主体性を持ち、したがって贖罪の資格を有するのは唯一日本だけ。だとすれば、ユダヤ教の受難思想に基づくシオニズムの選民思想に近いものを感じます。

「日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまった」という表現にもそれがよく表れています。一般に、悪習と犯罪は区別されるのに、一緒くたにされているのは、日本軍の「犯罪」が韓国軍に「悪習」として受け継がれた、と韓国を免責したいがためでしょう。

「悪習に染まる」とは、大人から子どもへのように、上位者から下位者へ伝わる関係を示すものです。責任の主従というより存在としての主従関係をはからずも浮かび上がらせています。あるいは、当時としては慰安所を悪習とみなすことができるが、現在からみれば犯罪であるという、自らの主張の矛盾を露呈したものとも読めます。

というわけで、すべてを読んだわけではありませんが、読み進めるのはかなりしんどいものがあります。日本が批難されているというだけでなく、度を越した卑下や反省の強要が、裏返しに傲慢な自尊心をうかがわせ、転倒したナルシズムを感じるからです。まるで日本人は、人間の罪をすべて背負って磔刑に処せられたキリストであるかのようです。

「従軍慰安婦論」より「従軍慰安婦論・論」が必要なのかもしれません。そこで口直しといっては失礼ですが、「従軍慰安婦論・論」の視点を含む好ブログを紹介します。最近見つけたばかりなので、やはりすべて目を通したわけではありませんが、自らを「ネトウヨ」と韜晦(?)しながら、じつにクールに展開しています。

続・慰安婦騒動を考える
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/

(敬称略)

そこ、静かに

2013-08-02 01:21:00 | 政治
最近の安倍首相のスピーチはわるくありません。野田首相や菅首相より、はるかに考え抜かれた言葉を選んでいます。優秀なスピーチライター(たち)がついたのでしょう。麻生太郎さんにも必要ですね。麻生さんのスピーチは・・・、ま、読めばわかります。

麻生発言の1

韓国の朴槿惠(パク・クネ)大統領の就任式に出席して会談した際に、朴槿惠大統領から、日本の歴史認識の問題を指摘されて、以下のように返したそうです。

米国を見てほしい。米国は南と北が分かれて激しく戦った。しかし南北戦争をめぐり北部の学校では相変わらず“市民戦争”と表現するところがある一方、南部では“北部の侵略”と教える。このように同じ国、民族でも歴史認識は一致しないものだ。異なる国の間ではなおさらそうだ。日韓関係も同じだ。それを前提に歴史認識を論じるべきではないだろうか

日朝併合史にアメリカの内戦史を例示する不適切さは誰でもわかるでしょう。また、アメリカの北部では南北戦争を市民戦争といい、南部では北部の侵略戦争と呼ぶほど、同じ国でも歴史認識は違うのだから、異なる国の日韓ではなおさら、とつなげています。

韓国では日本の侵略戦争といい、日本では○○戦争と呼んでいる、この文脈ならそう続けなければなりません。はたして、アメリカ北部人がいう市民戦争に相応するような、非侵略戦争の呼称が日本にあるのでしょうか? 北部の人々の“市民戦争”のように、非侵略戦争である○○戦争という呼称や定義が日本側にあり、大部分の日本人がそれに同意しているでしょうか? 

自衛戦争? 歴史上、ほとんどの戦争は自衛戦争の名目と大義において戦われたといわれています。イギリスが中国に仕掛けたアヘン戦争など、「自由貿易を守る」という自衛より気高い大義がありました。非侵略戦争である○○戦争がなければ、この例示はまったく無意味といえます。無意味なことを得々と語る人を、たいていの人は何と呼称し定義するでしょうか。

新聞記者相手の居酒屋談義ならともかく、大統領就任式後の公式会談で、麻生さんが朴大統領にこんな妙ちきりんな歴史談義をしたのに呆れましたが、それさえどうも自分の頭で考えたのではなく受け売りらしいということを最近知って、さらにがっかりしました。

米バージニア州にあるアーリントン国立墓地は、米大統領や、日本や韓国を含む多くの外国の指導者たちが訪れる。埋葬されている兵士の中には南北戦争中、奴隷制を支持する南部のために戦った者がいるにもかかわらず、である。今日、先進的な世界の大方で奴隷制は容認されていないが、それを信奉した南軍の兵士たちは墓地から排除しなければならない、と要求する者は誰もいない(ジェームス・E・アワー) 

よく似た話でしょう? このジェームス・E・アワーさんのインタビューを読み直すと、南北戦争のとらえ方において、北部と南部の歴史認識は違う、日韓ではなおさら、という話をアメリカ人がしたのなら、なるほどと思える例示といえます。自国の南北戦争に引きつけてみせることで、南部人と同様に侵略戦争と言い募る韓国に悩む日本人へリップサービスとしては、有効な説話なのだろうと考えられます。

ジェームス・E・アワーさんは、日本人と会う度にこの話を繰り返し、そのなかに麻生さんも含まれていて、話に感じ入ったのでさっそく朴槿惠大統領会談に使ってみたというところかもしれません。麻生さんをはじめ政治家の「僕はアメリカに友人知己が多くてね」とは、この程度のことが多いようです。

しかし、たぶん、韓国人に対して、それも公式会談の席上ならなおさら、ジェームス・E・アワーさんは、靖国神社=アーリントン国立墓地や日韓関係に南北戦争の歴史認識の違いを例示する説話は、けっしてしないはずです。

麻生発言の2

さて、今回問題になった、「憲法改正はナチスの手口を学べ」発言が以下です。麻生さんは、昨夜、「ナチスの例示は不適切として撤回する」と記者発表しました。

僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

ええっ、ヒトラーは強権ではなく、民主主義によって国民から選ばれて総統になったのか! 知らなかった、そうだったのか、驚いたという反応を期待しています。

そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。

ドイツの憲法が不備だったから、ヒトラーが政権を簒奪できたのかといえば、そうではなく、当時のワイマール憲法は世界で最も先進的な民主的憲法でした。すばらしく民主的な憲法下であっても、独裁政権は誕生することに注意を促しています。ここまでは前段落の続きです。ここから先が意味不明。改正後の憲法の運営について話が飛んでいるようです。

ヒトラーとナチスの「行動」「見識」「矜恃」がドイツ国民の熱狂的な支持を受けたのと同様に、大日本帝国の「行動」「見識」「矜恃」も国民の圧倒的な支持を受けて、第二次世界大戦につながったわけです。しかし、自民党議員の「行動」「見識」「矜恃」はヒトラーやナチス党とは違って、ちゃんとしたものです、といいたいようです。

私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。

バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。


憲法改正について、20代、30代がきわめて前向き、就職難と不況から現実的に憲法改正を考えている。戦前戦後の不況を知っている麻生さんのような70代とは話が合うが、ひきかえバブル経済でいい思いした50代、60代が後ろ向きで問題。世論調査の分析らしいが、前後の文章とつながりません。

しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。

『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

時間をかけて静かに話し合って、自民党の憲法改正草案をつくりました。若手と長老議員が対等に考えを述べ合いました。党内民主主義の場においても、50代、60代が後ろ向きで問題だったと言外に云いたいのでしょうか。

ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

狂騒がいきなり出てきます。ナチスを支持したドイツ国民の熱狂をいいたいのでしょうか。しかし、圧倒的な支持を狂ったような騒ぎとはいいません。あるいは、現在の憲法改正論議が狂騒といえるほど、改正反対論が多いということでしょうか。賛成と反対があってはいけないのでしょうか。

靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

静かに党内議論して憲法改正草案をつくりました。靖国神社も静かに参拝すべきです。どうも、「静かに」がキーワードのようです。

何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

だから、憲法改正も「静かにやろうや」と麻生さんはいっています。ある日気づいたら、だれも気づかないで変わっていた。ワイマール憲法がナチス憲法に変わった手口から学び、騒ぎを起こさず静かに変えようと麻生さんは云っています。

わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

冒頭で、民主主義がヒトラー政権を選んだという話をしたのは、独裁者を生み出しかねない大衆民主主義の陥穽について警告したのではなく、ヒトラーは上手く立ち回ったという意味だったんですね。ようやくわかりました。たしかにヒトラーは民主的手続きを踏んで政権をとりましたが、ワイマール憲法を破棄して総統になってからは、独裁強権の政治を敷きました。

というより、独裁強権の政治を敷くために、まずワイマール憲法を破棄して新憲法をつくったことを指して、「僕は民主主義を否定するつもりはまったくありません」と気張っていいのでしょうか。また、いうまでもないことですが、「みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」と「だれも気づかないで変わった」は明らかに矛盾しています。

ふ-っと。疲れました。不適切といえば、ほとんどの例示が不適切です。全文を検討してようやく意味がとれそうなのは、「憲法改正はナチスに学べ」だけです。つまり、例示らしき例示はナチスだけといえます。したがって、「ナチスの例示を撤回」すれば、まったく無意味な話になります。

この発言には当然のごとく、国内はもちろん、すでに中韓に火をつけ、ナチスを糾弾するユダヤ人団体まで抗議の声を上げています。すなわち、日本の憲法改正論議を「静かに」どころか、「喧噪」に投げ込みました。こういう自らの主張と逆な結果を招く発言をする人を、私たちは一般に何と呼称し定義するでしょうか。



わたしに向いた職業

2013-08-01 00:00:00 | ノンジャンル
あなたに一番合った職業はこれったー!
http://shindanmaker.com/377617

で、さっそく試してみました。

コタツさんに一番合う職業は
適正率 :98.776%
職 種 :夜の蝶
予測年収:550万円


よ、よるのちょう? 
と意外な診断におどろき
28cmのハイヒールがあるのかと心配し
年収550万円という微妙さに
そうか売れない子なんだなあと
ここで深く納得した

よるのちょうブログって名前変えようかな。
深夜しか更新できないし。