ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

なぜ社会に目が向かない?

2016-10-31 09:44:04 | 授業・教育
ある授業にて。
受講生は、教師採用試験合格3割、企業へ就職2割、進学希望2割、その他現在進行中も含めて3割といった感じ。

道徳を考えるということでコールバーグの段階説をとりあげました。
例えば、友だちが道路に違法駐輪しようとしているとき、自分はどうするかという例を考え、自分に道徳段階を当てはめてみる。

その行動判断の基準が自己中心か他律的で、「社会をよくするとか変えるとかいう視点をほとんど持っていない自分に気づいた」という結果になってしまいました。

特に最近、そういう傾向が強く、これはキャンパスの学部構成が変わったためなのか、
それともそういう傾向が全国的にあるのか。

もちろん、人間の行動なんて自己中心で他律的なのは仕方ない、
そういうことも含めて生き抜いていくのだと思います。
それでも社会に向ける目は持ちたい。

ドイツZDFテレビ「フクシマのうそ」。
福島原発事故に関わるドキュメント、
http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html
ここには、原子力ムラに抵抗した人たちが出てきます。
これがドイツで制作・放映できて、日本では放映されないのでしょうか。
仕事を得るために、東電の事故隠しに協力せざるをえなくなるような状況に追い込まれても、チャンスが来たら告発できる人でありたい。

自己中心的もしくは他律的な人が、教師になるの?って感じですが、彼らのせいじゃない。
日本の学校教育ってそういう人を育てる教育をしてきている。
体罰などの罰で子どもの行動を規制し、損得でつり(「将来、損しますよ」って)、良い子であることを求め、ルールでしばる。
過度な校則。「空気を読めよ」という集団づくり。

教師自身に自覚があるかどうかはともかく、全体としては
自己中心でかつ他律的な人を育ててしまっている。

社会にとってどうなのか、どういう社会が良い社会なのか、本質的にどうことなのか、なんてことが、視野にない。
「どう受け止められるか」が最優先。

そういう自分も、学生に対して有効な授業ができているのか?
自分の授業の在り方も見直さなければ。

「アクティブ・ラーニング」と言うのは、そういうことだと思っています。
自分の頭で考え、行動できる人を育てる。
しかも独りよがりでなく、他の人と一緒に。
文科省が何を言っているかは別として。
それこそ、自立した市民をつくるために必要なんだと思っています。
「自立」と「共生」の社会。

「入試がある~」「教科書に縛られるから」「授業時間数が少ないから」できないというけれど、違う!
やるしかないのです。
教師が自立しなければ。
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