ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

取り返しのつかない失敗!

2019-07-13 19:15:39 | 授業・教育


依頼されて講演してきたのだが、失敗だった!
薄い話をしてしまった。
それに気づかず、質問に対しても、的はずれな答えをしてしまった。

その夜、後悔で眠れなかった。
結局、明け方明るくなってくるころに少しウトウトし
風邪をひいてしまった。

発端は、S大学で教育パフォーマンス系科目の非常勤講師を依頼されたこと。
この夏、集中講義をすることになっている。

教員養成系の学生に、パフォーマンスを通して「自己、他者、社会と出会い直す」科目として位置づけられている。
教員養成系にそういった科目を必修でもってくるというのは、英断だと思う。
その科目の意味付けを講演してほしいということ。

S大学には、その科目を担当できる専任教員はおらず、またその科目の設定を中心になって担った方は担当をはずされた。
こういう状況で設定された科目だからこそ、この講演は重要な意味を持っていたはずだ。

でも、講演に関しては、どこか慢心があったのか。
あるいは、のんびりした3ヵ月を過ごして感覚がおかしかったのか。
はたまた、その日疲れすぎていたのか。
すべてだと思う。

「以前にもやったこと」と高をくくって内容を詰め込みすぎて、十分練れていなかった。
一線を退いて、感覚がボケていた。
その前の打ち合わせで、すでに疲れていた。そもそも遠すぎる。

最後の質疑で「O大学の例とR大学の学生の例をあげられましたが、R大学の学生の良さは何でしょう」と質問されたときに、気づくべきだった。
なのに、まともに「いや、R大学の学生はこれこれの良さがありますよ」なんて答えていた。

そうではない。
私はO大学に比べて、R大学の学生が劣っていると言いたいわけではなかった。
だから「それぞれ違う。パフォーマンスでは、その違いが良く分かる。違っていても、ステップを踏めばお互いの関係をつくっていける」、と答えるべきだった。

だけど、それは講演の中で十分に話した気になっていた。
肝心のそこが伝わっていなかったということに、帰ってから気づいた。
結局、パフォーマンスの意味を伝えられなかったことになる。

こういうことをしているから、こういうことが広まらないのだろう。
皆さん、熱心に聞いてくださった。
でも、あまり有益な講演だっと思ってくださらなかったのではないか。

それから、講演を手伝ってくれたUさんへの配慮も欠いていた。
心の余裕が失われていた。
いつもそう。人としての容量が小さいというか、エネルギーがないというか…。

そういう自分が悲しい。
悔やんでも悔やみきれない。
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