秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

⑧サンチャゴ・デ・コンポステーラ

2007-01-21 | 旅・スペイン&ポルトガル

今回のツアー1行38名に中には、敬虔なクリスチャンがたくさんおられました。

カトリックの方の女性6,7名は、教会へ入るたびにミサなどに参加されたり、祭壇の像をみて涙ぐまれたり、ロザリオを買い求めたり・・・
お忙しいことで、ちょっと韓流ブームに群がる方々とダブってみえるミーハーさがありましたけど。
プロテスタントの方はもう少し客観的に観光されてる感じでした。

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サンチャゴ・コンポステーラの、ロマネスク様式の最高傑作とされる「栄光の門」をくぐると聖ヤコブの柱があります。

右手に巻物を持ち、左手に杖を持った聖ヤコブが長旅の巡礼者を迎えてくれます。 巡礼者はこの柱に手をつき祈りを捧げてきたため、柱には5本指の窪みがあり、この窪みに手を合わせ頭を垂れるのが内陣に入る儀式となっているそうです。

 
                               ふざけてごめんなさい 
ローマの嘘をついたら手が抜けなくなると言われるライオンの口のような穴があったので、ついはしゃいで同時に左手を入れてしまいました。

煌びやかな中央祭壇には13世紀に制作された聖ヤコブ像があります。
祭壇裏から、階段を上がり聖ヤコブ像の後ろから抱きしめることができると聞いたので、みな順番を待って上がりました。

ほんとは「聖ヤコブ像のマントに口づけすることができ、これが巡礼者の習慣となっている」、今日調べていてわかりましたが私たちは失礼なことをしてしまったかも。

 

祭壇左横の狭い階段を下り地下祭室へ入ることもできました。
その後9時半からのミサに、生涯で初めて参加することができました。

残念ながら撮影は許可されないので画像ありませんが、それはそれは敬虔なものでした。

3月や7月などは巡礼者でたいそう混むらしく、私たち観光者がこんなにゆっくりと見れるのはラッキーなことでした。

何万キロと歩いてきた巡礼者がごったがえすと、その汗と埃と体臭でものすごい匂いとなるため、きついめの香を天井からぶら下げた大きな香炉でブランコのように揺らせるらしい。

 

サンチャゴ・デ・コンポステーについて。
聖ヤコブは元ガリシヤ湖の漁師であり、弟のヨハネと共にイエスに従った。
スペインで布教活動を行ったが、いまいちいい結果がだせなくて、エルサレムに戻るがヘロデ王に断首され十二使徒最後の殉教者となった

伝説によるとヤコブの棺は波にもまれ、エルサレムからこの地に流れ着いた。
その棺を9世紀に星に導かれた羊飼いが墓を発見し小さな教会が建てられた。

サンティアゴ・デ・コンポステラという町の名はラテン語の「Campus stellae」(星の野)または「Compositum」(墓場)に由来するとネット検索したら書かれていました。
添乗員さんにコンポステーラを問うと沼だと言われてましたけどね。

その後教会は破壊されたが、フランスからロマネスク様式が伝わると1071~1152年にかけて僧正ディエゴ・ペラエスにより再建され、その後の増改築により現在の姿となったそうです。


⑦サンチャゴへの道

2007-01-21 | 旅・スペイン&ポルトガル

サンチャゴ、これはスペイン語です。
チャゴはラテン語でヤコブ、フランス語読みでジャック。

 

エルサレムと、ヴァチカンのサンピエトロ寺院とともにキリスト3大聖地のひとつです。
サンピエトロはイタリア語で、ピエトロはラテン語でペトロ、英語読みならピーターですって。

イエスキリストの12使徒のうち、左右を固めるペトロとヤコブ。
どちらも死後何百年もたってから偶然発見?
そして時の権力者のなんらかの思惑により、墓のあったところに教会が建設され、聖地となったらしいです。

10世紀前後といえばぼとぼち中央集権国家が出来上がりだして、イスラムに席捲された地を取り返すべく十字軍を送り出していた頃です。

いまなお世界各地で宗教と政治でもめていますが、あの頃も激しいレコンキスタの時代だったのです。

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レオンから48kmで、アストルガの街に着きました。
ここにはガウディが作った司教館があります。

現在巡礼博物館となっていて入場料が必要ですが、安いツアーは含まれていなくて、見たい人はどうぞ、
なんてほとんどの人が観光するスポットなのにね。

司教館越しにアストルガ大聖堂
 
アストルガの大聖堂は15世紀末から2世紀にわたり建築され、後期ゴシックからバロックの様式が見られます。
18世紀のリスボン大地震の修復もあり、石材の色も右と左では異なっていました。

車窓より
車道と平行して、サンチャゴへの巡礼の道、
青と黄色の看板にホタテマークが描かれています。

 

最後のきつい峠からかすかにサンチャゴが見える見晴台です。

伊勢のおかげ参りや四国お遍路からは、とうてい想像もできないほど過酷な巡礼道です。


⑥小粋なモニュメント

2007-01-21 | 旅・スペイン&ポルトガル

ヨーロッパの街のあちこちにあるモニュメントはどれも素敵ですが、今回もすぐにシャッター押したくなるものがたくさんありました。
最初の画像はサラマンカのものです。

 

夕刻の走行中にすごく深い霧に包まれて心配しましたが、無事235km走り終えて無事レオンに着きました。

バス中は暖房がきいてサイドから噴出す熱い空気をコートで覆っても、日中は大きな窓からお日様に追いかかけられて暑い。
そして夜のホテルは予想以上に乾燥しています。

 

顔につける化粧品を体につけても乾燥はとまらずかゆい。
連れのタニにメンソレータムをもらってちょっとましになった。

乾燥対策として寝る前にはバスタブにお湯を張ったり、濡れたバスタオルを室内に置いて、さらにマスクを装着して寝たけどあまり効果がなかった。

おまけに2時間おきにもよおす尿意。
時差ぼけも加わって、夜中の4時ごろからはもう寝付けなくなったので、ストレッチやパワーヨガをして夜の明けるを待ちました。

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1/14 旅の3日目。
レオンはベルネスガ川のほとりに開け、旧レオン王国の首都だっただけに立派な街並みでした。
サントドミンゴ広場の正面には19世紀後半に建てられたガウディ作のカサ・デ・ロス・ボティーネスという建物があり、現在は銀行として使われているそうです。

 

ベンチに腰掛けるガウディ像
 

13世紀に現在の姿となったレオン大聖堂
右手の銅像・子供とお父さん
こういうのはちょっと珍しいね。

教会中のステンドグラス、撮影失敗ながら、光の帯が荘厳でしょう~ 

サン・イシドロ寺院はじめ、スペインなどラテン諸国の教会にはマリア像がメインとして祭られていることが多いそうです。
マリア信仰が厚く、スペインの女性の60%の名前にマリアが含まれているそうです。

 

サンチャゴ・コンポステーラへの道標が見られるようになりました。
ホタテの紋章は聖ヤコブが漁師出身だったから選ばれたらしい。

  でもまだここから350kmもある。