ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

義父の最期に思う

2021-01-06 15:46:16 | 日記・エッセイ・コラム

義父の好んだ絵 モネ『カササギ』


11月20日に、義父のお見舞いに行ったことを書いた。
その義父が大晦日に亡くなった。
私がだし巻き卵を焼いている最中に。

8月には自宅で元気にしていた。
9月に首にできものができたことから甲状腺がんが発見され、
義姉さんがデイサービスセンターから、たびたび呼び出されることになった。
首の包帯がはずれた。治療行為はデイサービスではできない。医者へ連れて行ってくれ…と。

たまりかねて義姉さんは義父をショートステイで一時預かってもらうことに。
10月、ショートステイ先ではコロナのために義父に面会できなかった。
訪問診療を実施している医師に、義姉さん、その夫、カズさんと私で、話を聴きに行った。

「鍵を預けてくれれば、訪問介護で自宅療養ができる」という医師の話に対して
義姉さんは「夜に何かあれば心配。入院が一番」ということで、
甲状腺がんを診断してくれた病院がすすめてくれた病院へ、義父を入院させたのが10月末。

11月には、「おとうさんがあまり反応しなくなった」と義姉さんから連絡があった。
お見舞いに行くと、その時は面会できた。
義姉さんの話に反してあの時はまだ元気だったし、これほど急に亡くなるとは思ってもいなかった。

義姉さんは、「最期を病院で手厚く看てもらった」と満足しているようだった。
でも、病院でベッドに寝ている以外、何もすることがない状態は、果たして義父にとって良かったのだろうか。
鼻から栄養を補給して、排尿カテーテルを入れるという処置を、義父は望んだだろうか。
私には、生きる気力を失くしてしまったように思える。
けれど実際義父がどう思っていたかは分からないし、義姉の気持ちも分かる。

いずれにせよ、苦しまず、眠るように逝ったのは幸いだったと思う。
104歳。安らかな顔だった。
通夜もお葬式も親族だけで、涙する人はおらず、
姉弟とその伴侶がひと時をお義父さんのまえで楽しく語らって過ごした。
何よりの供養だったんではないだろうか。
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