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龍馬はなぜあんなにモテたのか(美甘子)

2010年04月23日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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この本は、歴史上の人物をこよなく愛する「歴ドル」の美甘子(みかこ)さんが書いた本で、坂本龍馬を中心として幕末時代を分かりやすく説明しています。

また、「竜馬がゆく」や「お~い!竜馬」という本での記述比較や、真実はどうだったのかという話もあり、とても面白いと思いました。

坂本龍馬や幕末が好きな方にはとてもオススメです!


以下はこの本のポイントなどです。

・龍馬が生まれたのは、1836年11月15日。高知城の城下町の、本庁筋というところでした。現在の高知県高知市上町3丁目あたりになります。坂本家は武士の家柄。建物は今では残っていませんが、かなり広い屋敷だったそうです。また、坂本家の本家は才谷屋という商家で、高知城下でも屈指の豪商でした。つまり、お金持ちでした。

・ちなみに、才谷屋の跡地あたりには現在、「さいたにや」という喫茶店があります。わたくし美甘子も訪れたことがあるのですが、店内は龍馬グッズなどがいっぱいで、龍馬ファンに愛されているいいお店でした!

・裕福だけど身分は高くない坂本家に、龍馬は次男として生まれました。父は八平、母は幸といい、他には権平という兄と、千鶴、栄、乙女という三人の姉がいました。つまり龍馬は末っ子です。「龍馬」という名前の由来は、龍馬が生まれる前夜に母の幸がみた、お腹の中に龍が飛び込んでくるという不思議な夢からきているといわれています。他にも、龍馬は生まれたときからとても毛深かったそうで、背中にたてがみのようなたくさんの毛が生えていたからだという説もあります。

・幸は龍馬を生んだときには38歳でした。当時としてはかなりの高齢出産だと思います。兄の権平とは、龍馬は親子ほども年が離れていたのです。幸は病弱だったこともあり、坂本家には常に乳母がいて、母親代わりになっていました。龍馬は末っ子として母親や兄姉たちに可愛がられて育ちました。乳母にもよくなついていたようで、成人してから龍馬が書いた手紙のなかでも、幼い頃に世話になった乳母を心配している一文があります。

・幼い頃の龍馬は、「よばあたれ(寝小便たれ)」と呼ばれるようなボンクラな子供だったといわれています。通っていた塾をやめさせられるほどの落ちこぼれだったと、いろんな作品でも描かれてきました。しかし、最近では、これはかなり話が大げさになっているんじゃないかと言われています。塾をやめたのも、他の生徒ともめ事を起こしたときに、喧嘩両成敗として、父・八平がやめさせたというのが真相なのです!それに、幼い頃は落ちこぼれだったという方が、お話として盛り上がるので、いろんな小説などでそう描かれているうちに、イメージが定着してしまったんでしょうね。

・継母の伊与は、しつけに厳しい人だったといわれています。一般的に、龍馬を立派な男として育て上げたのは乙女姉さんだというイメージが強いですが、実は伊与も、龍馬に与えた影響は大きかったようです。伊与は前夫の川島貞次良が死んだ後も実家には戻らず、種崎の川島家に留まっていたようですが、その川島家では、伊与は、武家方式の厳しいしつけで龍馬を育てあげた気丈で賢い人だと言い伝えられていたしょうです。
 1、相手にやられたらやり返せ
 2、自分から進んで手を出したらいかん
 3、男は強くて、優しくないといかん
伊与は、この3項目の教育方針で、龍馬を育てたんだそうです。

・また、川島家に龍馬がちょくちょく遊びにいっていたことも、のちの龍馬の人間性に大きな影響を与えたと思われます。川島家は、下田屋という屋号の商家で、造船や廻船業を営んでいました。その頃の当主は川島猪三郎という人だったのですが、この人がかなりの海外通で、「ヨーロッパ」という、そのままのあだ名で知られていたほどでした。少年時代の龍馬は、このヨーロッパのおじさんに可愛がられていたみたいです。目の前に広がる大きな太平洋を眺めながら、ヨーロッパのおじさんに海外のいろんな珍しい話を聞かせてもらっていたんでしょうね。時には船に乗せてもらって、少し沖の方まで行っていたかも。そんな経験があったからこそ、龍馬は勝海舟の弟子になったり、海援隊をつくったりと、ずっと海にこだわりを持ち続けたんじゃないでしょうか。

・龍馬を母親代わりに育てた女性といえばやはり乙女姉さんが有名ですよね!龍馬より4歳年上の姉さんは、身長5尺8寸(175センチ)、体重30貫近く(110キロ)もあったそうです。現代の女子プロレスラーぐらいの体格ですよね。龍馬が間違えて乙女姉さんの着物を着たらサイズがぴったりだったというエピソードも残っているほどです。そんな立派な体格のうえに、性格もかなり男勝りだったそうで、「坂本のお仁王様」というあだ名で呼ばれていたといいます。乙女姉さんは、なぎなたが得意で、他にも馬術や水泳、一弦琴や三味線から浄瑠璃までこなす、多才な女性だったそうです!その反面、料理や裁縫なんかは全く苦手だったようです。まあ、裕福な坂本家では、家事は女中さんがやってくれたからということもあるでしょうけど、やはり男っぽい人だったことは確かなようです。

・現在、私たちが龍馬のとってもユニークな手紙の数々を見ることができるのは、乙女姉さんが龍馬からの手紙を保管しておいてくれたおかげなんです。龍馬が「これを読んだらすぐに燃やしてくれ」とか「こんな手紙が後世まで残ったら恥ずかしいから絶対に捨ててくれ」とか書いているものまで、大事に保管していたのです!現存する龍馬の手紙は139通だとされていますが、そのうちの18通が乙女姉さんに宛てたものなのです。

・高松順蔵と千鶴姉さんの間には、太郎という子供がいました。つまり龍馬にとっては甥ということになりますが、この高松太郎は龍馬と同じく土佐勤王党に加入して志士として活躍し、のちに龍馬とともに海援隊を立ち上げました。さらには、龍馬が暗殺された後には、龍馬のあとを継いで坂本直と改名しました。

・そもそも、お栄姉さんが刀を龍馬に渡して自害したという話は、才谷屋の養女になった人が言っていたことで、坂本家の家族の証言があるわけでもなく、当時の文書に何か記録が残っていたわけでもありません。それに何よりも決定的だったのは、お栄姉さんのお墓が発見され、亡くなった年がはっきりわかったことでした。龍馬が脱藩するときであれば1862年となっているはずですが、お墓には1845年9月13日と刻まれていたのです。つまり、龍馬が脱藩するときにはすでにお栄姉さんはこの世にいなかったということです。

・「竜馬がゆく」や「お~い!竜馬」には、平井加尾は登場しません。その代わりに、加尾をモデルにした女性が、龍馬の初恋の相手として登場します。「竜馬がゆく」には、土佐藩家老の福岡家のお姫様で、お田鶴という女性がでてきます。「お~い!竜馬」では、加尾の代わりに、加代という女性が登場します。加代は、土佐藩の城代家老・佐々木南左衛門の娘という、土佐の上流階級に属するセレブなのです。

・龍馬の師匠になった千葉定吉には、重太郎という息子と、さな子という娘がいました。重太郎は龍馬よりも12歳年上で、父の代わりに道場で教えるほどの腕前の剣士でした。また、龍馬にとっては江戸での兄貴分のような存在で、仲もよかったみたいです。さな子は龍馬より2歳年下ですが、10代の若さですでに免許皆伝の腕前だったそうです。かなりの美人でしかもなぎなたの達人ということで、「千葉の鬼小町」というあだ名で知られていたのでした。

・「龍馬がゆく」を読んでいても、二人の関係はなかなか前に進まなくてじれったいです。龍馬も龍馬で、さな子をからかうような言葉をかけるので、お互いの気持ちには薄々感づいてはいても、それ以上のことにはならないのです。女子の立場からすると、龍馬のはっきりしない態度にはイライラさせられるのですが、しかし、龍馬には龍馬の事情があったのです。まず、この時代の武士は、長男が家の跡継ぎになれるだけで、次男以下の男子は、基本的には居候というかニートのような生き方しかありませんでした。坂本家にしても兄・権平が当主になるわけですが、一般的には龍馬は一生ずっと兄の世話になるか、子供がいない家の養子になるか、または学者や剣術家などの職につくしかなかったわけです。自分ひとり食べていくのも兄の世話にならないといけないような身分だということは龍馬にもわかっていたわけで、そんな自分にはお嫁さんを養っていくことなんてとてもできないのです。

・剣の達人だっといわれている龍馬ですが、本当にそうだったのでしょうか。その根拠となっているのが、現存している「北辰一刀流長刀兵法目録」です。この目録により、龍馬は北辰一刀流の免許皆伝だったといわれているのですが、実はなんとこの目録、剣ではなくなぎなたのものだということが判明したのです!また、龍馬が剣の達人だった証拠として有名なのが、江戸で道場対抗の剣術大会で龍馬が桂小五郎に勝って優勝した、というエピソードです。ところが、この大会も、存在しなかったのではないかといわれているのです!とはいで、龍馬が桶町の千葉道場の塾頭を任されていたということについては、さな子の証言があります。なので、龍馬はやはりかなりの達人だったはずです。目録の件についても、龍馬はなぎなたの免許しかもらえていないのではなく、剣の免許皆伝でもあったけど、目録が現存しているのがなぎなたのものだけだと考えましょう。剣のほうの目録は、なくなってしまったんです、きっと。

・さな子が後に語ったところによると、さな子の父・千葉定吉は、このとき龍馬のために黒紋付の着物を仕立てさせたそうです。「うちの娘をもらってくれ」という気持ちが込められていたのだと思われます。さな子だけでなく、千葉家の人々はみんなそのつもりでいたようです。

・お龍はもともと、京都の生まれです。父親は、楢崎将作という医者で、青蓮院宮という皇族の侍医をやっていました。つまり、楢崎家はかなりの上流家庭で、お龍は育ちのいいお嬢様だったんです。

・1862年、薩摩藩主の島津久光が鹿児島から京都に軍勢を率いてやってきたことから、話がややこしくなります。尊皇攘夷派はこの行動を、薩摩藩が武力で幕府に圧力をかけるつもりだと思い込んで大喜びしてしまったんですね。ところが、当の島津久光はそんなつもりはなかったらしいんです。納得がいかない志士たちは、気持ちがどんどん先走ってしまい、寺田屋に集まって過激なテロの相談を始めます。島津久光はそれを聞いて、テロをやめさせようと、自分の家臣のなかから志士たちの友だちを寺田屋に向かわせて説得を試みます。しかし、尊皇攘夷派の薩摩藩士はもう聞く耳をもたなくなってしまっていて、なんと薩摩藩士同士による殺し合いになってしまったんです!この悲惨な事件が、「寺田屋事件」です。幕末の、激しくて複雑な時代の流れが生んだ悲劇のひとつなのでございます。

・お登勢は、ただ寺田屋を切り盛りしただけではありませんでした。普通の三十石船の船頭は5人でしたが、お登勢はそれを8人にしてみたところ、所要時間が約2時間も短縮できたそうです。「大阪まで早く行きたければ寺田屋に限る」と旅人の間で評判になり、ますます繁昌したのでした。

・お龍の知らせで追っ手が来たことを知った龍馬は、ピストルを構え、慎蔵は自慢の槍を手にとります。龍馬のピストルは、アメリカのスミス&ウェッソン社のもので、高杉晋作が上海で買ったものを龍馬にプレゼントしたものです。やがて二階に上がってきた役人たちに、龍馬と慎蔵はたった二人で立ち向かい、なんとか外に逃げ出すことができました。路地を逃げた二人は、寺田屋から300メートルほど離れた材木小屋に隠れます。しかしこのとき龍馬は左手の親指を切られ、動脈から血が出て大変だったそうです。もう助からないと思い、慎蔵は切腹しようとしたのですが、龍馬はそrをやめさせて、「死ぬ覚悟があるなら切腹なんかするよりも一か八かで薩摩藩邸に駆け込んでみてくれ」と頼みます。一方、お龍も、龍馬を助けてもらおうと薩摩藩邸に慎蔵より先に行っていました。天下の薩摩藩が動いてくれたら、役人たちも手が出せません。三人は薩摩藩邸に無事保護されました。

・間一髪で助かった龍馬。しかし、今後も命を狙われる立場であることには変わりがありません。小松帯刀や西郷隆盛たち薩摩藩の人々のすすめで、龍馬とお龍はしばらく京都を離れることにしたのでした。温泉につかって傷を癒すという目的もあり、二人は1866年の3月から6月にかけての3ヶ月間、薩摩や霧島温泉一帯を旅行します。これが日本で最初の新婚旅行といわれているのです。

・1867年11月15日、幕府の目を逃れて京都の近江屋というところに潜伏していた龍馬と中岡慎太郎は、十津川郷士を名乗る刺客に襲われ、命を落としました。この暗殺については、今でも誰が何のためにやったかがはっきりわかっていません。幕府の京都見廻組の今井信郎や佐々木只三郎が実行犯だという説が有力ですが、他にも、新撰組や薩摩藩や土佐藩、さらにはフリーメーソンが黒幕だったという説まであります。逆に言うと、それだけみんなに龍馬を暗殺する動機があるということですよね。幕府から命を狙われるのは当然だし、また武力によって幕府を倒そうとしていた薩摩藩からも、龍馬がとなえる大政奉還論は邪魔だったのです。龍馬暗殺の1ヶ月前に実現した大政奉還によって、幕府は260年間持ち続けた政権を手放すことになっていました。いよいよこれから新しい日本の国づくりが始まる、というときに、龍馬はこの世を去ったのです。龍馬が思い描いた新しい日本の姿を、龍馬は見届けることができなかったのです。

・龍馬の死を、妻のお龍は下関の伊藤家で知らされました。お龍は、もとから覚悟していたことだと気丈に振る舞い、龍馬を弔う法事を行ったのですが、黒髪をバッサリと切って白紙に包み仏前に供えたとき、堪えきれずにワーッと泣き伏したんだそうです。



<目次>
第1章 坂本家の女性たち
 龍馬誕生
 不思議な夢
 継母・伊与の教え
 はちきん乙女
 弟への羨望
 長女・千鶴の思い
 謎に包まれた次女・お栄
 妹のような春猪
第2章 龍馬の初恋
 高嶺の花
 謎の手紙
 遠距離恋愛
 無念の思い
 忘れ形見
 架空の恋人
 須磨に失恋
第3章 江戸の恋
 一人旅の掟
 ツンデレさな子
 脱藩への道
 加尾との再会
 辛い決断
 貫いた愛
第4章 京都の恋
 新しい夢
 龍馬の妻・お龍
 寺田屋の女将・お登勢
 都に結集する志士
 心の中の葛藤
 放たれた刺客
 新婚旅行
 嵐の前の静寂
 昇竜の最期
 残された妻
 流浪の旅
第5章 長崎の恋
 世界の海援隊
 歴史の舵取り
 思わぬ支援
 芸 ・お元の功績
 亀山社中から海援隊へ
 貿易商・大浦慶
 夜明けをつくった男


面白かった本まとめ(2009年下半期)


<今日の独り言>
昭和記念公園のど真ん中で自転車がパンクしてしまいました^_^;)公園を出るのも大変だったし、自転車屋にたどり着くのも大変でした^_^;)しかし、直せてよかったです^_^)

コメント
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