A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

追悼、西海岸パンクの女王、ジェニファー・ミロ

2012年01月06日 00時27分56秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


70~80年代に活躍したサンフランシスコのパンク・バンド、ザ・ナンズ。バンドにて鍵盤奏者/ヴォーカリストとして活躍したジェニファー・ミロ(Jennifer "Miro" Anderson)嬢が12月16日、癌のためニューヨークで死去。享年54歳。

ザ・ナンズは1975年カリフォルニア州マリン・カウンティで結成。翌年からサンフランシスコの様々なヴェニューでライヴ活動を始め、その年の内にはサンフランシスコ・パンク・シーンを代表するバンドとなった。丁度ニューヨークでパティ・スミス、ラモーンズ、テレヴィジョン、ブロンディなどが注目を集めた頃で、彼らは南カルフォルニアのブラック・フラッグ(ヘンリー・ロリンズ参加)、ロサンゼルスのX(彼らのおかげで日本のXは海外ではX Japanを名乗ることになった)などと共に退廃とは無縁のアメリカ西海岸にパンクを根付かせた先駆者的存在だった。ザ・ナンズの看板娘がジェニファー嬢で、モデルとしても活躍する美貌故に”西海岸パンクの女王”として大きな人気を集めた。1978年1月にはサンフランシスコのウィンターランドでセックス・ピストルズのサポートを務める。この公演はピストルズのラスト・ライヴとして有名。しかしザ・ナンズも1979年のニューヨーク・ツアーをもって解散。1980年にシングルや未発表曲を集めたデビュー・アルバムがBOMPレコードからリリースされたのを皮切りにいくつかのレーベルからアンソロジー的アルバムが発売され、その時代を先取りしたサウンドが全米に知られるようになる。

ジェニファー・ミロはロサンゼルスでソロ活動をしていたが、再評価が高まったのをきっかけに1986年ザ・ナンズを再結成、精力的に活動するが成功を得られないまま1990年代前半に再び解散。その後ニューヨークへ移り1997年に再々結成。今回はゴシック・ロックの権化として一部のファンに熱狂的に迎えられる。ジェニファーはモデル業に加え映画業界にも進出し脚本家としても活動をしていた。

しかし昨年になって突然肝臓と肺の癌が見つかり入院。ジェニファーは積極的な抗癌治療を拒んだため発病から半年余りでホスピスで54年の生涯を閉じた。

余り広く知られていないバンドだがザ・ナンズがアメリカのパンク/インディーズ・シーンに与えた影響は大きい。謹んでジェニファー嬢の冥福を祈りたい。



パンク界
美人薄命
人は言う

私のハンドル・ネームは画家のミロから来ているのだが、同じ名を持つジェニファー嬢には奇妙な親近感が湧く。

PS)先日紹介した裸のラリーズの5CD-SETに関して、マスターテープとブックレットに不良が見つかったとの連絡。良品と交換するそうだ。おそらく私が指摘したライヴ盤の曲間の途切れがそれにあたるのだと思う。詳しくはモダーンミュージックのHPを参照のこと。

コメント
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