<金曜は本の紹介>
「至福のすし(山本益博)」の購入はコチラ
この本は、ミシュランガイド東京2008で見事3つ星をとった「すきやばし次郎」という鮨屋及びその店主である「小野二郎」について書かれた本です。2003年12月に発行された本です。
特に、美味い物を追求するプロ根性、そして掃除が行き届いて魚の匂いや酢の香りがまったくしない清潔なお店というのには、さすがだと思いました。ぜひ一度行ってみたいお店ですね。ただ、ミシュランガイドによると27000円~32000円というお値段ですが・・・。
なお、この「すきやばし次郎」の鮨などの超精密カラー写真を満載した本として「すきやばし次郎 旬を握る」もオススメです!!美味そうです!鮨の作り方もあります!
「すきやばし次郎 旬を握る」の購入はコチラ
以下はこの「至福のすし」という本で良かったポイント等です。
・小野二郎は大正14年(1925年)10月27日、静岡県天竜市に生まれた。8歳のとき、二俣町(天竜市)の割烹旅館へ奉公に出された。小学校へ通いながら雑用係という下働き。朝、学校へ行く前に店の掃除をし、学校から帰ってくると店の出前や調理場の片付けなどに追われたという。1941年、16歳で軍需工場に徴用されるまで、料理人として働いた。そして1945年に徴兵。兵隊から還って、浜松の料理屋で働きはじめた。知人のつてを頼って修行に入ったすし屋が、京橋の「与志乃」だった。小野二郎26歳のときで、50年以上に及ぶすし職人としての人生が、このときからはじまった。
・「そりゃもう一所懸命仕事しましたよ。負けず嫌いでしたし、早く仕事で追いつかなきゃいけないと・・・・・。休み時間に皆がキャッチボールしているときや、お祭りのときでさえ、店でひとり必死に仕事してました。」その仕事ぶりは主人の目につかないわけがない。3年経ったところで、大阪で小さなすし屋をまかされることになる。昭和35年3月、帰京。その年の12月に「与志乃」が銀座に支店を出すことになり、小野二郎はこの店を任されることになった。
・昭和40年1月に、ビルのテナントとしての契約更改に当たり、ビル側と店側とでちょっとした意見の食い違いがおこり、「与志乃」は営業を継続できなくなってしまった。そのとき、ビルのオーナーから小野二郎に、引き続いてここですし屋をやらないかと誘いがあり、新たに「次郎」ののれんを掲げ、晴れて小野二郎は銀座のすし屋の主人となった。小野二郎、このとき39歳。
・築地の河岸で仕入れる魚は、なんでも最上のものでなくては気に入らない。質の高い魚が手に入るのなら、仕入れる値段など問題外、なにしろ、魚の値を問いただしたことがただの一度もないというのだ。こっちは値段じゃないんです。いいまぐろが欲しい。いいまぐろがありゃ、値段なんて二の次。職人は最高の材料でいい仕事がしたいんです。
・小野二郎の両手はいまもってなおみずみずしく艶やかである。とても80歳近くなった人間の手とは思えない。「もしも60歳過ぎても人前ですしをにぎることがあったら、しわだらけの手じゃお客様に失礼でしょう。そう考えて、40代のときから、外出のときは必ず手袋をするようにしたんです。冬ばかりでなく夏もです。つまり一年中、ですから手袋は何種類も持っていますよ。いまその40代の手袋が効いてますね。
・10年前は、お客様の8割が飲む方、2割がすしを召し上がる方、それがいまやまったく逆で、8割のお客さまがおすし目的でいらして、そのほとんどのお方が”おまかせ”です。うちはすし屋ですから、飲む方よりすしだけのお客様大歓迎です。酒飲んで、つまみ食べて、最後にすしを2つ3つつまむのでは、こちらがさびしいです。
・酢めしが気に入らないときはノイローゼ状態。豊作のときの米は粘ってしまって、酢めしに向かないんです。いつだったか、炊いても炊いてもダメで、夜眠れないときがありましたもの。
・はい。わたし、ぬるいおしぼり大ッ嫌いなんです。ですから、熱湯のおしぼりを、一瞬にしてギュッと絞ってお出しする。
・わたし食べるの大好きですから。すし以外なら、なんでも楽しめます。それで、てんぷらの「みかわ」、そばの「竹やぶ」、うなぎの「野田岩」、それに「ロブション」などを教えていただいたんですよね。一芸に秀でるというか、どの方も尊敬に値する人ばかりで、美味しいものを楽しみながら、いつも勉強させていただいています。
・「コート・ドール」と恵比寿の「タイユバン・ロブション」、どちらも本当にきれい。うちなんか油物使わないから楽なんです。フランス料理店であれだけ徹底してきれいというのはショックでしたね。うちの若い連中には、あれがお手本といって、掃除しなさいって言ってます。掃除って、しすぎることってないんですもの。
・ただ食べないのは困ります。ビール飲んでしゃべるだけという方は、うちなんかでは来てほしくないお客さんで、値段は必然的に高くなります(笑)。限られた席数で長居するんですから、これはしょうがないんです。断る方法というのがないんですから。あんたはゆっくりだからもう来てくれるなとは言えない。これはもうほかにやりようがないんです。席が回転しないのは、うちとしてはとても困るんです。
・すしは、すぐに召し上がっていただきたいんですね。にぎりずしはにぎったあとは、味が落ちてゆくだけで、美味しくなるということはありません。のりは一瞬にして湿気てゆきますから、少しでも早いほうがいいですものね。
面白かった本まとめ(2007年)
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
<今日の独り言>
4歳0ヶ月の息子が初めてペロペロキャンディーをうれしそうに食べました。ママにもなめさせてくれたのですが、誤って割ってしまい、息子は大泣きです。相当ショックだったようです^_^;)食べ物の恨みは恐い^_^;)

この本は、ミシュランガイド東京2008で見事3つ星をとった「すきやばし次郎」という鮨屋及びその店主である「小野二郎」について書かれた本です。2003年12月に発行された本です。
特に、美味い物を追求するプロ根性、そして掃除が行き届いて魚の匂いや酢の香りがまったくしない清潔なお店というのには、さすがだと思いました。ぜひ一度行ってみたいお店ですね。ただ、ミシュランガイドによると27000円~32000円というお値段ですが・・・。
なお、この「すきやばし次郎」の鮨などの超精密カラー写真を満載した本として「すきやばし次郎 旬を握る」もオススメです!!美味そうです!鮨の作り方もあります!

以下はこの「至福のすし」という本で良かったポイント等です。
・小野二郎は大正14年(1925年)10月27日、静岡県天竜市に生まれた。8歳のとき、二俣町(天竜市)の割烹旅館へ奉公に出された。小学校へ通いながら雑用係という下働き。朝、学校へ行く前に店の掃除をし、学校から帰ってくると店の出前や調理場の片付けなどに追われたという。1941年、16歳で軍需工場に徴用されるまで、料理人として働いた。そして1945年に徴兵。兵隊から還って、浜松の料理屋で働きはじめた。知人のつてを頼って修行に入ったすし屋が、京橋の「与志乃」だった。小野二郎26歳のときで、50年以上に及ぶすし職人としての人生が、このときからはじまった。
・「そりゃもう一所懸命仕事しましたよ。負けず嫌いでしたし、早く仕事で追いつかなきゃいけないと・・・・・。休み時間に皆がキャッチボールしているときや、お祭りのときでさえ、店でひとり必死に仕事してました。」その仕事ぶりは主人の目につかないわけがない。3年経ったところで、大阪で小さなすし屋をまかされることになる。昭和35年3月、帰京。その年の12月に「与志乃」が銀座に支店を出すことになり、小野二郎はこの店を任されることになった。
・昭和40年1月に、ビルのテナントとしての契約更改に当たり、ビル側と店側とでちょっとした意見の食い違いがおこり、「与志乃」は営業を継続できなくなってしまった。そのとき、ビルのオーナーから小野二郎に、引き続いてここですし屋をやらないかと誘いがあり、新たに「次郎」ののれんを掲げ、晴れて小野二郎は銀座のすし屋の主人となった。小野二郎、このとき39歳。
・築地の河岸で仕入れる魚は、なんでも最上のものでなくては気に入らない。質の高い魚が手に入るのなら、仕入れる値段など問題外、なにしろ、魚の値を問いただしたことがただの一度もないというのだ。こっちは値段じゃないんです。いいまぐろが欲しい。いいまぐろがありゃ、値段なんて二の次。職人は最高の材料でいい仕事がしたいんです。
・小野二郎の両手はいまもってなおみずみずしく艶やかである。とても80歳近くなった人間の手とは思えない。「もしも60歳過ぎても人前ですしをにぎることがあったら、しわだらけの手じゃお客様に失礼でしょう。そう考えて、40代のときから、外出のときは必ず手袋をするようにしたんです。冬ばかりでなく夏もです。つまり一年中、ですから手袋は何種類も持っていますよ。いまその40代の手袋が効いてますね。
・10年前は、お客様の8割が飲む方、2割がすしを召し上がる方、それがいまやまったく逆で、8割のお客さまがおすし目的でいらして、そのほとんどのお方が”おまかせ”です。うちはすし屋ですから、飲む方よりすしだけのお客様大歓迎です。酒飲んで、つまみ食べて、最後にすしを2つ3つつまむのでは、こちらがさびしいです。
・酢めしが気に入らないときはノイローゼ状態。豊作のときの米は粘ってしまって、酢めしに向かないんです。いつだったか、炊いても炊いてもダメで、夜眠れないときがありましたもの。
・はい。わたし、ぬるいおしぼり大ッ嫌いなんです。ですから、熱湯のおしぼりを、一瞬にしてギュッと絞ってお出しする。
・わたし食べるの大好きですから。すし以外なら、なんでも楽しめます。それで、てんぷらの「みかわ」、そばの「竹やぶ」、うなぎの「野田岩」、それに「ロブション」などを教えていただいたんですよね。一芸に秀でるというか、どの方も尊敬に値する人ばかりで、美味しいものを楽しみながら、いつも勉強させていただいています。
・「コート・ドール」と恵比寿の「タイユバン・ロブション」、どちらも本当にきれい。うちなんか油物使わないから楽なんです。フランス料理店であれだけ徹底してきれいというのはショックでしたね。うちの若い連中には、あれがお手本といって、掃除しなさいって言ってます。掃除って、しすぎることってないんですもの。
・ただ食べないのは困ります。ビール飲んでしゃべるだけという方は、うちなんかでは来てほしくないお客さんで、値段は必然的に高くなります(笑)。限られた席数で長居するんですから、これはしょうがないんです。断る方法というのがないんですから。あんたはゆっくりだからもう来てくれるなとは言えない。これはもうほかにやりようがないんです。席が回転しないのは、うちとしてはとても困るんです。
・すしは、すぐに召し上がっていただきたいんですね。にぎりずしはにぎったあとは、味が落ちてゆくだけで、美味しくなるということはありません。のりは一瞬にして湿気てゆきますから、少しでも早いほうがいいですものね。
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