秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

終末医療

2006-04-23 | 世情雑感
4月もあと1週間、ぼちぼち防寒ものは片付けようと、ストーブやコートをなおし、鉢植えを整理し、黄砂で白くなった車も洗いました。朝からよく働いたので腰が痛い。

脚立にのれる間に、天袋など高い所のものが整理しようと思っていますが、しゃがんで仕事することでも、最近はあとがこたえます。

記憶力も悪くなり、大事な貴重品でさえもどこに置いたかを思い出せないことがよくあります。

親戚の叔母は一人住まいだった頃、銀行通帳を探してほしいと姪である妹によく頼んでいましたが、今は施設で暮しています。

実家の母も認知症がどんどん進んでいますが、妹が世話をしてくれています。

中学3年生だった晩秋、今から40年近く前の話です。
同居していた祖母は柿の実を見上げていて倒れ、その夜遅くに息を引きとりました。

当時は近くの医者に往診をしてもらい、そのまま座敷に床を敷いて寝ていましたが、脳卒中だったので親戚のものがどんどん集まってきました。

大きないびきをかいて寝ていたので、隣の台所で久しぶりに顔をあわせて積もる話に花が咲いていました。

夜も深まり、こんなに大勢いながら、いつ死んだか知らんというのもなぁということで、叔父がのぞきにいくともう息をしていませんでした。
せめて1週間ぐらい寝てほしかった、なんて話したものでした。

今の時代なら、最初倒れた時にすぐ救急車を呼んで、懸命の救急医療が施されるでしょう。

父は晩年、嚥下障害といって、気管と食道の間の弁の働きが衰え、食べたものが胃ではなく肺に入り肺炎を起こすようになっていました。

最終的には口から飲食物すべてとってはいけないことになり、亡くなるまでの3年間ぐらい、胃に直接チューブを装着して高濃度栄養物を流し込んでいました。

他に悪い所がなければ入院できませんから、在宅看護ということになります。
応接間をベッドルームに改装し、車椅子が直接出入りできるようにスロープも取り付けました。

ちょうど同じ頃、ご近所の同年輩の方が脳梗塞で倒れ、一命を取り留められましたが、今なおご存命ですがら、もうすぐ10年です。

頭から下の機能がすべて麻痺し、寝たきりですが頭はボケていません。食べること排泄することはもちろんのこと、すべてを人の世話にならないと生きていけません。

彼はその町の教育長まで勤められた立派な方でした。
それだけに落ちぶれた様を見られたくないと、お見舞いは一切お断りされています。

ご本人はもとより、ご家族の手厚い看護には頭が下がります。
ここは裕福な家柄ですし、ご本人の公務員の年金、そして障害1級の年金も支給されていますから、経済的には全然問題ない。

先だってより、富山県射水市民病院の呼吸器はずしが問題になっています。

治る見込みのない末期患者の苦しみと、支えるご家族の心境はどんなものなんでしょう。

ダメとわかっても最後まで最善の努力をしたことにしたい
という日本人特有の情緒で延々と末期治療を続ける家族がおられるかもしれません。

ある試算によれば、健康保険が支払っている末期医療費は、実に9,000億円を超えるとか。
もし末期医療に関しては全額本人負担となれば、尊厳死をめぐる問題は、あっという間に決着がでるかもしれませんね。