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「イノベーション・オブ・ライフ(クレイトン・M・クリステンセン他)」という本はとてもオススメ!

2013年11月01日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

「イノベーション・オブ・ライフ」の購入はコチラ

 「イノベーション・オブ・ライフ」という本の著者であるクレイトン・クリステンセン教授は、毎年ハーバード・ビジネススクールで受けもつ講義の最終日に、ビジネスや戦略ではなく、どうすれば幸せで充実した人生を送れるかについて、学生たちと話し合う機会をもっているようです。

 2010年には学生たちのたっての希望で、その年の卒業生全員に向けて授業を行い、この内容を二人の共著者とともに加筆・書籍化したものが、この「イノベーション・オブ・ライフ」(原題:How Will You Measure Your Life?)という本です。

 クレイトン・クリステンセン教授は、2007年に心臓発作に襲われ、その2年後には悪性腫瘍が見つかり、今度は脳梗塞で倒れ、言語能力に障害が残りましたが、これほど大変な苦しみや挫折のなかでも、人がよりよく生きられるよう手助けしたいという思いがますます強くなったようです。

 現在はかなり回復されたようで安堵しましたが、本書はどうすれば幸せで人生を送れるかについて、ビジネス戦略を例に挙げながら、仕事(キャリア)の選択方法、時間やお金・労力の配分、人間関係、よりよい結婚生活法、子どもの育て方、自分のルール、目的をもつことの大切さなどについて分かりやすく説明しています。

 とても考えさせられ、自分の人生の参考になりました。

「イノベーション・オブ・ライフ」という本は、とてもオススメな本です!

以下はこの本のポイントなどです。

・仕事の衛生要因をただちに改善しても、仕事を突然好きになるわけではない。せいぜい、嫌いではなくなるのが関の山だ。「仕事に不満がある」の反対は、「仕事に満足している」ではなく、「仕事に不満がない」だ。この2つは決して同じことではない。安全な快適な職場環境、上司や同僚との良好な関係、家族を養えるだけの給料といった衛生要因に配慮するのは大切だ。これらが満たされなければ、あなたは仕事に不満をもつようになる。だがそれだけで、仕事を心から好きになれるわけではない。ただ嫌いではなくなるだけだ。

・ほどなくして私は何人かの友人に仕事が嫌になってきたと打ち明けられた。間違った理由で仕事を選んだことに気づいたのだ。おまけに彼らは身動きがとれなかった。給料に見合った贅沢なライフスタイルを送っていた家族にとって、もとの暮らしに戻るのは並大抵のことではなかった。真の動機づけ要因ではなく、衛生要因につられて仕事を選んだ結果、罠から抜け出せなくなったのだ。私は何も、不幸な仕事の根本原因が金銭だとは言っていない。そうではない。問題が起きるのは、金銭がほかのどの要素より優先されるとき、つまり衛生要因は満たされているのに、さらに多くの金銭を得ることだけが目的になるときだ。

・仕事の動機づけ要因が満たされている人は、大金を得ていなくても、仕事を愛するようになることを、ハーズバーグ理論は示唆する。このような人は、仕事にやりがいを感じるはずだ。

・いざプレイハウスが完成すると、子どもたちはめったに中で遊ばなかった。実のところ、彼らを動機づけていたのは、自分たちの家を手に入れたいという願いではなかった。家を建てるという行為と、自分がそれに貢献しているという自覚が、満足感を与えたのだ。それまで私は大事なのは終着点だと思っていた。だが実は、そこに向かう道のりにこそ意味があったのだ。こうした動機づけ要因のもつ力は、計り知れないほど大きい。何かを成し遂げた、学んだという思い、有意義な成果を生み出そうとするチームを動かしているという自負。あのとき一人で簡単につくれるプレイハウスの組立キットを買っていたらと思うと、ひやりとする。

・金銭を追い求めても、せいぜい仕事への失望感を和らげるにすぎないということだ。それでも富の誘惑は、社会の俊英たちを混乱させ、惑わせている。本当の幸せを見つける秘訣は、自分にとって有意義だと思える機会をつねに求め続けることにある。新しいことを学び、成功を重ね、ますます多くの責任を引き受けることのできる機会だ。古いことわざに、こんなものがある。「自分の愛することを仕事に選びなさい。そうすればあなたは一生のうち、一日も働く必要がなくなる」。自分の仕事を心から愛せる人、有意義と思える仕事をしている人は、毎朝出社した瞬間から、はっきりと有利な立場にある。全力で仕事に打ち込み、ますます仕事をうまく行えるようになるのだ。

・私たちが最も陥りやすい間違いの一つは、それさえあれば幸せになれると信じて、職業上の成功を示す、目に見えやすい証に執着することだ。もっと高い報酬。もっと権威ある肩書き。もっと立派なオフィス。こうしたものは結局のところ、あなたが職業的に「成功した」ことを、友人や家族に示すしるしでしかない。だが仕事の目に見えやすい側面にとらわれたとたん、ありもしない蜃気楼を追いかけた、私の何人かの同級生と同じ道をたどる危険にさらされる。今度昇給すればとうとう幸せになれと、あなたは思うかもしれない。だがそれは雲をつかむようなものだ。動機づけい理論は、ふだん自分に問いかけないような問題について考えよと、わたしたちを諭している。この仕事は、自分にとって意味があるだろうか?成長する機会を与えてくれるだろうか?何か新しいことを学べるだろうか?だれかに評価され、何かを成し遂げる機会を与えてくれるだろうか?責任は任されるだろうか?-これらがあなたを本当の意味で動機づける要因だ。これを正しく理解すれば、仕事の数値化しやすい側面にそれほど意味を感じなくなるだろう。

・戦略の選択肢は、二つのまったく異なる源から生まれる。一つ目の源は予期された機会、つまり前もって予見し、意図的に追求することができる機会だ。このような予期された機会を中心とする計画を実行するとき、意図的戦略を推進しているという。選択肢の二つ目の源は予期されない機会で、一般には意図的な計画や戦略決定、推進するうちに生じる、さまざまな問題や機会の混じり合ったものをいう。続いて、予期されない問題や機会は、平たく言えば、経営陣や従業員の注目、資金、熱意を得ようとして、意図的戦略と張り合う。企業はここで選択を迫られる。当初の計画に固執するか、それを修正するか、それとも新しく生じた選択肢の一つに完全に乗り換えるかだ。この選択は、はっきりとした意志決定の形をとることもある。だが一般に、修正された戦略は、企業が予期されない機会を追求し、予期されない問題を解決するうちに下す、日々のさまざまな決定が凝縮したものであることが多い。このようにして形成される戦略は、創発的戦略と呼ばれる。

・私たちは人生やキャリアで、意識していようがいまいが、つねに意図的戦略か、創発的に現れる予期されない選択肢のどちらかを選びながら、道を進んでいく。どちらの手法も、私たちの心をつかもうとして張り合い、実際の戦略になろうとして正当性を主張する。どちらかの手法がもう一方に比べて本質的に優れているとか、劣っているということはない。むしろ、どちらを選ぶべきかは、あなたが道程のどこにいるかによって決まるのだ。戦略がこの2つの異なる要素からできていること、そして状況によってどちらを選ぶべきかが決まることを、しっかり理解しよう。そうすれば、キャリアを歩むなかで、ひっきりなしに現れる選択肢の中から、よりよいものを選び出せるようになる。

・あなたの求める衛生要因と動機づけ要因の両方を与えてくれる仕事が、すでに見つかっているなら、意図的な手法をとるのが理にかなっている。あなたははっきりした目標を持ち、いまの感触からすると、その目標には努力して達成する価値があると思っている。予期されない機会に合わせて戦略を修正することは忘れて、意図的に設定した目標をどうやって達成するかに、思考を集中しよう。反面、こうした条件を満たすキャリアがまだ見つかっていない人は、道を切り拓こうとする新興企業のように、創発的戦略をとる必要がある。別の言い方をすると、こういう状況にあるときは、人生で実験せよということだ。一つひとつの経験から学びつつ、戦略を修正していく。これをすばやく繰り返すのだ。これと思う仕事が見つかるまで続けよう。キャリアを歩むうちに、自分がどのような分野の仕事なら好きになれるのか、輝けるのかがわかってくる。そのうちに動機づけ要因を最大限に高め、衛生要因を満たせる分野がきっと見つかるだろう。だが象牙の塔に閉じこもり、問題をじっと考えていれば、いつか答えがひらめくというものではない。戦略は必ずと言ってよいほど、予期された機会と予期されない機会が組み合わさって生まれる。肝心なのは、外へ出ていろんなものごとを試しながら、自分の能力と関心、優先事項が実を結びそうな分野を、身をもって知ることだ。本当にやりたいことが見つかったら、そのときが創発的戦略から意図的戦略に移行するタイミングだ。

・仕事を引き受ける前に、あなたのやりたいことをやり遂げるには、誰に何をやってもらう、または何を提供してもらう必要があるのかを、じっくり考えて書き出す。こう自問しよう。「この仕事で成功するには、どんな仮定の正しさが証明されなくてはならないだろう?」それをリストアップする。それは自分の力で何とかなるものだろうか?同じように重要なこととして、いま検討している仕事で自分が幸せになるには、どんな仮定が立証されなくてはならないかを考えよう。あなたは外発的、内発的どちらの動機づけ要因をもとに、仕事を選ぼうとしているのだろう?なぜこの仕事を楽しめると思うのか?どんな根拠があるのか?転職を検討するたびに、立証する必要のある最も重要な仮定を洗い出し、それをすばやく、費用をかけずに証明する方法を考えよう。自分のとろうとする道について、現実的な期待をもつことを心がけよう。

・戦略は企業戦略であれ人生の戦略であれ、時間や労力、お金をどのように費やすかという日々の無数の決定を通して生み出される。あなたは一瞬一瞬の時間の過ごし方や、労力とお金の費やし方に関わる一つひとつの決定を通して、自分にとって本当に大切なのはこういうことだと、公に宣言しているのだ。人生に明確な目的と戦略をもつことは確かに大切だが、自分のもてる資源を、戦略にふさわしい方法で投資しない限り、何にもならない。結局のところ、戦略は正しく実行されなければ、ただの善意でしかないのだ。自分が心から実行したいと思う戦略を、実際に実行しているかどうかを確かめるには、どうすればいいだろう?自分の資源が流れている場所に、つま資源配分プロセスに目を配ろう。自分の立てた戦略を支えるような配分がなされていない場合、深刻な問題が起きる恐れがある。たとえば自分は慈善心のある人間だと自負している人は、自分の気にかけている大義や組織に、それだけの時間やお金を費やしているだろうか?家族が何より大事だと言うなら、ここ一週間の時間の使い方の選択で、家族を最優先しているだろうか?自分の血と汗と涙をどこに投資するかという決定が、なりたい自分の姿を映しだしていなければ、そのような自分になれるはずもない。

・あなたは親として、子どもにいろんなことを試みるが、うまくいかないことも多いだろう。そんなとき、失敗したと考えがちだ。でもそう考えてはいけない。実はその逆なのだから。ここまで創発的、意図的戦略について考えてきたこと、計画と思いがけない機会のバランスを図る方法を思い出せば、何かがうまくいかないということは、失敗とイコールでないことがわかるはずだ。失敗したのではなく、うまくいかないやり方を学んだのだ。おかげで、ほかの方法を試すべきだとわかる。

・家族や親しい友人との関係は、人生で最も大切な幸せのよりどころの一つだ。だが気をつけなくてはいけない。家庭生活が万事うまくいっているように思われるときは、家族との関係への投資を後回しにできると、ついつい考えてしまう。これは大きな間違いだ。深刻な問題がもちあがる頃には、関係を修復しようとしても、もう手遅れであることが多い。つまり、矛盾しているようだが、家族との強力な関係、友人との親密な関係を築くことに最も力を入れる必要があるのは、一見その必要がないように思われるときなのだ。

・アマル・ビデ教授は著書「新規事業の起源と進化」のなかで、最終的に成功した企業の93%が、当初の戦略を断念していたと指摘する。その理由は、当初の計画に成功の見込みがないことが判明したからだった。別の言い方をすると、成功した企業は、最初から正しい戦略をもっていたから、成功したのではない。むしろ成功できたのは、当初の戦略が失敗したあともまだ資金が残っていたために、方向転換して別の手法を試すことができたからだ。これに対して、失敗する企業のほとんどが、ありったけの資金を当初の戦略に注ぎ込んでいる。だが当初の戦略は、間違っていることが多いのだ。必勝戦略がまだはっきりしない、新規事業の初期段階では、投資家からの「良い金」は、「成長は気長に、しかし利益は性急に」求めるものでなくてはいけない。つまり、間違った戦略を推進して多額の資金を無駄にしないよう、できるだけ早くできるだけ少ない資金で、実行可能な戦略を見つけることを、新興企業に要求するのだ。最終的に成功した企業のうち、93%が当初の戦略を変更する必要があったことを考えると、初期段階の企業に可能な限り「早く大きく」成長することを求める資本は、ほぼ例外なく企業を崖に突っ込ませる。これが起きると、大企業でもあっと言う間に資金を使い果たしてしまう。また組織が大きければ大きいほど、方向転換は難しい。

・皮肉にもホンダが成功したのは、当初の台所事情があまりにも厳しく、利益モデルが見つかるまでの間、気長に成長を待つほかなかったからだ。もしアメリカ事業により多くの資源を配分する余裕があったなら、たとえ儲かる見込みはなくても、さらに多額の資金をつぎこんで大型バイク戦略を追求していたかもしれない。これは投資という観点から言えば、「悪い金」にあたる。だが実際のホンダには、スーパーカブに注力する以外、ほとんど打つ手がなかった生き延びるには、小型バイクのもたらす利益がどうしても必要だった。これが、ホンダが最終的にアメリカで大成功を遂げた、一番の理由だ。ホンダはやむを得ない事情から、理論に忠実な方法で投資をするしかなかったのだ。これに代わるのが、逆の手法だ。事業を早く大きく成長させるために投資を行い、利益をあげる方法はおいおい見つければいいと考える。まさに、モトローラがイリジウムでとった戦略だ。歴史をひもとけば、この道を歩もうとして失敗した企業の例には事欠かない。このようにして近道をしようとする企業は、必ず失敗する。

・「良い金、悪い金」の理論が説明する因果的作用のせで、ほとんどの企業に審判の日が訪れる。主力事業がつまづくか、頭打ちになり、新しい収益源がいますぐ必要になる。だが新規事業への投資を怠ってきた企業は、新しい収益と利益の源が本当に必要になったときには、もう手遅れなのだ。もっと日陰がほしいと思ったそのときに、苗木を植えなくてはいけない。苗木は一夜にして日陰を生み出せるほど、早く大きく成長できないのだから。日陰をつくるほど高く育つ木がほしいなら、長年かけて辛抱強く育てる必要がある。

・映画「素晴らしい哉、人生!」が、何十年もの間大きな共感を呼び続けているのには、わけがある。主人公ジョージ・ベイリーを、人生の最もつらい時期に支えたのは、彼がそれまで投資してきた、数々の人間関係だった。ベイリーは映画の終わり近くに、お金はなくても豊かな友情に支えられていることに気づく。だれもがジョージ・ベイリーのような感情を味わいたい。だが、友人や家族との関係に、生涯を通じて投資するという仕事をしてこなかった人には、到底望めない話だ。忙しさにかまけ、図らずもおろそかにしてしまった友情の一つや二つは、だれにでもあるだろう。自分の友情だけは、放っておいても壊れないと思うかもしれないが、そんなことはまずない。どんなに信頼し合った友人でも、しばらくは変わらぬ関係でいてくれるだろうが、そのうちほかの人に時間と労力、友情を傾けるようになる。そうなれば、損失を被るのはあなただ。晩年になってから、かつてあれほど大切に思っていた友人や親戚と、なぜもっと連絡を取り合わなかったのだろうと嘆く人が多い。忙しくて、それどころではなかったのだ。だがそのまま放っておくと、深刻な影響が及ぶことが多い。黙って話を聞いて支えてくれる人を失い、闘病生活や離婚、失職などの大変な時期を、一人で堪え忍ばなくてはならなかった人たちを。それは世界中で一番孤独な場所かもしれない。

・研究者のトッド・リズリーとベティ・ハートは、生後二年半までの子供に、親の語りかけが与える影響を研究した。親子間で行われるすべてのやりとりを、細心の注意を払って観察し、記録したところ、親は1時間に平均1500語の言葉を、幼児に語りかけることがわかった。また「おしゃべりな」親(大学出の人が多かった)が、平均2100語を語りかけたのに対し、言語環境の貧しい親(低学歴の人が多かった)は、1時間に平均600語しか語りかけなかった。生後30ヶ月間の合計で見ると、「おしゃべりな」親の子どもは、平均4800万語を語りかけられたが、不利な環境で育った子どもは、わずか1300万語しか語りかけられなかったことになる。研究によれば、子どもが言葉に触れるべき最も重要な時期は、生後1年間だという。リズリーとハートの研究では、子どもたちが学校にあがってからも追跡調査をした。子どもたちに語りかけられた言葉の数は、彼らが生後30ヶ月間に聞いた言葉の数とも、成長してからの語彙と読解力の試験の成績とも、強い相関があった。また、子どもにただ何かを語りかければいいというわけではなかった。研究者たちは、親と幼児の間で行われる会話には、二種類あることに気がついた。一つは彼らが「仕事の話」と名付けたもので、たとえば「お昼寝の時間よ」「車に乗りましょう」といったものだ。これらは単純で直接的な会話であり、豊かで複雑な会話ではなかった。この種の会話が認知発達におよぼす影響は限定的だと、リズリーとハートは結論づけた。これに対して、子どもと面と向かって会話をし、大人とまったく同じ、知的な言葉を使って、まるで子どもが話し好きな大人たちの会話に加わっているかのように話しかけたとき、認知発達に計り知れないほど大きな影響があった。このような豊かなやりとりを、彼らは「言葉のダンス」と名付けた。言葉のダンスは、くだけた感じで思ったことを口にし、子どもがしていることや、親がしていること、しようと思っていることについて、あれこれ話すものだ。「今日は青いシャツを着る、それとも赤いシャツにしましょうか?」「今日は雨が降るかしらね」「ママったら、前にあなたのほ乳瓶を間違ってオーブンに入れちゃったときがあったわね」という具合だ。言葉のダンスでは、子どもに「もし~だったら」「覚えているかしら」「こうだったらいいと思わない?」といった問いかけをする。つまり子どもの身の回りで起きていることを深く考えさせるような質問だ。そしてこのような問いかけは、子どもが聞かれていることを理解できるようになるはるか前から、計り知れないほど大きな影響を及ぼすのだ。簡単に言うと、親が「余計なおしゃべり」をするとき、子どもの脳内で膨大な数のシナプス経路が活性化さえ、精微化される。シナプスとは、脳内の神経細胞同士の接合点のことで、神経細胞間の信号伝達はこのシナプスを通して行われる。わかりやすく言えば、脳内でシナプスの経路がたくさんつくられればつくられるほど、つながりがますます効率的に形成され、おかげでその後の思考パターンがより容易に、より早く形成される。

・さらに重要なことに、認知的優位性のカギが「言語のダンス」にあるのであって、収入や民族性、親の学歴などにあるのではないことを示している。別の言い方をすれば、低所得労働者でも、子どもにたくさん語りかけた人は、子どもの成績が非常によかった。また裕福な実業家でも、子どもにほとんど語りかけなかった人は、子どもの成績がとても悪かった。結果のばらつきはすべて、家庭内で3歳になるまでの幼児に語りっけられた言葉の量によって説明された。豊富な語彙と高い認知的能力をもって小学校に入学する子どもは、学校で早くから優れた成績をあげ、その後も長期にわたってよい成績をあげる確率が高い。これほど小さな投資が、これほど大きな利益を生む可能性があることには、唖然とさせられる。それでも多くの親は、子どもの学業成績に力を入れるのは、小学校にあがってからでいいと考える。だがその頃にはもう、子どもによいスタートを切らせる、絶好の機会を逸しているのだ。これは、友人や家族との関係への投資を、成果の兆しが見え始めるはるか以前から行わなくてはいけないという、数多くの例の一つにすぎない。時間と労力の投資を、必要性に気づくまで後回しにしていたら、おそらくもう手遅れだろう。キャリアを軌道に乗せようというときには、人間関係への投資は後回しにできると、思いたくもなる。それではいけない。大切な人との関係に実りをもたらすには、それが必要になるずっと前から等しをするしか方法はないのだ。

・片づけるべき用事のレンズを通して結婚生活を見れば、お互いに対してもっとも誠実な夫婦とは、お互いが片づけなくてはならない用事を理解した二人であり、その仕事を確実に、そしてうまく片づけている二人だとわかる。この気づきは、私に計り知れない影響を及ぼした。妻が片づける必要のある用事を心から理解しようとすることで、妻への愛情がますます深まる。妻もおそらく同じように思ってくれていることだろう。これに対して離婚は、自分の求めるものを相手が与えてくれるかどうかという観点から、結婚生活をとらえていることに、原因の一端があることが多い。与えてくれない人はお払い箱にし、別の人を探すという考え方だ。

・意外に聞こえるかもしれないが、人間関係に幸せを求めることは、自分を幸せにしてくれそうな人を探すだけではないと、私は深く信じている。その逆も同じくらい大切なのだ。つまり幸せを求めることは、幸せにしてあげたいと思える人、自分を犠牲にしてでも幸せにしてあげる価値があると思える人を探すことでもある。私たちを深い愛情に駆り立てるものが、お互いを理解し合い、お互いの用事を片づけようとする努力だとすれば、その献身を不動のものにできるかどうかは、私の経験から言えば、伴侶の成功を助け、伴侶を幸せにするために、自分をどれだけ犠牲にできるかにかかっている。

・製薬・自動車・石油・情報技術・半導体など多くの業界の企業が、デルと同じように、将来の能力の重要性をよく考えもせずに、アウトソーシングを推進している。この動きをあおっているのが、金融関係者やコンサルタント、研究者などだ。彼らはアウトソーシングを行えば、簡単にすばやく利益をあげられることを知っているが、その結果手放す能力を失うことのコストには気づかない。

・資源・プロセス・優先事項の能力モデルは、子どもが将来直面しそうな困難や問題から逆算して、どんな能力を備える必要があるかを考えるのに役立つ。子どもにできること、できないことを決定する要因の一つめが、資源だ。これには子どもが与えられた、または自ら獲得した、金銭的、物質的資源、時間、労力、知識、素質のほか、子どもが築いた人間関係や、過去から学んだことなどが含まれる。子どもの能力を決める二つ目の要因は、プロセスだ。プロセスとは、子どもが自力で新しいことを成し遂げたり、生み出したりするために、自分のもてる資源を使って行うことをいう。企業のプロセスと同様、目に見えにくいが、子どもの個性をつくる大きな要素だ。たとえば子どもの考え方や、洞察に満ちた質問をする方法、得意とするタイプの問題、問題の解決方法、他人と協力する方法などがこれにあたる。子どもの個人的な優先事項が、三つ目の能力になる。これは私たち大人がもっている優先事項とそう変わらない。学校、スポーツ、家族、仕事、信仰などがそうだ。優先事項は、子どもが日々決定を下す方法に影響を与える。頭のなかで考えていることや、様々なものごとのうち、どれを最優先するか、先延ばしにするか、はなから行わないかの決定だ。資源は何かを行う手段、プロセスは方法、優先事項は動機になる。

・アメリカでは近代経済史上初めて、若年層の失業率がほかのすべての年齢層を上回った。世界中の多くの先進国でも事情は同じだ。いったいどうしたことだろう?過去数十年間の経済政策のせいだと、わけ知り顔の人は言うが、私の見るところ、この状況を招いている要因は別にある。一つの世代全体が、雇用に直結する能力、特にプロセスを身につけないまま大人になってしまったのだ。私たちは家庭から仕事をアウトソーシングし、その結果生じた穴を、子どもたちに試練を与えず、やる気をかき立てもしない活動で埋めた。子どもたちを人生の困難な問題から隔離することで、知らず知らずのうちに、成功に必要なプロセスや優先事項を生み出す能力を、この世代から奪ってしまったのだ。

・私はこのときの経験から、自分の問題はできる限り自力で解決することを学び、自分の問題を自力で解決できるという自信をもち、また自分がそえをやり遂げたことに誇りを感じた。おかしなことだが、私はあの靴下がすり切れてはけなくなるまで、靴下をはくたびにつま先の直したところを見て、「ぼくが直したんだ」と思ったのだ。リーバイスの膝をどうやって直したのか、いまとなっては思い出せないが、きれいに直せたはずがない。だがそれを目にするたび、うまく直せなかったとは思わなかった。私が感じたのは、自分で直したという誇りだけだった。

・あなた自信、子ども時代にそんな経験をした記憶があるのではないだろうか。親から大切なことを学びとったとき、当の親には自分が何かを教えたという自覚がまったくなかった。たぶんそのとき親は、正しい優先事項を意識的に教えようとしていたわけではない。だが大切な学びの瞬間に、そばにいてくれたからこそ、あなたは学んだ価値観を本当に自分のものにすることができたのだ。このことが教えてくれるのは、一つには、子どもが学ぶ準備ができたとき、私たちがそばにいる必要がある。そして二つには、私たちは自分の行動を通して、子どもたちに学んでほしい優先事項や価値観を示す必要がある、ということだ。ところが私たちは、昔は家庭にいくらでもあった仕事の大部分をアウトソーシングすることで、子どもの生活に空洞をつくり、その多くを自分たちの関わらない活動で埋めている。その結果、子どもがいざ学ぶ準備ができたとき、そばにいるのは、私たちの知らない人や、尊敬できない人であることが多いのだ。

・子どもに必要なのは、新しいスキルを学ぶこおではない。能力の理論は、子どもに困難な挑戦を与えることの必要性を教えてくれる。子どもに厳しい問題を解決させ、価値観を養わせよう。どれほど多くの経験をさせても、心から打ち込めるような機会を与えない限り、将来の成功に必要なプロセスを身につけさせることはできない。また子どもにこうした経験をさせる役割を他人任せにする、つまりアウトソーシングすれば、子どもをあなたの尊敬、賞賛するような大人に育てあげる、貴重な機会を失うことになる。子どもが学ぶのは、あなたが教える準備ができたときではない。彼らは、学ぶ準備ができたときに学ぶのだ。子どもが人生の困難に立ち向かうそのそき、あなたがそばにいてやらなければ、彼らの優先事項を、そして人生を方向づける、貴重な機会を逃すことになる。

・彼は経営トップへの出世コースと思われるような職務や任務につく代わりに、どのような経験が得られるかかから逆算して、計画的に仕事を選んでいったのだ。「収入や名声をもとに仕事を選ぶようなことは絶対にしなかった」と彼は学生たちに語った。「むしろ、仕事を選ぶ際には必ずこう考えた。「この仕事は、私が将来立ち向かう必要のある経験をさせてくれるだろうか」」アーチボルトがビジネススクールを卒業後、初めてついた仕事は、華やかなコンサルティングの仕事ではなかった。彼は北ケベックで、アスベスト鉱山の経営に携わった。困難な状況で働く人たちを管理、指揮するという特定の経験を、経営トップになるまでに積むべきと考えてのことだった。そしてこれを皮切りに、同様の決定を下していった。戦略は功を奏した。彼はほどなくしてビアトリス・フーズのCEOに就任した。それから、わずか42歳にしてブラック&デッカーのCEOに就任するという、さらに高い目標を成し遂げたのだ。彼はその後24年間にわたって、この地位を務めあげた。

・あなたは親として、子どもが早いうちに重要な講座をとれるように、ちょっとした機会を見つけてやれる。ちょうどノーラン・アーチボルドがやったように、子どもが将来成功するためにはどんな講座が必要になるかを考え、それに合った経験を分析して模倣するのだ。背伸びをして、とても高い目標をめざすよう、子どもを励まそう。うまくいかなかったときには、そばにいて、子どもが正しい教訓を学べるように手助けする。偉大なことを成し遂げようとするとき、失敗するのは仕方ない。立ち上がってほこりを払い、またがんばろう。ときに失敗することがないなら、それは高みを目指していないのと同じだと、そう教えよう。だれもが成功をほめたたえるが、子どもが手の届かない目標を目指して頑張った結果であれば、失敗も賞賛しなくてはならない。

・子どもが困難な状況に陥ると、私たちはただもう本能的に手をさしのべようとする。だが子どもは難題に向き合い、ときに失敗することがなければ、困難から立ち直る力という、生涯を通じて必要になる能力を養うことはできない。長年ノンストップですばらしい業績をあげてきた人が、初めて大きな壁にぶつかると、精神的に参ってしまうことも多い。子どもをそんな目に遭わせたい親はいない。子どもにどんな能力を身につけさせたいかをつねに意識し、そのためにどんな経験をさせるべきかを考えよう。生涯を通じて必要になる能力を養うのに役立ちそうな経験を洗い出し、それを子どもに与える機会を設計するのだ。簡単ではないが、やるだけの価値はある。

・ほとんどの人が、「この一度だけ」なら、自分で決めたルールを破っても許されると、自分に言い聞かせたことがあるだろう。心の中で、その小さな選択を正当化する。こういった選択は、最初に下したときには、人生を変えてしまうような決定には思われない。限界費用はほぼ必ず低いと決まっている。しかしその小さな決定も積み重なると、ずっと大きな事態に発展し、その結果として自分が絶対になりたくなかった人間になってしまうことがある。私たちは無意識のうちに限界費用だけを考え、自分の行動がもたらす本当のコストが見えなくなってしまうのだ。この道に踏み出す最初の一歩は、小さな決定だ。いくつもの小さな決定を正当化し続けるうちに、いつしか大きな決定を迫られる。だがそのころには、もうそれほど大きな決定だと思わなくなっている。あるときふと辺りを見回し、前には考えられなかった終着点に着いたことに気づく。そのときになってようやく、自分がどんな道を歩んできたかを知るのだ。

・どんな企業も、望もうが望むまいが、目的をもっている。目的は企業の優先事項の中に宿り、経営者や従業員がそれぞれの置かれた状況で用いる優先順位づけのルールを実質的に決定する。多くの企業では、特定の強力な経営者や従業員が、企業は何であれ、自分の個人的な目的を達成するためにこそ存在すると考える。彼らにとって、企業は個人的な目的を達成する手段でしかない。そのような場合、企業の目的は、創発的戦略の入り口から入ってくることが多い。このような事実上の目的しかもたない企業はいつしか色あせ、製品やリーダーたちとともにたちまち忘れ去られる。だが明確な、説得力のある目的をもつ企業は、世界に計り知れないほど大きな影響と遺産を与える。企業の目的は灯台の光とな、従業員を本当に重要なものごとに集中させる。そして企業はこの目的のおかげで、どの一人の経営者や従業員よりも永らえることができるのだ。アップル、ディズニー、KIPPスクール、アラビンド眼科病院などがこの好例だ。

・企業の表明す目的が意味をもつためには、次の3つの部分をもっていなければなない。一つは、私が「自画像」と名付けたものだ。たとえていうと、絵画の巨匠は心でとらえたイメージをまず鉛筆描きのデッサンにしてから、油彩で描くことが多い。企業の「自画像」とは、主要なリーダーや従業員が、企業がいま進みつつある道を最後まで行ったとき、こんな企業になっていてほしいと思い描くイメージを言う。「自画像」という言葉が、ここではポイントだ。従業員がいつかあるとき、こんな企業になったのかと驚きをもって「発見」するようなイメージではないからだ。むしろ自画像とは、経営者や従業員が、旅の重要な節目に達したとき、実際にこうなっていてほしいと思う企業の姿を言う。二つ目として、目的が本来の役割を果たすためにいは、従業員と幹部が、実現しようとしている自画像に対して、深い献身をもたなくてはいけない。目的は書面で完結するものではない。従業員は、なにを優先すべきかという問いを、思いもよらない形で四六時中突きつけられる。このとき深い献身をもっていなければ、やむを得ない事情の波に揉まれて、自画像を傷つけてしまう。企業の目的の三つ目の部分が、経営者や従業員が進捗を測るために用いる、一つまたは少数の尺度だ。すべての関係者が、それぞれの仕事を尺度と照らし合わせることでこそ、企業全体が一貫した方向に進んでいける。この自画像、献身、尺度の3つの部分が、企業の目的をつくる。世界をよい方向に変えようとする企業は、けっして目的を成り行き任せにしてはいけない。価値ある目的が、いつの間にか現れることはまずない。目的は、明確な意図をもって構想、選択し、追求するものだ。だが企業がいったん目的をもてば、そこに行き着くまでの方法は、一般に創発的であることが多い。新しい機会や挑戦が現れ、それを追求する。偉大な経営者は、世界に足跡を残そうとする企業にとって、目的がいかに大切かを心得ている。

・私は自分の目的を明らかにしようとしてきた。また多くの友人や教え子が目的を見つけられるよう、手を貸してもきた。その経験から、自分の目的を自力で明らかにし、それを毎日実践していくには、人生の目的をなす3つの部分、つまり自画像、献身、尺度を理解することが、最も信頼できる方法だと断言できる。最後に忘れないでほしいのだが、これは一度やったらおしまいというものではなく、持続的なプロセスだ。わたし自身、自分の目的を十分に理解するまで、何年もかかった。だがその旅は実りあるものだった。

・私は学生たちに請け合う。じっくり時間をかけて人生の目的について考えれば、あとでふり返ったとき、それが人生で発見した一番大切なことだったと必ず思うはずだ。そして学校にいるいまこそ、この問いをじっくり考える最良のときなのだ。社会に出れば、ペースの速いキャリアや家族に対する責任、成功の目に見える報酬などに時間をとられ、周りが見えなくなることが多い。学校を終えて、舵ももたずに世の中にこぎ出せば、人生の荒波にのまれるだけだ。自分の目的をはっきり意識することは、長い目で見れば、活動基準原価計算(ABC)やバランススコアカード、コアコンピタンス、破壊的イノベーション、マーケティングの4P、ファイブフォース分析といった、ハーバードで教える重要な経営理論の知識に勝るのだ。あなたにも同じことが言える。じっくり時間をかけて人生の目的を考えれば、あとからふり返ったとき、それが人生で学んだ最も大切なことだったと必ず思うはずだ。

<目次>
 序講
 第1講 羽があるからと言って・・・
第1部 幸せなキャリアを歩む
 第2講 わたしたちを動かすもの
 第3講 計算と幸運のバランス
 第4講 口で言っているだけでは戦略にならない
第2部 幸せな関係を築く
 第5講 時を刻み続ける時計
 第6講 そのミルクシェイクは何のために雇ったのか?
 第7講 子どもたちをテセウスの船に乗せる
 第8講 経験の学校
 第9講 家庭内の見えざる手
第3部 罪人にならない
 第10講 この一度だけ・・・
 終講
 謝辞
 訳者あとがき

面白かった本まとめ(2013年上半期)

<今日の独り言> 
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