A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

追悼。米国音楽の良心、レヴォン・ヘルム様

2012年04月21日 00時53分35秒 | こんな音楽も聴くんです


ザ・バンドのドラマー兼ヴォーカリストのレヴォン・ヘルム氏(最近は”リヴォン”という表記が一般的なようだが私が聴き始めた頃は”レヴォン”だったので敢てそう表記する)が4月19日(木)ニューヨークのメモリアル・スローン・ケタリング癌センターで亡くなった。享年71歳。1996年に咽頭癌と診断され唄うことは難しくなったが、ドラムス、マンドリン、ハーモニカなどを演奏し続け、奇跡的な回復を見せ2007年にソロ・アルバムを発表、2008年と2010年にはグラミー賞を受賞している。

そんなレヴォン氏の病状が悪化し癌の最終段階にあるとの家族からの発表がオフィシャルHPに掲載されたのが3日くらい前。アメリカのメディアを始め多くの心あるファンが応援のメッセージを表明する中、19日午後家族やバンド仲間に見守られて安らかに天国へ旅立ったことがHPで発表された。

私が洋楽を聴き始めた1970年代半ば「Music Life」「音楽専科」「GUTS」「ヤングギター」といった音楽雑誌やラジオの音楽番組から情報を得ていたのだが、ロック名盤紹介の記事では必ずザ・バンドのアルバムが掲載されていて、”Theバンド”って例えば”The歌手”とか”The音楽家”とか”The人物”とかいうのと同じで変なバンド名だな~と思い印象に残った。彼らの曲を初めてラジオで聴いたのは「ザ・ウェイト」。曲名も”The重さ”かよ、と可笑しかったが、ゆったりしたリズムと美しいコーラスの中に、当時好きだったジョン・デンヴァーやビーチ・ボーイズとは異質な土臭さと大人の渋さを感じ、これはひと味違った本格派だ、と思った覚えがある。彼らの名ライヴ盤「ロック・オブ・エイジス」が雑誌で紹介されており、中学のロック仲間に英治君という友達がいて、これは君のためのレコードだから買えよ、と迫って無理矢理買わせた(笑 

1978年の映画「ラスト・ワルツ」はかなり大きな話題になったが、その頃にはパンクやプログレに走っていたのでリアル・タイムでは観ていない。観たのは数年後、当時まだ各地にあった名画座で「トミー」か「ウッドストック」との二本立だったと思う。ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ニール・ヤング、リンゴ・スターなど蒼々たるゲストを迎えての解散コンサートのドキュメンタリーで、ザ・バンドの偉大さをしみじみ思い知った。

その後ロビー・ロバートソン抜きの再結成があったりや、レヴォン・ヘルム・オールスターズの来日公演を観に行ったり(真偽不明。この辺の記憶かなり曖昧)したが、尊敬はしていたがそれほどのめり込むことは無かった。レヴォン氏の死去の報にレコード/CD棚を探してみたのだが、発見したのは「ロック・オブ・エイジス」の英治君から借りてダビングしたカセットと「Live at Watkins Glen」という発掘ライヴCDのみ。仕方なくライヴCDで追悼しているのだが、アメリカン・ルーツ・ミュージックを消化した奥の深い演奏とレヴォン氏を中心とするヴォーカル・ハーモニーの素晴らしさに改めて感動している。



ザ・バンドのオリジナル・メンバーは5人中3人が鬼籍に入ってしまった訳だ。
ロック/ポップスの名手が次々に天に召される中、我々に残された使命は彼らの偉業を後世にきちんとした形で残し、その魂を継承して行くことだと思う。その意味では配信でいつでも誰の音源でも聴けるというのは悪いことではない。入手手段は整っている。あとはそれを如何に活用するかにかかっている。

レヴォンさん
南十字の
星になる

しばし合掌。

コメント
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