ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

即興劇は目的か方法か

2007-08-27 16:23:21 | 本・論文・雑誌

プレイバック・シアター実践リーダープロジェクトで一緒だったSさんから、「学びの即興劇」第一章の感想が届きました。了解を得て、掲載します。

「俺は・・・、精一杯自分なりに、プレイバックシアター(PT)と向き合ってきたつもりです。だけど、すごく欲張りなんだよね。贅沢で、野心に満ちています。
第一章の中のふうみんは、ワークショップをリードすることで自分の能力を参加者に示そうとするのでもなく、またこの仕事に金銭を期待するのでもなく、ただただ環境問題に寄与するために自らの手法を捧げている、と僕の心には映りました。

第一章の中で「即興劇」は、「環境問題を考える」という明確な目的のための純然たる“方法”として扱われていました。
一方PTの領域では、この「目的」と「方法(手段)」が本末転倒になっている傾向を、僕は以前から感じて来ました。
“PTを使うのではなく、PTに使われている”、或いは“PTをやるためにPTをやっている”という印象を受けることが、割合多かった。

これは恐らく、「舞台の上でPT、或いは演技を見せる」構造に関係している現象だと思います。
また、PT自身の器が大き過ぎて、提供する側に明確なヴィジョンを持たせることを困難にしている、という一面もあるかも知れません。

目的と方法がすっきりと明快に分かれていたのは、主導する側の“目的(環境問題を考えること)に対する問題意識の具体性”と“何をどう変えたいのか、という方向性の明確さ”によるものなのかなと思い、ここに理性とか知性、そして“実践の歴史”を感じました。

とてもすっきりとした印象を受けました。」

即興劇は目的なのか、方法なのか。これは即興劇をやる場合の本質的な問いだと思います。私は、確かに即興劇は手段だと割りきっています。でも、だからこそ、目的がはっきりしないでワークショップに望んでしまうと、「アレッ?」と思ってしまうときがあります。「ちょっと違ってたな」って。

その点、プレイバック・シアターは「誰かの個人的なストーリーを分かち合う」という点ではまったくブレがない。・・・はずだけれど、不特定多数を対象としたパフォーマンスとなると、それ以上のものを求めてしまうのですね。なぜか。

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