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五体不満足 完全版(乙武洋匡)

2006年12月22日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さんの自伝です。先天性四肢切断でありながら、明るく前向きに障害者とあまり自覚せずに生き、とてもさわやかに勇気づけられる本です!今後福祉社会が充実し、障害者が健常者のような扱いになるような良い社会になるんだなぁと思いました。とてもお勧めな本です!

 以下この本で興味深かった内容です。

・昭和51年4月6日。ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。平凡な夫婦の平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。先天性四肢切断。分かりやすく言えば、「あなたには生まれつき手と足がありません」という生涯だ。出産時のトラブルでも、その当時騒がれていたサリドマイド薬害の影響でもない。原因は、いまだに分かっていない。

・本来ならば出産後に感動の母子ご対面となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から「黄疸が激しい」という理由で、母とボクは1ヵ月も会うことが許されなかった。しかし「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。「かわいい」---母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。生後1ヵ月、ようやくボクは「誕生」した。

・1歳の誕生日を迎える頃には「おしゃべりヒロくん」になっていた。父も、そんなボクがおもしろかったらしく四角い木に絵が描いてある積み木を買ってきて絵が何かを質問する「レッスン」を開始した。母は母で、新聞に載っていた「子どもに本を読んであげないということは、子供の脳の前頭葉を切り取る手術をしているのと同じことだ」という文章に刺激され、暇さえあればボクに本を読んでくれていた。

・4歳になると同時に、世田谷区にある聖母幼稚園に入園した。とくに障害者だけが通う幼稚園ではなかった。

・両親の熱意とボクの自力で養護学校ではない普通の用賀小学校の入学許可をもらうことができた。しかし条件があり、朝、家を出る時から保護者が付き添い、授業中や休み時間も保護者は廊下で待機、そして家まで一緒に帰らなければならない。両親のことを考えれば、計り知れない負担だったが、その条件付き許可を心から両親は喜んでくれた。

・高木先生は、とても厳しい先生だった。自分のクラスに障害を持った子がいれば、「あれもしてあげよう、これもしてあげよう」となってしまいがちだが、それではボクのためにならないと、先生はその気持ちをグッと抑え、あえて何も手出しをしなかった。「乙武くんには、自分でできることは自分でさせまよう。その代わり、どうしてもひとりでできないことは、みんなで手伝ってあげてね」ということとなった。

・障害を持っている子がクラスにいると、そのクラスは必ずと言っていいほど、困っている子がいると自然に助け合いのできる優しいクラス、素晴らしいクラスになるようだ。

・用賀中学校では、激しい選挙活動が功を奏し、結果は大勝だった。5つの役職のうち、文化実行委員長には最多の3人が立候補していたが、ボクは3分の2近い表を集めた。それにしても、この用賀中学校は恐いもの知らずで、車椅子に乗る障害者をバスケ部に入れただけでなく、生徒会役員にしてしまった。

・’92年4月、東京都立戸山高校へ入学する。両親は合格前に近くへ引っ越してくれる。

・高校ではアメフト部へ入部する。ボクが任されたのは「データ」だった。対戦相手のデータを集め、パソコンにインプットする。それを分析し、次の試合に活かすのだ。役目はそれだけではなく、新入生のポジションを決めるコーチ会議に参加したり、練習中の指示にあたったりするのもボクの担当だった。東京都大会では、準々決勝で優勝候補の日大三高に試合終了直前の大逆転勝利をし、その後も破竹の快進撃を続け、ついに都大会優勝を果たした。

・数学は最後まで苦手だった。学力テストでは200点中の7点だったこともある。

・片っ端から予備校探しをしたが、何かあった時の責任が取れないということで、断られ続けた。両親、先生、友人・・・すべてに恵まれて育ってきたボクには、自分が「障害者」だと意識する機会がなかった。障害者としての壁にぶつかったのは、この時が初めてだったと言えるかもしれない。しかし駿台予備校では当初は難色を示されたが若手職員の意欲で受け入れてくれる。

・ボクが目指したのは早稲田大学。ボクが早稲田大学に抱いていたイメージは、「何かが起こりそう」というもの。よく、「人種のるつぼ」と表現されるこの大学には、とにかくさまざまな価値観を持った人が存在し、その個性がぶつかり合う、非常にパワフルで魅力のある大学だと思っていた。

・初めに受けた模試が返却され、その結果を見たボクは唖然としてしまった。ボクの志望していた早稲田大学の5学部のうち、4つまでがE判定、残りのひとつもD判定だった。「再考が必要」と結果用紙に書かれていた。

・2月20日、ようやくボクの受験が始まる。早稲田大学の5学部を受験する。信じられなかった。夢のようだった。まさか、受かっているなんて。それも全学部だ。ボクは早稲田大学政経学部政治学科の新入生として入学式に臨んだ。

・その数は2000とも3000とも言われる早稲田大学のサークル。そのなかから、ボクが選んだのは、ESS。英語力の向上を目指すサークルだ。ESSの説明会に行ったボクは度肝を抜かれてしまった。400人は入ろうかという大教室が半分以上も埋まっている。先輩の話によると、例年200人前後の新入生を迎えるという大所帯だ。入会した初日にスピーチコンテストの冊子を渡され、課題として与えられたスピーチは「人民の人民による人民のための」というリンカーンの有名な演説だった。コンテストでは、200人のうち1割のファイナリストに選べれ、優勝した。しかし劇的な優勝から2ヵ月後、ボクはESSを辞めてしまっていた。AIESECという国際交流やビジネスに深くかかわりがあるもので、学生に対して就職に関するセミナーを開いたり、海外の企業との間でインターン・シップ(実習訓練)を促進させるサークルに本腰を入れていたためだ。

・’98年2月にはアメリカ西海岸へ旅行する。日本で車椅子に乗った人間が人込みの中に飛び込んでいけば、程度の差こそあれ、人からジロジロ見られるものだ。しかし、アメリカでは車椅子に乗っているというだけでは注目に値しない。それだけ車椅子、そして障害者の存在が日常化しているのだろう。

・アメリカ西海岸では、あの有名な「オペラ座の怪人」を観に行った。アメリカでは最初から「車椅子席」として料金が設定されているのに驚いた。ボクの他にも2~3人の車椅子利用者が観劇していたが、他の観客に少しも見劣りしないほど着飾っている。右隣のご婦人は、紫のドレスに、「これでもか!」と言わんばかりのヒカリモノ。さすがに唖然としたが、日本の障害者も彼らを見習って、もっとオシャレを楽しまなきゃね。

・高田馬場駅で、友だちを待ち合わせをしていた。すると、隣に見た目のコワイ、パンチパーマにサングラスのオジサンが立っていた。そのオジサンが話しかけてきた。「おまえも、たいへんだな」「へ?」予期せぬ言葉に力が抜けた。そして、「事故か?」などと、ボクの身体のことを聞いてきた。「生まれつきなんです」と答えると、「うーん、そうか」と驚きとも同情ともつかない声で唸った。それから彼の仕事の話などをしてくれた。「困ったことがあったら、いつでも電話してこい」そう言うと、名刺をボクのポケットに突っ込み、彼はそのまま行ってしまった。「仁義」を大切にする彼らは、ボクのような人間に対して情が厚いのかもしれない。家に帰って、このことを両親に報告すると、母は平然として「あなた、それはあたりまえよ」と言ってのける。「え、どうして?」「だって、ああいう方たちは、ツメるといっても小指1本程度でしょう。あなたなんか、全身ツメちゃってるんだもん。それは、敬意を表されるわよ」

・声を大にして言いたい。「障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。」健常者として生まれても、ふさぎこんだ暗い人生を送る人もいる。そうかと思えば、手も足もないのに、毎日、ノー天気に生きている人間もいる。関係ないのだ、障害なんて。そうしたメッセージを伝えるためにも、この本のタイトルをあえて「五体不満足」という、少々、ショッキングなものとした。五体が満足だろうと不満足だろうと、幸せな人生を送るには関係ない。そのことを伝えたかった。
「障害は不便である。しかし、不幸ではない」 ヘレン・ケラー

<目次>
まえがき
第1部 車椅子の王様 幼児期・小学校時代
 威張りん坊
 重い扉
 高木先生
 オトちゃんルール
 好きな授業は体育
 おにぎりの味
 背中のVサイン
 OTHOHIRO印刷
 早朝特訓とミノル
 漢字チャンピオン
 スーパービート板
 障害者は救世主
第2部 全力疾走 中学・高校・予備校時代
 ドリブルの名手!?
 お祭り男
 ヤッちゃん
 後輩からのラブレター
 受験狂騒曲
 25人の勇士
 生命の水
 数学は7点・・・・・・
 将来の夢
 浪人ノススメ
 奇跡
第3部 心のバリアフリー 早稲田大学時代
 衝撃デビュー
 宝の持ちぐされ
 早稲田のまちづくり
 エコ・サマー・フェスティバル
 「いいんだよ」
 21世紀へ
 アメリカ旅行記
 大雪の日に
 父のこと、母のこと
 心のバリアフリー
 あとがき
第4部 新たな旅路 社会人時代
 迷い
 次なるステージ
 エピローグ

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<今日の独り言>
 2歳9ヶ月の息子がついに立ちションをできるようになりました。まだまだ親の補助が必要ですが、これで晴れてオムツボーイからパンツボーイへ昇格です^_^;)

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