秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

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徐福伝説・不老不死の仙薬

2010-05-24 | 古代史のミステリー
丹後半島東端の新井崎は蝙蝠岳のふもとにあります。
この地には徐福伝説があり、徐福の求めた仙薬とは、九節の菖蒲と黒茎の蓬だという伝承があるそうです。

新井崎海岸に自生しているよもぎは「黒茎の蓬」
「からよもぎ」といい、普通のよもぎと異なって葉の裏の白毛が少なくよもぎ餅を作るのに適しているらしい。
成長するともぐさになるとも書かれてあった。
よもぎを摘んでる人を見かけましたが、その黒茎の蓬だったのかしら。

最初の画像、自生しているような肉厚な白いカラー、その右手ずっと後ろには紫の花が生えています。
あれって「九節の菖蒲」なのか、あやめなのか…

   

「浦嶋伝説・徐福伝説 伊根の舟屋をめぐるみち」という立て看板が新しくなっていました。
何度もこの地を訪れていますが、いつも千枚田で少し働き、そのあとは集会所前の広場で催されるバーベキューに舌鼓をうつだけ。

今回初めて新井崎神社を見てくることにしました。
集会所から歩いて5分程度岬を回りこんだところにありました。

家に帰ってから画像をPCで確認すると、いろんな(もやもや)が写りこんでいました。
たぶん雨の中で田植えを撮影した後だったので、レンズに水蒸気などがついていたのでしょう。
  

新井崎神社の鳥居をくぐると、
参道は海にむかって下っていて、突き当たり2本の木が捻じれて立っている向こう側は日本海絶壁です。
  

  

階段は海岸線に沿って左に曲がり、海に面した境内鳥居がありました。
  

阿吽の獅子も、ちょっと怖い顔してます。
  

お天気の加減もあるでしょうが、誰もいない薄暗い神社は、ちょっと不気味でした。
ただ海に向かって開けているのが救いでした。
    

看板には、新井崎神社を次のように紹介されています。

「今から約2,200年前(弥生時代の初期)、中国の秦の始皇帝の命を受け、
方士徐福が綿密な計画のもとに数ヵ年の歳月を費やし、
不老不死の仙薬を求めて童男童女3,000人、五穀の種子、百工(技術者)を従え東海に船出した。
新大明神碑記によると、徐福がこの地を易筮によって予知し漂着した場所は新井崎のハコ石であると伝わっている。
新井崎には、古くから徐福信仰があり、地区住民は徐福を新井崎神社の神様として信仰をあつめている」


丹後半島のもっとも東に突き出した部分にある新井崎の岬。
日本海の対馬潮流にのった漂流物が若狭湾内へ回り込むときに最初に流れ着くところです。
冬の北西の季節風によっても海の彼方から漂流物が流れ着きます。

徐福は仙薬を求むるままに、この地にとどまり、
よく邑人を導いたので推されて邑長となり、高徳は等しく仰慕の的となって死後産土神として奉祀されるに至ったそうだ。

この半島を西に回った網野町・久美浜町境の函石も、
垂仁天皇の命を受け、海の彼方の常世の国に不老不死の「時じくのかぐの木の実」を捜しに赴いた田道間守が帰り着いた地とされています。