<金曜は本の紹介>
「ゴーン家の家訓」の購入はコチラ
この本は、現在ルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)で、ルノー傘下の日産自動車のCEOも兼ねるカルロス・ゴーンの妻であるリタ・ゴーンによる自伝です。
この本の内容としては、ブラジルでの結婚や新婚生活、アメリカでの子どもへの教育、フランスでの子供の学校選びや買った家について、日本での子供への教育、自分で開いた「マイ・レバノン」というレストランについて、日本とレバノン等について書かれています。
特に、子どもへの教育についてはゴーン家の25の家訓として詳しく説明があり、我が家としてはとても参考になりました。この本は大事に取っておいて、何度も読み返したいと思っています。
1900円(税抜)と少々金額が高い本ではありますが、それだけの価値があると思います。とてもお勧めです!!
以下は、特に良かった内容です。
・レバノンのキリスト教徒のあいだでは、教育が最大の財産とされている。カルロスの祖父がブラジルに移民して苦労を重ねて成功したように、レバノン人には海外移住の長い歴史がある。海外に移民したレバノン人は、その地で生き抜くための知恵として、必死に働き、子どもたちに高い教育を与えた。
・「2番目は楽よ」と、たいていのお母さん方は言う。私自身のことを振り返ってみても、2番目のナディーンを育てるのは5倍楽だった。3番目のマヤはその10倍楽で、4番目のアンソニーともなると20倍も楽になった。最初の子が2番目の子に嫉妬を感じることは多いようだが、3番目ともなると子どもたちもわかちあうことを覚え、次の兄弟ができることを心待ちにするようになる。
・私がまず子どもに厳しく教えたのは「ダメ」という言葉だ。パパやママがダメだということは、絶対にダメ、ということを何度も教えた。しかしなぜ「ダメ」なのかを説明しないまま、ただ「ダメ」と拒絶することは絶対にしなかった。次に教えたのは、「サンキュー」と「プリーズ」から始まる礼儀作法と、基本的にやってはいけないことだった。それからあらゆる食べ物を味わわせ、それぞれの違いを教えながら食べ物に対する感覚や味覚を洗練させることだった。食べたことのないものを「これは嫌い」とは言わせずに、いろんな方法で食べるように仕向けて試させるようにした。
・私は子どもたちが小さなころから、自分自身で考えて決めさせ、それがどういう結果になるのかということを、さまざまな機会をとらえて教えてきた。「選択には結果が伴う」ということを、子どもたちにしっかりと理解してもらいたかったからだ。
・「うちの息子は1歳半になってもしゃべらないでしょ。心配なの。誰かいいお医者さんを知らないかしら?」私は即座に指摘した。
「必要なのはお医者さんじゃなくて、あなたの態度を変えることよ。あの子はしゃべらなくても、指を指すだけであなたが全部やってくれるのを知っているから、しゃべろうとしないの。あなたがしてあげなければ、言葉で説明しないと、要求が通らないということが彼にもわかってくるわ。」
・子どもたちが幼いころ、私は子育てと家事と夫の世話に専念した。母親の仕事は1日24時間、週7日、月曜日から月曜日までフルタイムだ。パートタイムの母親はない。だが、子どもが成長して自分のことができるようになれば、私も自分自身の時間がもてる。そのときに多くの努力をつぎ込めばいいのだ。
・私たちが学校にまず望んだのは、教育水準の高さだった。学校は子どもたちに新しい知識を与え、考える力や創造力を伸ばしていくところだ。親のなかには学校にしつけまで期待する人もいるが、それは家庭の仕事だと思う。私は子どもたちが小さなころから、時間があると図書館に行っていいドリル本や教育的なゲームを探した。そして、子どもたちの知識を増やし、考える能力を伸ばすだろうと思われるあらゆるゲームを買った。ゲームは宿題が終わってから子どもたちに与えた。
・私は子どもたちの集中力を養うために、幼稚園や学校のある平日のテレビを禁止するようになった。もちろん最初のうち子どもたちは抵抗するけれど、幼いころから「ママがルール」を教えているので、やがてあきらめ、それが当たり前の日常となる。
・「あなたはあなたの仕事を学校で、私は家で私のすべきことをしています。だから、お互いの仕事を混同しないようにしましょう。私はあなたが幼稚園で娘に何を教えるか口出ししませんから、あなたも私がどうすれば母親になれるかといったことに口出しをしないでください」
・夏休み中、私が子どもたちを勉強させていることにほかのお母さんたちはショックを受けた。私ばかりか子どもたちも「厳しいお母さんね」とからかわれた。だが3ヶ月の夏休み中に勉強を怠っていたら、9月の新学期からの3ヶ月間は、忘れてしまったものを思い出そうとするだけで精一杯になる。
・私が力を入れたのは語学と数学の学習だった。語学はコミュニケーションの基本だし、数学は世界共通だ。最低限このふたつの科目で自信をもつことができれば、どこに行っても子どもたちはやっていける。
・子どもたちが外に遊びに行きたければ、ママの出す宿題でいい成績を取る必要があった。宿題を間違えたりいい加減にやったりするとママの罰が待っていた。ただし、罰といっても前向きの罰則で、決して叩いたりはしない。もしも問題を間違えたとしたら、それは子どもたちがあわてていたり、ほかに気を取られ、よく問題を読まなかったからだ。そこで彼らがミスをすると20回書き直しをさせた。そこでもしも泣き出したら40回、泣き続けたら60回、100回と増やした。泣いてもママが許さないとなれば、子どもたちはやるしかない。文句を言えばもっとやらなければならなくなるということを、私は子どもたちに教え込んだ。そのうちに子どもたちは泣いても脅しても、私がルールを変えないことを知るようになる。子育て中の両親にとって大切なことは、いったん決めたルールや信念を曲げてはいけないということだ。子どもたちは親の愛情に一貫性を求めているので、親の腰がふらついていると信頼しなくなってしまう。
・私に特技があるとしたら、それは心配性の母親ではないということだ。これは子どもたちにとってはとても心やすらぐことだろう。とくに赤ん坊は母親の気分や感情に敏感で、母親の心配性が赤ん坊の過敏症につながることが少なくない。我が家の子どもたちはどんなときにも動じない私に安心感を抱いてきたはずだ。そして、「困ってもパニックにならないこと。パニックになれば、冷静に問題を解決するチャンスはますます少なくなるのよ」と教えてきたので、私は子どもたち全員と健全な関係を築いてこられたのだと思う。
・自立した子どもを育てる幼児教育法で知られるモンテソリ教育の学校にマヤを転校させてあ。私はフランス式の教育を受けているが、教育システムのベストはアメリカ式とフランス式の中間だと思う。初等教育にはアメリカ式のほうがいいように思う。子どもに独立を教え、はっきりと意見を言うことを教えるからだ。
・今では笑い話になるが、私たちは日本では多くの人が英語を話せると思い込んでいた。私たちばかりではない。外国人の多くは日本では英語が通じると思い込んでいる。それは日本が国連での活動や海外援助など、国際舞台で活躍しているのを知っているからだ。日本では英語がほとんど通じないなどとは夢にも思わなかったのだ。
・これはどの国で新しい学校を選ぶときにも同じだが、私たちはまず学校のカリキュラムを見て、どんなことを児童・生徒に教えているのかを確認する。それから教育程度や先生の水準、学校の評判をいろんな人に聞き、卒業後、子どもたちがどんな高校や大学へ行っているのかを調べる。
・私がブラジルでの経験を通じて学んだのは、子どもへの過剰な愛は、望まない結果を生んでしまうということだった。だから、私はできるだけそういうことを避け、子どもたちを小さなころから独立した個人として扱うようにしてきた。
・私は母親だからこそ、子どもたちに「あなたたちは身勝手である」とか「それは無礼な行動である」といった真実をはっきりと伝える義務がある。それは子どもを一人前の人間に成長させるための母親の仕事のひとつだと思うから。もしも母親が子どもたちに真実を伝える勇気がなければ、ほかの誰が言ってくれるだろう。さんざん意地悪な母親だと言われてきたが、キャロラインは大学生となって私が伝えたかったことを少しずつ理解し、感謝の気持ちを表すようになった。15歳の娘はいまだに文句を言っているが、それが成長期というものだ。
・子どもたちの長所や短所を見つけ出し、それを彼らに気づかせて、一緒になって改善したり伸ばしていくのも親の役割だと思う。人間関係のやっかいな問題はコミュニケーションの欠如から生まれる。だから、親子でも話し合うということが大切なのだ。それがお互いの尊重と理解につながっていくのだから。
・好ましくない友だちを連れてきたときには、私はその子の問題点を指摘する。そして、「あの子と続けてつき合うのなら、私をまず納得させてちょうだい」と伝える。彼らはもちろん私の介入をいやがったが、口出ししたことを私は後悔していない。
・私はこどもたちに、人生の基本的なルールを教え続けてきた。私をいちばん苛立たせる態度は「自分がやったのではない。誰々にやらされたのだ」というもの。我が家の子どもたちも、その例外ではない。だから私はそのたびに子どもたちに言い聞かせる。「人間だから間違いをするのは仕方のないことよ。でも、大切なのはそのときに、自分の間違いをいさぎよく認めること。あとから自分が後悔したり恥ずかしくなったりすることをしないでね。」
・悪いことは目をつむっていれば過ぎ去っていくと人は思いたがるが、実は何もなくなりはしない。今日、問題が見つかったときは、その場で解決しないと、明日はもっと難しくなるし、あさってはさらに難しくなる。だから、問題に気づいたら、子どもと直接向かい合い、厳しく対応すべきなのだ。そうでないと、ものごとは悪化するばかりになる。
・そもそもはじめは誰もが赤ん坊で、遺伝子の違いはあるにしても、能力的にはそれほど変わらない資質をもっている。その赤ん坊が優れた大人になれるかどうかは、親の形成の仕方にかかわってくる。私は子どもたちに、「真実を語るのが、人生のよりよい生き方」だと繰り返し教えてきた。
・時には親が「してはいけないこと」を行動で見せないと、子どもが理解しない場合もある。だが、そのアクションを起こすにはタイミングが必要だ。いいタイミングというのは、たとえば、子どもがウソをついた直後。10日もたったあとでは、子どもは忘れてしまうから。こういうことにはエネルギーがいるが、それは自分の産んだ子を社会に通用する大人にするための親のつとめなので、怠惰になってはいけない。
・結婚というのはある意味では、気の遠くなるほどの時間と感情を使った長期的な投資だ。個性も、育った環境や文化的背景も違うふたりがお互いに歩み寄って解決方法を探し、一緒に成長しながらふたりの関係を築き、一家の未来の土台を創り上げていくのが結婚というものだろう。
・日本がこれだけの国をつくってきたのは、日本人の掲げる基準の高さがあったからだと思う。フランスに戻ってあちらのサービスに身を置いてみると、日本のサービスは至れり尽くせりだということがよくわかる。これは日本の独自性。でも、日本人が個人というものにもっと焦点を当て、多様性を受け入れていったら、日本の未来はさらに明るくなっていくのではないだろうか。
・2004年12月、私はレストランを開くことにした。レストランの名前は「マイ・レバノン」(TEL03-5459-2239)。私の新しいベイビーの誕生だった。内装はすべて自分でやった。私は高級なレストランを開くつもりはなかった。入ってきた人が心地いい気分になり、ゆったりできるレストランをつくりたかった。私は新しいメニューを次々と考案し、自分でシェフを指導しながら、初期コストを徹底的に抑えた。食材も本当はすべてレバノンから取り寄せたかったが、そこまではできないので、スパイスなどの必需品以外は日本で買うことにした。料理は材料で決まるから、トマトひとつでもいいものを使いたい。私は毎日市場に行き、自分が納得できる食材を選んだ。
・レバノンの人口は2004年の統計では約460万人、国は日本と同じように南北に細長く、面積は岐阜県と大体同じで、国土の大半が山地となる。首都ベイルートに続く第2の都市はトリポリだ。
<目次>
プロローグ
カルロスとの運命的な出会い
はねっかえりの少女時代
自立を目指してフランスへ
第1章 ブラジル
両親に大反対されたふたりの結婚
リオ・デ・ジャネイロでの新婚生活
ホットな私とクールなカルロス
「水と油」のゴーン家流新調合法
子育てをしながら学校へ
嫁姑問題のリタ流乗り越え方
さようなら、ブラジル
第2章 アメリカ
「ゴーン家」づくりの開始
きょうだいとの生活は、人生最初の学校
家族は多ければ多いほどいい
子どもの名前は、家族のイメージづくりにつながる
ゴーン家の家訓
1 過剰な愛情はだれのためにもならない
2 人生にとって大切なのは基本的なしつけ
3 ママのダメは、絶対ダメ
4 妻は夫が父親になれるように手伝う
5 子どもだからと言葉を変えない
6 常に人生のステージの最優先事項を考える
7 学校は学力を伸ばし、公平さを教える場所
8 不正に親は協力して立ち向かう
9 平日は家でテレビを見せない
10 ルールを決めたら、簡単に変更しない
第3章 フランス
カルロスの転職
子どもたちの学校選び
こんな家を買いたいなんて、君は大胆だ
「ママのお化け屋敷」
第4章 日本
君が行かないなら、僕も日本へ行かない
日本でのカルチャー・ショック
ゴーン家の家訓
11 学校探しは、引越し前にする
12 子どもたちの友だちより、親であれ
13 危機には臨機応変に対応する
14 サインを察知し、ことの是非を自分で考えさせる
15 欠点や弱点を指摘するときは、いい側面をほめる
16 間違いに気づいたら、きちんと謝罪する
17 真実を語るのが人生のよりよい生き方
人間への対処法を、私はブリッジで学んだ
18 家族にとっていちばん大切なのは団欒と会話
19 ほしいものはタダでは手に入らない
20 子どもは18歳で自由にさせる
第5章 カルロス、夫婦、私たち
ゴーン家の家訓
21 家族の大きな決定は、必ず夫婦ふたりの同意で
22 夫婦はカップルである
23 妻は夫の応援団長
第6章 新しい文化に溶け込むために
ゴーン家の家訓
24 どの国にいても、家族のいる場所が「ホーム」
25 母親が幸せならば、家族全員が幸せである
私が日本に望みたいこと
第7章 「マイ・レバノン」と私
レストランを開くまで
食べ物は魂への入り口
料理を通してレバノンを伝えたい
第二のステージを探して
第8章 日本とレバノン
両極端な日本とレバノン
他者に寛容であるということ
明日はない、今日やるべきことは今日やる
子どもたちにルーツをどう教えるか
第9章 ふたりのこれから
私をまるごと受け止めてくれたカルロス
私たちが立ち止まらない理由
人間育てはガーデニングに学ぶ
あとがきにかえて-ゴーン一家からのメッセージ
カルロス・ゴーン
キャロライン・ゴーン
ナディーン・ゴーン
マヤ・ゴーン
アンソニー・ゴーン
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<今日の独り言>
2歳8ヶ月の息子は、お風呂を出て体を洗う時に、なぜだかお腹などに思い切り冷水を浴びて、「冷たい!」と言いながら喜んで大はしゃぎします^_^;)あのぉ寒いんですけど・・・
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この本は、現在ルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)で、ルノー傘下の日産自動車のCEOも兼ねるカルロス・ゴーンの妻であるリタ・ゴーンによる自伝です。
この本の内容としては、ブラジルでの結婚や新婚生活、アメリカでの子どもへの教育、フランスでの子供の学校選びや買った家について、日本での子供への教育、自分で開いた「マイ・レバノン」というレストランについて、日本とレバノン等について書かれています。
特に、子どもへの教育についてはゴーン家の25の家訓として詳しく説明があり、我が家としてはとても参考になりました。この本は大事に取っておいて、何度も読み返したいと思っています。
1900円(税抜)と少々金額が高い本ではありますが、それだけの価値があると思います。とてもお勧めです!!
以下は、特に良かった内容です。
・レバノンのキリスト教徒のあいだでは、教育が最大の財産とされている。カルロスの祖父がブラジルに移民して苦労を重ねて成功したように、レバノン人には海外移住の長い歴史がある。海外に移民したレバノン人は、その地で生き抜くための知恵として、必死に働き、子どもたちに高い教育を与えた。
・「2番目は楽よ」と、たいていのお母さん方は言う。私自身のことを振り返ってみても、2番目のナディーンを育てるのは5倍楽だった。3番目のマヤはその10倍楽で、4番目のアンソニーともなると20倍も楽になった。最初の子が2番目の子に嫉妬を感じることは多いようだが、3番目ともなると子どもたちもわかちあうことを覚え、次の兄弟ができることを心待ちにするようになる。
・私がまず子どもに厳しく教えたのは「ダメ」という言葉だ。パパやママがダメだということは、絶対にダメ、ということを何度も教えた。しかしなぜ「ダメ」なのかを説明しないまま、ただ「ダメ」と拒絶することは絶対にしなかった。次に教えたのは、「サンキュー」と「プリーズ」から始まる礼儀作法と、基本的にやってはいけないことだった。それからあらゆる食べ物を味わわせ、それぞれの違いを教えながら食べ物に対する感覚や味覚を洗練させることだった。食べたことのないものを「これは嫌い」とは言わせずに、いろんな方法で食べるように仕向けて試させるようにした。
・私は子どもたちが小さなころから、自分自身で考えて決めさせ、それがどういう結果になるのかということを、さまざまな機会をとらえて教えてきた。「選択には結果が伴う」ということを、子どもたちにしっかりと理解してもらいたかったからだ。
・「うちの息子は1歳半になってもしゃべらないでしょ。心配なの。誰かいいお医者さんを知らないかしら?」私は即座に指摘した。
「必要なのはお医者さんじゃなくて、あなたの態度を変えることよ。あの子はしゃべらなくても、指を指すだけであなたが全部やってくれるのを知っているから、しゃべろうとしないの。あなたがしてあげなければ、言葉で説明しないと、要求が通らないということが彼にもわかってくるわ。」
・子どもたちが幼いころ、私は子育てと家事と夫の世話に専念した。母親の仕事は1日24時間、週7日、月曜日から月曜日までフルタイムだ。パートタイムの母親はない。だが、子どもが成長して自分のことができるようになれば、私も自分自身の時間がもてる。そのときに多くの努力をつぎ込めばいいのだ。
・私たちが学校にまず望んだのは、教育水準の高さだった。学校は子どもたちに新しい知識を与え、考える力や創造力を伸ばしていくところだ。親のなかには学校にしつけまで期待する人もいるが、それは家庭の仕事だと思う。私は子どもたちが小さなころから、時間があると図書館に行っていいドリル本や教育的なゲームを探した。そして、子どもたちの知識を増やし、考える能力を伸ばすだろうと思われるあらゆるゲームを買った。ゲームは宿題が終わってから子どもたちに与えた。
・私は子どもたちの集中力を養うために、幼稚園や学校のある平日のテレビを禁止するようになった。もちろん最初のうち子どもたちは抵抗するけれど、幼いころから「ママがルール」を教えているので、やがてあきらめ、それが当たり前の日常となる。
・「あなたはあなたの仕事を学校で、私は家で私のすべきことをしています。だから、お互いの仕事を混同しないようにしましょう。私はあなたが幼稚園で娘に何を教えるか口出ししませんから、あなたも私がどうすれば母親になれるかといったことに口出しをしないでください」
・夏休み中、私が子どもたちを勉強させていることにほかのお母さんたちはショックを受けた。私ばかりか子どもたちも「厳しいお母さんね」とからかわれた。だが3ヶ月の夏休み中に勉強を怠っていたら、9月の新学期からの3ヶ月間は、忘れてしまったものを思い出そうとするだけで精一杯になる。
・私が力を入れたのは語学と数学の学習だった。語学はコミュニケーションの基本だし、数学は世界共通だ。最低限このふたつの科目で自信をもつことができれば、どこに行っても子どもたちはやっていける。
・子どもたちが外に遊びに行きたければ、ママの出す宿題でいい成績を取る必要があった。宿題を間違えたりいい加減にやったりするとママの罰が待っていた。ただし、罰といっても前向きの罰則で、決して叩いたりはしない。もしも問題を間違えたとしたら、それは子どもたちがあわてていたり、ほかに気を取られ、よく問題を読まなかったからだ。そこで彼らがミスをすると20回書き直しをさせた。そこでもしも泣き出したら40回、泣き続けたら60回、100回と増やした。泣いてもママが許さないとなれば、子どもたちはやるしかない。文句を言えばもっとやらなければならなくなるということを、私は子どもたちに教え込んだ。そのうちに子どもたちは泣いても脅しても、私がルールを変えないことを知るようになる。子育て中の両親にとって大切なことは、いったん決めたルールや信念を曲げてはいけないということだ。子どもたちは親の愛情に一貫性を求めているので、親の腰がふらついていると信頼しなくなってしまう。
・私に特技があるとしたら、それは心配性の母親ではないということだ。これは子どもたちにとってはとても心やすらぐことだろう。とくに赤ん坊は母親の気分や感情に敏感で、母親の心配性が赤ん坊の過敏症につながることが少なくない。我が家の子どもたちはどんなときにも動じない私に安心感を抱いてきたはずだ。そして、「困ってもパニックにならないこと。パニックになれば、冷静に問題を解決するチャンスはますます少なくなるのよ」と教えてきたので、私は子どもたち全員と健全な関係を築いてこられたのだと思う。
・自立した子どもを育てる幼児教育法で知られるモンテソリ教育の学校にマヤを転校させてあ。私はフランス式の教育を受けているが、教育システムのベストはアメリカ式とフランス式の中間だと思う。初等教育にはアメリカ式のほうがいいように思う。子どもに独立を教え、はっきりと意見を言うことを教えるからだ。
・今では笑い話になるが、私たちは日本では多くの人が英語を話せると思い込んでいた。私たちばかりではない。外国人の多くは日本では英語が通じると思い込んでいる。それは日本が国連での活動や海外援助など、国際舞台で活躍しているのを知っているからだ。日本では英語がほとんど通じないなどとは夢にも思わなかったのだ。
・これはどの国で新しい学校を選ぶときにも同じだが、私たちはまず学校のカリキュラムを見て、どんなことを児童・生徒に教えているのかを確認する。それから教育程度や先生の水準、学校の評判をいろんな人に聞き、卒業後、子どもたちがどんな高校や大学へ行っているのかを調べる。
・私がブラジルでの経験を通じて学んだのは、子どもへの過剰な愛は、望まない結果を生んでしまうということだった。だから、私はできるだけそういうことを避け、子どもたちを小さなころから独立した個人として扱うようにしてきた。
・私は母親だからこそ、子どもたちに「あなたたちは身勝手である」とか「それは無礼な行動である」といった真実をはっきりと伝える義務がある。それは子どもを一人前の人間に成長させるための母親の仕事のひとつだと思うから。もしも母親が子どもたちに真実を伝える勇気がなければ、ほかの誰が言ってくれるだろう。さんざん意地悪な母親だと言われてきたが、キャロラインは大学生となって私が伝えたかったことを少しずつ理解し、感謝の気持ちを表すようになった。15歳の娘はいまだに文句を言っているが、それが成長期というものだ。
・子どもたちの長所や短所を見つけ出し、それを彼らに気づかせて、一緒になって改善したり伸ばしていくのも親の役割だと思う。人間関係のやっかいな問題はコミュニケーションの欠如から生まれる。だから、親子でも話し合うということが大切なのだ。それがお互いの尊重と理解につながっていくのだから。
・好ましくない友だちを連れてきたときには、私はその子の問題点を指摘する。そして、「あの子と続けてつき合うのなら、私をまず納得させてちょうだい」と伝える。彼らはもちろん私の介入をいやがったが、口出ししたことを私は後悔していない。
・私はこどもたちに、人生の基本的なルールを教え続けてきた。私をいちばん苛立たせる態度は「自分がやったのではない。誰々にやらされたのだ」というもの。我が家の子どもたちも、その例外ではない。だから私はそのたびに子どもたちに言い聞かせる。「人間だから間違いをするのは仕方のないことよ。でも、大切なのはそのときに、自分の間違いをいさぎよく認めること。あとから自分が後悔したり恥ずかしくなったりすることをしないでね。」
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・そもそもはじめは誰もが赤ん坊で、遺伝子の違いはあるにしても、能力的にはそれほど変わらない資質をもっている。その赤ん坊が優れた大人になれるかどうかは、親の形成の仕方にかかわってくる。私は子どもたちに、「真実を語るのが、人生のよりよい生き方」だと繰り返し教えてきた。
・時には親が「してはいけないこと」を行動で見せないと、子どもが理解しない場合もある。だが、そのアクションを起こすにはタイミングが必要だ。いいタイミングというのは、たとえば、子どもがウソをついた直後。10日もたったあとでは、子どもは忘れてしまうから。こういうことにはエネルギーがいるが、それは自分の産んだ子を社会に通用する大人にするための親のつとめなので、怠惰になってはいけない。
・結婚というのはある意味では、気の遠くなるほどの時間と感情を使った長期的な投資だ。個性も、育った環境や文化的背景も違うふたりがお互いに歩み寄って解決方法を探し、一緒に成長しながらふたりの関係を築き、一家の未来の土台を創り上げていくのが結婚というものだろう。
・日本がこれだけの国をつくってきたのは、日本人の掲げる基準の高さがあったからだと思う。フランスに戻ってあちらのサービスに身を置いてみると、日本のサービスは至れり尽くせりだということがよくわかる。これは日本の独自性。でも、日本人が個人というものにもっと焦点を当て、多様性を受け入れていったら、日本の未来はさらに明るくなっていくのではないだろうか。
・2004年12月、私はレストランを開くことにした。レストランの名前は「マイ・レバノン」(TEL03-5459-2239)。私の新しいベイビーの誕生だった。内装はすべて自分でやった。私は高級なレストランを開くつもりはなかった。入ってきた人が心地いい気分になり、ゆったりできるレストランをつくりたかった。私は新しいメニューを次々と考案し、自分でシェフを指導しながら、初期コストを徹底的に抑えた。食材も本当はすべてレバノンから取り寄せたかったが、そこまではできないので、スパイスなどの必需品以外は日本で買うことにした。料理は材料で決まるから、トマトひとつでもいいものを使いたい。私は毎日市場に行き、自分が納得できる食材を選んだ。
・レバノンの人口は2004年の統計では約460万人、国は日本と同じように南北に細長く、面積は岐阜県と大体同じで、国土の大半が山地となる。首都ベイルートに続く第2の都市はトリポリだ。
<目次>
プロローグ
カルロスとの運命的な出会い
はねっかえりの少女時代
自立を目指してフランスへ
第1章 ブラジル
両親に大反対されたふたりの結婚
リオ・デ・ジャネイロでの新婚生活
ホットな私とクールなカルロス
「水と油」のゴーン家流新調合法
子育てをしながら学校へ
嫁姑問題のリタ流乗り越え方
さようなら、ブラジル
第2章 アメリカ
「ゴーン家」づくりの開始
きょうだいとの生活は、人生最初の学校
家族は多ければ多いほどいい
子どもの名前は、家族のイメージづくりにつながる
ゴーン家の家訓
1 過剰な愛情はだれのためにもならない
2 人生にとって大切なのは基本的なしつけ
3 ママのダメは、絶対ダメ
4 妻は夫が父親になれるように手伝う
5 子どもだからと言葉を変えない
6 常に人生のステージの最優先事項を考える
7 学校は学力を伸ばし、公平さを教える場所
8 不正に親は協力して立ち向かう
9 平日は家でテレビを見せない
10 ルールを決めたら、簡単に変更しない
第3章 フランス
カルロスの転職
子どもたちの学校選び
こんな家を買いたいなんて、君は大胆だ
「ママのお化け屋敷」
第4章 日本
君が行かないなら、僕も日本へ行かない
日本でのカルチャー・ショック
ゴーン家の家訓
11 学校探しは、引越し前にする
12 子どもたちの友だちより、親であれ
13 危機には臨機応変に対応する
14 サインを察知し、ことの是非を自分で考えさせる
15 欠点や弱点を指摘するときは、いい側面をほめる
16 間違いに気づいたら、きちんと謝罪する
17 真実を語るのが人生のよりよい生き方
人間への対処法を、私はブリッジで学んだ
18 家族にとっていちばん大切なのは団欒と会話
19 ほしいものはタダでは手に入らない
20 子どもは18歳で自由にさせる
第5章 カルロス、夫婦、私たち
ゴーン家の家訓
21 家族の大きな決定は、必ず夫婦ふたりの同意で
22 夫婦はカップルである
23 妻は夫の応援団長
第6章 新しい文化に溶け込むために
ゴーン家の家訓
24 どの国にいても、家族のいる場所が「ホーム」
25 母親が幸せならば、家族全員が幸せである
私が日本に望みたいこと
第7章 「マイ・レバノン」と私
レストランを開くまで
食べ物は魂への入り口
料理を通してレバノンを伝えたい
第二のステージを探して
第8章 日本とレバノン
両極端な日本とレバノン
他者に寛容であるということ
明日はない、今日やるべきことは今日やる
子どもたちにルーツをどう教えるか
第9章 ふたりのこれから
私をまるごと受け止めてくれたカルロス
私たちが立ち止まらない理由
人間育てはガーデニングに学ぶ
あとがきにかえて-ゴーン一家からのメッセージ
カルロス・ゴーン
キャロライン・ゴーン
ナディーン・ゴーン
マヤ・ゴーン
アンソニー・ゴーン
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2歳8ヶ月の息子は、お風呂を出て体を洗う時に、なぜだかお腹などに思い切り冷水を浴びて、「冷たい!」と言いながら喜んで大はしゃぎします^_^;)あのぉ寒いんですけど・・・