A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

麗しの80's UKガールズ・バンド達 Part 2~ドリーム・ポップ編

2013年01月21日 00時40分55秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


今日のブログ解析によると昨日一番多かった検索キーワードは「transvision vamp」で、閲覧記事の3位に2011年5月29日付記事「麗しのLate 80's UKガールズ・バンド達」がランクインしている。ブラから突然トラヴァ(Transvison Vamp)が浮上したのは不思議だが傾向としては悪くない。別にブラが悪いと言ってる訳ではないので念のため。読者の傾向に迎合する訳ではないが丁度これから新世代ドリーム・ポップの騎手Beach Houseのライヴに行く予定なので予習を兼ねて「ドリーム・ポップ」の視点から80'sガールズ・バンドを振り返るのもいいと思う。

ドリーム・ポップをwiki検索すると「1980年代中盤に誕生したロックのジャンルのひとつ。めまいを誘うような浮遊感のある音世界が特徴で、エコーやリバーブ、ディレイ・エフェクトなどを駆使して演奏される。」とありヴェルヴェッツやビートルズの影響を受けてコクトー・ツインズ、The Passions等4AD、クリエイションといったインディー・レーベルのアーティストが創始しシューゲイザー~ポストロック~インディーロックと継承されたという。私がドリーム・ポップという名称を知ったのはアソビ・セクスが自己のサイトで「ドリームポップワールド」を称していたことである。30年以上前からロックを聴いているが90年代まではジャンルとして「ドリーム・ポップ」が使われた覚えはない。多分2000年代のニューゲイザーやポストロックの興隆に応じて後付けで使われ始めたジャンルだと思うがどうだろう。

ドリーム・ポップと聞いて最初に思い出したのはThe Dream Academy。1985年ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモア等のプロデュースでデビュー。エレポップ全盛の当時のポップシーンにシンプルなアコースティック・サウンドの新鮮な風を吹き込みヒットした。夢繋がりの安易な連想だが曲を聴けばあながち間違っていないと思う。解散後ヴォーカルのニック・レアード=クルーズはピンク・フロイドのアルバムに参加、リード楽器担当の紅一点ケイト・セント・ジョンはロジャー・イーノと共演するなどプログレ繋がりの活動をした。



80's UKロックは後に女優やモデルとして活躍する女性アーティストを多数生んだ。トラヴァのWendy Jamesもそうだが、女優として最も成功したのはEighth WonderのPatsy Kensitに違いない。元々子役として活躍していたパッツィが1985年17歳の時兄のバンドに参加したのがEighth Wonder=第八感だった。彼女のアイドル的な魅力で日本やヨーロッパでは大ヒットしたが本国イギリスでは注目されず、2ndアルバム収録のペット・ショップ・ボーイズ書き下ろしナンバーでようやくヒット、前途洋々と思われたが間もなく解散状態に。パッツィはソロ&女優として活動。恋多き女としてダン・ドノヴァン(ビッグ・オーディオ・ダイナマイト)、ジム・カー(シンプル・マインズ)、リアム・ギャラガー(オアシス)と結婚・離婚を繰り返しゴシップ欄を賑わせた。



エイス・ワンダーの先輩格と言えるのがClare Grogan率いるAltered Images。バズコックスに影響され1979年にスコットランドで結成された彼らは1981年「Happy Birthday」の大ヒットで一躍人気バンドに。キュートさ弾けるクレアはニューウェイヴ・アイドルとして脚光を浴びる。1983年の解散後クレアはソロ・デビューすると共に女優としても現在まで活躍中。2012年にオルタード・イメージズ再結成、バナナラマやハワード・ジョーンズ等とのパッケージ・ツアーを続行中。←これ観たいんですけどっ!



同じく 80年代初頭のUKロック・シーンを彩ったのがStiffレコードからデビューしたオールガール・バンドThe Belle Stars。2 Toneのスカ・バンドThe Bodysnatchersを前身とする彼女たちはスカに留まらずロック/ポップの楽しさを追求したサウンドでレーベルメイトのマッドネスに続く成功を収めた。ホーンセクションを含む祝祭的演奏は狂乱の80年代を象徴する存在。



現在のゴスロリ・ファッションに影響を与えた存在として再評価されるグラスゴー出身のポップ・デュオStrawberry Switchblade。サイケデリックなメイクとポルカドット (水玉模様) を基調とした衣装でイケイケのエレクトロポップを歌い大ヒット。日本でも楽曲がCMで使われ年末の「世界紅白歌合戦」に出演する程の人気を誇ったが、活動1年半であえなく解散。二人のメンバーはそれぞれソロでジュリアン・コープやCoil、サイキックTV等と共演した。



ポール・ウェラーのレスポンドレーベルからデビューしたのがTracie。ポールがSmash Hit誌に出した「18-24歳の女性シンガー求む」という広告に応募したのがきっかけで契約に至ったというシンデレラ・ガール。ジャムやスタイル・カウンシルへのゲスト参加を経て1983年ソロ・デビュー、「ポール・ウェラーの秘蔵っ子」として注目を集める。モッズ感覚溢れるソウルフルなサウンドは浮ついた80年代には珍しく真摯なもの。1986年レスポンド・レーベル閉鎖後Polydorで2ndアルバムを録音するが未リリースのまま。トレイシーは本名のトレイシー・ヤングとしてラジオ・パーソナリティとして活躍中。



ドリーム・ポップではないがニューウェイヴ時代を象徴する日本人グループがFrank Chickens。1982年カズコ・ホーキら在英日本人を中心にロンドンで結成された彼らは「忍者」「フジヤマ」「カラオケ」「芸者」「ちょんまげ」など外国人の日本の既成イメージをデフォルメした楽曲で大きな話題となった。カズコは英国公共テレビ局チャンネル4の番組「カズコズ・カラオケ・クラブ」で司会を担当するなど活躍。フランク・チキンズはカズコを中心に在英日本人女性が入れ替わりで参加し活動継続中。アルトー・ビーツのユミ・ハラ・コークウェルも一時期メンバーだった。



写真はパッツィちゃん。男性読者は鼻血ブー(死語)必至であろう。

英国の
夢が弾ける
女の子

この特集も続くかもしれないなー。リクエスト歓迎DEATH!

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驚愕の日本サイケデリック秘宝発見物語~Be-2(ハーツヴァイス)と及川禅の世界

2013年01月20日 00時21分53秒 | 素晴らしき変態音楽


先日D.D.Recordsの話題でTwitterで盛り上がった時にレコード棚で見つけたソノシートが表題のBe-2(ハーツヴァイス)の「やさしさ」だった。不思議なのがどう考えても80年代のものなのに同封してあった「及川禅の世界」というフライヤーは最近のもので2008年のライヴ・スケジュールが書いてある。このソノシートをいつどこで入手したのか判らず「これ何時のものか判りますか?」とツイートしたところ「80年代当時の作品。及川さんがデッドストックを販売していたのでは」との返信。そこにBe-2のCD+おまけが及川さんのサイト「及川禅の世界」で販売されているとの情報も添えられていた。陰猟腐厭→D.D.Records→Be-2という80's地下音楽水脈紀行に心が震えつつ早速「人類生存可能最小単位」とタイトルされた限定特殊ボックスをオーダーした。

Be-2の名前は当時「宝島」「フールズメイト」といったニューウェイヴ誌でしばしば目にした。1stソノシート「Be-2」もレコード店で見たことがある。だが音を聴いたのは1983年リリースの「Case Of Telegraph Product 2」が最初だった。EP-4、すきすきスウィッチ、アレルギー、AUTO-MODなど癖の強いバンドに交じって収録された「CINERARIA」という曲はそのシンプルさと静謐さ故に逆に目立っていて印象に残った。しかしヴァイオリンの練習曲のような小品1曲では彼らの全体像は掴めなかった。





Be-2はZEN OIKAWA(G,Per,Tape)とPSYCHO(Violin,Tape)の男女デュオ。"テープループやスライド、ヴィデオ等を多用したコンセプチュアルなパフォーマンスを展開:ユニークなトータルアートを提供している"(「Case Of Telegraph」クレジットより)。2ndソノシート「やさしさ」にはイーノの環境音楽やロバート・フリップのフリッパートロニクスを思わせるゆったりしたアンビエントサウンドが収録されている。Twitterのやり取りでPSYCHOが私の大学のサークルの後輩の友人のお姉さんだった(平たくいえば他人だが)というちょっとした縁も判明。もう一方のZEN OIKAWA=及川禅の経歴は知られざる日本のサイケデリアの人生遍歴である。

70年代カルトバンド、「スペース・マンダラ」で年間100本ライブをこなし、インドのゴアに住んでライブ。フルムーンの夜は必ずライブ。ヒッピー。80年代東京「Be-2」では長髪をばっさり切りテクノカット。ニューウエィブでインディーズ。美術館、ギャラリーで映像と演劇的パフォーマンス。その後、ロス、シカゴ、ニューヨーク、シドニー、、音楽仲間を辿って、演奏三昧。30代はレコード会社でディレクター~プロデューサーに。 縁あって宮崎駿さんと久石譲さんとスタジオ・ジブリで5年間音楽創り。日露合作映画「おろしや国酔夢譚」で日本アカデミー音楽賞受賞。いろんなアーティストのCDも創ってみたが、、、やっぱり自分のやろうとしていた音楽こそが今の世界に必要!と思い起こし、演奏活動再開。2000年からライブ、作曲と自分のための音楽復活!「サイケデリック・ソロ・ギター・ワークス」で、今、思うことは、、、、「生きてるうちは、ギターを弾き続け世界中のみんなと喜びを、わかちあいたい」
MUSIC- LOVE- PEACE- FREEDOM- HAPPINESS
Color-Music HPより抜粋)

スペース・マンダラというバンドは数ある日本ロックヒストリー本にもジュリアン・コープのカルト本「ジャップロックサンプラー」にも登場しないが、インドでヒッピーとは本格的なサイケデリックバンドに間違いない。ヒッピーがニューウェイヴに触発されて髪を切るというのは東京ロッカーズやP-Model、ヒカシュー等日本ニューウェイヴ聡明期のバンドと同じである。Be-2が美術館、ギャラリーでパフォーマンスしたことは限定ボックスに封入された当時のフライヤーでも明らか。「SCANNING POOL」「SPOON」と題された映像と音楽のジョイント・パフォーマンスでビデオ作家と共演している。対バンは立花ハジメ、ヒカシュー、EP-4、スポイル、ヴァージンVS、LIBIDOなど当時ファッション/アート的な活動をしていたアーティスト達。Be-2解散後は「ギター・オブジェ」やギターシンセとビデオデッキを使った「ZEN-TRONICS」というビジュアル・ミュージック・パフォーマンスを展開。「ギター・オブジェ」は大竹伸朗のダブ平の元祖そのもの。80年代半ば~90年代プロデューサー活動を経て2000年から演奏活動を再開。「サイケデリック最後の伝道師」としてロック/トランス/アンビエント/テクノ/ノイズ/即興/ダンス・映像音楽などジャンルを横断した幅広い活動を続けている。静岡在住で日本各地の野外フェスや音楽祭に出演。スティーヴ・ヒレッジやマニュエル・ゲッチングに勝るとも劣らない強烈にサイケデリックにトリップするギタープレイには驚愕する。こんな凄い音楽家に誰も言及しなかったことは日本ロック界の盲点といえる。






「人類生存可能最小単位」は12曲収録CDRと「やさしさ」ソノシート、数々のオブジェ、ポストカード等が封入されたまさにコレクターズアイテムと呼べる豪華盤。収録曲の半分はPSYCHOとのデュオ、半分は及川のソロですべて1982~84年の録音である。この時代に現在のアンビエント~トランスミュージックと変わらない先駆的なサウンドをクリエイトしていたことは驚きである。当時の共演者達が解散/路線変更していく中、音楽活動開始から40年に亘ってぶれない活動を続ける及川の歴史は灰野敬二にも匹敵する日本ロック史の隠された広大な水脈といえるだろう。それを掘り当てたことは何という幸運だろう。偶然の連鎖が生んだ輝かしい発見に違いない。


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知られざる
サイケ仙人
見つけたよ

<及川禅ライヴ・スケジュール>
1月26&27日(土・日) 千葉県館山白浜フラワーパーク 安房音楽祭ナチュラルスマイル
5月17~19日(金~日) 静岡県伊豆銀河キャンプ場「ダンスオブシバ




コメント (3)
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宍戸幸司/犬風/壊れかけのテープレコーダーズ/余命百年/晩餐@ 東高円寺UFO CLUB 2013.1.17 (thu)

2013年01月19日 06時04分42秒 | 素晴らしき変態音楽


【U.F.O.CLUB 17周年記念 風狂と夜の会】
LIVE; 宍戸幸司(割礼), 犬風(大阪), 壊れかけのテープレコーダーズ, 余命百年, 晩餐

1月27日をもちましてufoclubは17周年を迎えます。誠にありがとうございます!
それを記念致しまして、1月は特にスペシャルな内容のイベントを企画致しまして皆様のご来場をお待ちしております。
何卒、よろしくお願い致します!!!
UFO CLUB Homepageより)

UFO CLUB....アンダーグラウンド・ロックの総本山として全国からの注目を集め続けている、東京・東高円寺のライブ・バー。赤と黒を基調としたサイケデリックな内装は「ゆらゆら帝国」の坂本慎太郎氏が手がけました。タイムトリップ感覚を満喫できることうけあい。豊富なドリンクメニューも自慢。
(LiveWalkerより)

UFO CLUBに初めて行ったのは2001年光束夜と割礼の2マンだった。出演者もそうだがお客さんが皆70年代風ファッションで高円寺らしい不思議空間というのが第一印象だった。高円寺には学生時代から度々訪れており今の円盤の辺りにあった雑誌DOLL経営のパンク・バー、火災で閉店したライヴハウス20000V(移転して二万電圧となる)、マニアックな品揃えの貸レコード屋パラレルハウス、南口徒歩3分の中古楽器屋、ビルの地下のインド料理屋など懐かしい風景が蘇ってくる。80年代当時高円寺はパンクスの街と呼ばれ貧乏学生や売れない芸術家・作家が多く住んでいた。家賃や物価が安かったこともあるがむしろ彼らは好んでこの街を根城にしていたのは間違いない。

OTHER ROOMのパートナーの高島君も高円寺から歩いて15分くらいのアパートに一人暮らしをしていた。大正の香り濃い古風な建築で風呂トイレ共同、部屋は8畳くらいの1Kで今でいえばワンルームマンションだが朝のテレビ連続小説に出てくる下宿屋そのものだった。高島君はその一室に古道具屋で買った机と棚だけを置きジャンゴ・ラインハルトのLPとコクトーやセリーヌの小説を友に暮らしていた。時々泊まりに行ったが布団一枚敷けば一杯の部屋にどうやって二人寝たのか覚えていない。

当時国分寺に古着屋や古道具屋がたくさんあり月に1回は買い出しに行った。今ではプレミア付きのテスコやグヤトーンなど60年代のビザールギターが2万円前後で投げ売りされていた。高島君に「国分寺にギターを買いに行く」と言ったら「青いテスコは僕が買うからダメだよ」と言われ仕方なく茶色の4ピックアップのグヤトーンを購入した覚えがある。あるとき高島君が見たことのないセミアコギターを持ってきたので何処で手に入れたか聞いたら高円寺北口の質屋と教えられ早速探しに行ったが見つからず、売ってくれと交渉したら5万円と言われ諦めた。多分彼は2万円くらいで購入したのだと思う。

OTHER ROOMは2年くらいで活動停止したが高島君との付き合いは続いた。就職してからも時々連絡を取り「AVの音楽制作をしている」とのことだったが間もなく音信不通になった。90年代半ば別のバンドで20000Vに出演した時表の商店街でばったり彼と会った。綺麗な女性と一緒だった。5年以上の付き合いの間お互い女の子の話をしたことはなかったのでちょっと意外だった。どうしてる?と聞いたら相変わらずとの返事。立ち話だったので挨拶程度だった。以来彼とは連絡を取っていないない。

高円寺といえばどうしても高島君のことを思い出す。仙台出身だから故郷へ帰って家を継いでるかもと思うがもし高円寺に住んでいたらUFO CLUBは恰好の遊び場だっただろう。ここには時代を超越した独特の空気と新たな発見が満ちている。恐らく私も一番多く通うライヴハウスだろう。ここで出会って名前も知らぬまま知り合いになる場合も多い。

余命百年の山入端佳太との出会いもUFO CLUBだった。彼が高校生だった頃知り合い好みが似ていてUFO CLUB以外にも色んなライヴ会場で遭遇した。大学生になりライヴ活動していると聞いていたがこの日やっと観ることが出来た。アグレッシヴなヘヴィサイケと瑞々しいポップナンバーを行き来し最後に眩い輝きに至る。今まで体験した数多くのライヴを吸収し咀嚼して自分たちの世界を産み出している。こうして新世代が育って行くのだろう。荒削りながらダイヤの原石の煌めきが感じられた。


(撮影・掲載に関しては出演者の許可を得ています。以下同)

2番手は犬風。大阪出身という予備知識しかなかったが開始前に女性客が多数ステージ前に座り込む。バンドかと思ったらアコギの弾き語り。いきなりハイトーンヴォイスのシャウトで心を掴む。か細い囁き声と清志郎を思わせる高音の叫唱。普段弾き語り系は余り聴かないが犬風の演奏にはそれだけじゃない独特のアシッド感があり魅惑的。昨年下山(GEZAN)と共にツアーをした時のライヴを収録した5枚組CDRが販売されていた。



3番目はお馴染み壊れかけのテープレコーダーズ。コモリ(vo.g)と遊佐(org)も相当のライヴ好きで様々な会場で姿を見かける。毎回終演後に外でフライヤー配りをして数多いライヴの告知をする。そのフットワークの軽さが演奏にも反映されている。メジャーでも通用しそうなポップセンスが光る楽曲と裸足で時に激しく爆発するパフォーマンスを見せるコモリ+紅一点の清楚な存在感が心を奪う遊佐+変幻自在なリズムセクションはアンダーグラウンド界に輝く太陽のような存在。ニューシングル「踊り場から、ずっと/羽があれば」が完成、2月28日のワンマン・ライヴ「夢で逢いましょうVol.12~羽のない歌」で販売開始とのこと。



ライヴハウスで知り合った人の中には割礼好きが多い。かくいう私も2001年初UFO CLUBで観て以来年に最低2回は観ているが、今年結成30周年を迎えるベテランでありながら結成当時同様小規模のライヴハウス廻る地に足がついた活動は本来の"インディペンデント"を象徴する希有な存在である。宍戸幸司のソロを観るのは初めて。物販で販売されているソロCDRで演奏自体は聴いたがUFOのステージにひとり佇みバンドと全く変わらない大らかでゆったりした歌を聴くのは至福体験だった。ギターソロがない分楽曲の骨格が剥き出しになり「歌」の持つ無尽蔵のパワーが実感出来た40分だった。2月20日に高円寺HIGHでBorisと下山(GEZAN)をゲストに"割礼 結成30周年・「ネイルフラン」「ゆれつづける」リイシュー盤発売記念ライブ"が開催される。宍戸も高円寺に魅せられたひとりに違いない。



対バン形式のライヴだと目当のバンドが終わると帰る客が多い。この日も宍戸が終わると客席が淋しくなった。しかし私はイベントは可能な限り最後まで観ることにしている。未知のバンドやミュージシャンに出会えるチャンスを逃したくないから。特にUFO CLUBの企画は一見脈絡がない組み合わせでもUFOならではの厳選されたブッキングでハズレがない。晩餐は何の事前知識もなかったが「出会えてよかった」と心から思える素晴らしいバンドだった。サウンドチェックでドカドカ叩きまくるドラムとディストーション・ギターが響いて来たので喧しいバンドかなと想像していた。カーテンが開き轟音のハードロックが鳴り響く。ギターが速弾きしまくりベースは重低音をうねうね這い回る。何よりもドラマーが凄い。ボンゾやイアン・ペイス等70年代ハードロックそのままの手数が多い超迫力の演奏に呆気にとられる。それをヘヴィメタ系ではなく中央線住人風トリオがやるのが面白い。メタルは様式美に囚われがちだが晩餐はオリジナル・ハードロック本来の自由度と柔軟性を発揮する。ラリーズ風に深いリバーヴをかけたヴォーカルも味わい深い。ドラムソロをフィーチャーした10分に亘るインストはベック・ボガート&アピスを彷彿させた。オヤジロックに新たな命が吹き込まれ進化しているのに感動する。



高円寺
ディープな香り
魅せられて

これだけユニークなライヴハウスが17年も変わらぬ個性を保ったまま存在していることが高円寺マジックなのかも知れない。




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百鬼夜行の回想録~洋楽ロック編:"ファズの騎士たち" 80'sガレージロック・リバイバル

2013年01月18日 00時53分53秒 | ロッケンロール万歳!


Facebookの投稿がきっかけで80'sガレージロックに想いを馳せYouTubeで色んなバンドを検索しているうちに当時のガレージシーンが現在殆ど忘れられていることに気がついた。「ガレージロック・リバイバル」というと一般的には2000年代のザ・ストロークスやザ・ホワイト・ストライプス、ザ・リバティーンズ、ザ・ヴァインズ、ジェット、ザ・ハイヴスなどの台頭を指すようだが、1980年代にパンクに触発されて60'sサイケ&ガレージロックの再評価が高まり全世界に新世代ガレージロック・バンドが多数出現したことは忘れてはならない。

Voxx、Dionysus、Get Hip、Midnight、Deleriumといったサイケ/ガレージ専門レーベル、Battle Of The Garages、Declaration Of Fuzz、Raw CutsといったコンピLP、Strange Things Are Happening、Freakbeat、Bucketfull of Brains、The Ptolemaic Terrascopeといったファンジンが乱立し時代すべてがカラフルな極彩色と獰猛なファズと情熱的なシャウトの中に溶け込んでいた。カムデンマーケットで買ったフレアパンツやペイズリー柄のシャツとインド雑貨屋で買ったタイダイのスカーフやビーズのネックレスを身に纏い中古レコ屋でレア盤漁り。お香の焚かれたカレー屋にはシタールのBGMが流れていた。晴れた日には公園でビール片手にアコギとコンガのセッション。 余りに甘美で自由な時間が僕らに無限の希望を与えてくれた。

そんな時代を象徴するThe Knights Of Fuzz~ファズの騎士たち=80'sガレージ/サイケ・バンドを振り返ってみよう。

●The Chesterfield Kings
ニューヨーク州ロチェスター出身。間違いなく80'sガレージパンクの最高峰。「新時代のChocolate Watch Band」と評されたアクの強いヴォーカルは多くの後進に影響を与えた。メンバー全員イケメンでファッション的にもイカしたリバイバリスト。現在でも活動中だが多くのガレージバンドがハードロック化する中ワイルドなロケンローを貫いている逸材。



The Fuzztones
名前から音が聴こえてくるロサンゼルス出身の5人組。ファズギターとオルガンが産み出すイカれたビートでゴーゴーダンスを踊ればトリップ間違いなし。現在はヨーロッパを拠点にを活動中。



●Cynics
フィラデルフィア州ピッツバーグのファズマエストロ、グレッグ・コステリッチ率いるガレージパンクまっしぐらバンド。来日公演もした筈。この滅茶苦茶サイケなPVは何と2011年の作品だという。一生ガレージ野郎でいてくれ!



●Plasticland
The Dream Syndicate、Rain Parade、Three O'Clock、Bangles(そう、あのバングルス)などと共にペイズリーアンダーグラウンドと呼ばれたミルウォーキー出身の3人組。プリティ・シングスのカバーやTwinkとの共演もしたサイケ期プリティーズ・フリーク。1990年に解散しメンバーそれぞれ別のバンドに散ったが2005年突如再結成ツアーを行った。Captain Tripからレア音源CDがリリースされている。



●The Marshmallow Overcoats
ザ・バーズ風の12弦ギターが特徴のアリゾナ州タクソン出身のガレージフォークロック・バンド。リーダーのティモシー・ガッセンは評論家として音楽誌やサイトに寄稿、ガレージロック専門テレビショーの司会も務め80'sガレージロックの宣教師として活躍する。



●Pandras
B級の魅力がバングルスを遥かに凌駕するロサンゼル出身のオールガールズバンド。シクスティーズに憧れる田舎の女子高生が母親の洋服を借りてきてバンド組みました的なアマチュアリズムはまさにガレージパンク。アルバム2枚でハードロック化してしまったのが残念。



ガレージは
音が響いて
ナチュラルエコー

他にもイカしたガレージロッカーがたくさんいるので続編があるかもしれない。
リクエスト求む!


コメント (2)
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出血大サービス! ~下着のラリーズ Les Rallizes Lingerie

2013年01月17日 00時31分05秒 | インターネットの世界




今年からブログのアクセス解析サービスを利用している。通常表示される日ごとの閲覧数・訪問者数に加え、2週間のアクセス推移、時間ごとの閲覧数・訪問者数、ページごとの閲覧数、閲覧元URL・ブラウザなどが判り易く解析され、このブログの閲覧者は深夜0時台にGooglebotからアクセスする人が多いことが判明。

その中に検索キーワードのランクがあり何という言葉で検索しアクセスがあったかが判る。解析サービスを使い始めて以来ずっと1番多いキーワードは「裸のラリーズ」だったが、昨日見るとこんなことに。

    ***昨日1番多かった検索キーワードは「ブラジャー 外し方」でした***

・・・・・・・・・。
な、何?ブラジャーって????

キーワードランクには他にも「ブラの外し方」「ブラ 外し方」などトップ10にブラ関係が4つもランクインしている。ウイルス攻撃かはたまたなりすましか?と思いページごとの閲覧数を見ると5位に2011年8月23日付「男性必見!片手でブラを外す方法」という記事が入っていた。閲覧数が112回もある。そういえば昨年半ばTwitterでこの記事がRTされ何で今頃?と思った覚えがあるが、検索ワードの1位とは・・・。記憶によればこの記事は初アーバンギャルド、フェスティバルFUKUSHIMA!等イベントが続いた夏に暇ネタ悪ノリで書いた「名曲!マシュマロフィットの谷間ブラ」「かわいい! AKB48×PEACH JOHN コラボ映像」に続くランジェリー・シリーズ第3弾。「Lingerie(ランジェリー)」でYouTube検索してたまたま見つけた動画の解説文を翻訳しただけである。

裸のラリーズについては昨年3月4日付「ラリーズ伝説への決別」という記事で閲覧数が倍増したので理解出来る。記事で糾弾したブートレーベル「ignuitas」をGoogle検索すると私の記事がトップ、次にJOJO広重さんのやはり批判的なブログ記事が表示され一矢報いた気分がしてスッキリした。しかし1年半前のおふざけ記事にアクセスが集中するのは何故か。もしやと思い「ブラジャー 外し方」でGoogle検索すると・・・やはり!私の記事がトップに出た。検索ページの順位がどう決まるのか判らないが人気記事であることは確かである。


それにしても「裸のラリーズ」を検索する人はいるだろうが「ブラジャー 外し方」で検索する人が毎日大勢いるとは思えない。ブラ外しはラリーズよりもポピュラーなのだろうか?いや確かに一般的にはラリーズを聴く人より恋人やパートナーのブラを外す人の方が圧倒的に多い筈。しかしわざわざ外し方をググるか!?

これは想像だが恐らく誰かがこの記事を発見し呟いたのがRTを重ね話題になり何処かのサイトで面白記事として紹介されたのではあるまいか?私は今までブラの外し方を読みに訪れた読者に向かって地下音楽やロケンローやアイドル(これは刺さるか)の記事を吐き続けてきたのだろうか?

オーケー!オッケイ!オーライ!それでは皆様の興味のあるランジェリーとアングラ音楽を融合して差し上げよう。名付けて「下着のラリーズ Les Rallizes Lingerie」。

★★★Banana Moon キャミソール ラリーズ★★★
メーカー:Banana Moon(バナナムーン) カルフォルニア テイストをモナコから
素材:コットン95% スパンデックス5%
品名:Banana Moon キャミソール ラリーズ
タイプ:キャミソール
カラー:ピンク(アニメ)
サイズ:S、M
コメント:アニメチックプリントがアウターとしても着用できる可愛いキャミソール、綿素材の肌触りが気持ちいいです


BANANA MOONは高級リゾート地のモナコから2011年に日本初上陸したランジェリーブランド。柔らかいパステルカラーの肌触りの良い素材が上品かつ可愛らしくあなたを包みます。メンズもあるので男性にもおススメDEATH!





個人的には大人の魅力を引き出すレースやシースルー素材を使ったイタリアンテイストのスタイリッシュなブランドEXILIAが気に入った。セクシーなデルモ(死語)ちゃんもそそる。





ランジェリー
見ているだけで
ハイになる




*注意
この記事も悪ノリ企画で他意はありませんのでご了承ください。
ブラ目当でいらっしゃった方も今後ともなにとぞご愛読よろしくおねがいしますm(_ _)m  

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阿呆船/愚弁/水晶の舟/Guignols Band@高円寺 ShowBoat 2013.1.14 (mon)

2013年01月16日 01時28分07秒 | 素晴らしき変態音楽


deep inside
阿呆船
愚弁 (谷口和仁 うた・からだ / 狩俣道夫 fl.ss.vo / 北 陽一郎 tp / 石塚俊明 drs)
水晶の舟 ( 紅ぴらこ g.vo / 影男 g / 松枝秀生 b / 原田淳 drs )
Guignols Band (福岡林嗣 vo.g / 浦邊雅祥 as. etc / 諸橋茂樹 drs. Per )

昨年末に陰猟腐厭(以下陰猟)のメンバー原田淳氏にメールを送った。30年前に入手した陰猟のソノシート「妥協せず」は常に心の何処かに引っかかっていた。19/JUKEやサボテンのように愛聴していた訳ではない。ターンテーブルに乗せることもそれほど多くなかったと思う。強烈な衝撃ではなく後からジワッとくるフラッシュバックのような音楽だった。ミニマルな繰り返しを淡々と奏でるバンドの演奏に学生運動家のアジ演説が絡む。エコーマシーンで変調された演説が嵐のように吹きすさぶ。ジャケットには「曲中に於けるアジテーションはコンサートの時のハプニングであり、彼らは陰猟腐厭とは一切関係ありません。」との注意書きがある。そんな音源を作品としてリリースしたのは何故だろう?と不可解な謎が浮かんだ。かなりの策謀家か相当の捻くれ者に違いない。実際に彼らのライヴを観る機会が無かったので謎は謎のまま月日が流れた。

陰猟のソノシートをリリースした横浜のロック喫茶“夢音”のレーベル「クラゲイルレコード」が1990年代末に様々なアーティストの80年代夢音でのライヴ音源を一挙に100枚CDRでリリースした。その中に陰猟も含まれていて興味を持ったが音質・内容や録音データもハッキリせず価格も通常のCDと同じなので買うのを躊躇した。2002年に出版されたドール増刊「パンク天国4」で陰猟のLPがリリースされていたことを知り驚くと共に猛烈に聴きたいと思ったが手書きジャケットの見るからにレアなLPで聴くどころか現物を見ることも適わなかった。

陰猟の名前も忘れていた昨年春何気なく見たキッドアイラックホールのスケジュールに陰猟の名前を発見しおおおっ!と興奮し早速予約。7月7日「ドキュメント灰野敬二」の公開日だった。朝灰野さんの映画を観て夜陰猟とは完璧と楽しみにしていたが、前日岐阜の叔母の見舞いに行ったところ様態が急変し東京へ戻れなくなり断念せざるを得なかった。

以来陰猟がまた何処かでライヴをやらないかと頭の片隅にライヴハウスのスケジュールをチェックする日々。年も押し迫りなかなか巡り会えない状況に意を決して「幻のLPの音源を聴かせてもらえないか」と無理なお願いを原田氏に送った。年明け早々に返事がありOKとのこと。「1月14日に高円寺でライヴがあるのでそこで手渡しも可能」と添えられていた。音が聴けるだけでも昇天モノなのにライヴが観れるとは!と狂喜乱舞。原田氏は水晶の舟のドラムとして出演、対バンはOverhang Party~魔術の庭の福岡林嗣氏、浦邊雅祥氏、狩俣道夫氏、石塚俊明氏と何度も観たことのある蒼々たる顔ぶれ。特に水晶の舟と浦邊氏はここ5年くらいご無沙汰している。陰猟との縁から地下音楽家の響宴に導かれるとは何と運命的な。。。。

Inryou Fuen - Dakyosezu


ご存知のように当日は東京は大雪で交通網が麻痺。無事辿り着けるか一抹の不安があったが中央線に乗り込む。案の定電車は断続的な運行で高円寺に着いた時にはとっくに開演時間を過ぎていた。ぐしゃぐしゃの雪道を四苦八苦して歩きショーボートに到着。雪など知らぬが如くいつものように看板が出ていて階段の下には受付の女性が座っていた。外界と遮断された地下の秘密倶楽部へ足を踏み入れる。

ステージにはヒョロッとしたギタリストとドラマー。酔っ払ったようにふらつきながらチューニングの狂ったギターを掻きむしり破調の歌を唄う。時折割って入るドラムの不定形なフィルインが狂気の道化師の踊りに祝祭色を加える。阿呆船は以前は元リザードの塚本カツ氏や元裸のラリーズ・不失者・割礼・静香の三浦真樹氏が在籍したバンド編成だったが昨年メンバーが脱退し解散した筈。この日の出演者に名前があり何者かと興味を惹かれた。その正体はVo.Sax.Gの鈴木峻氏と女性ドラマー栗原優嬢のデュオだった。バンド時代の阿呆船は観たことはないがPSFのコンピ「Tokyo Flashback」に収録された「枯葉」の気狂いカヴァーが印象的だった。それを継承しつつさらにパーソナルな色を濃くした演奏には故・金子寿徳氏に通じる廃墟の美学がある。


(撮影・掲載については出演者の許可を得ています。以下同)

続いて愚弁。メンバーはともかくこの名前には覚えがあった。2004年8月27日高円寺20000Vでの狩俣道夫氏のバンドBINARY SCALE主催企画に灰野さんと対バンで波流乱満という女性ギタリストとのデュオで愚弁=谷口和仁氏を観ている。波流乱満のユニークなギターと横で独特の爪先舞踏を踊る谷口氏のパフォーマンスが印象的だった。実に8年半ぶりに観る谷口氏は鍛え上げた筋肉質の痩身も素晴らしい柔軟な舞踏と止めどなく流れ出す言葉が呪術的な世界を描き出し、卓越したハードコアジャズを展開するベテラントリオの演奏を異次元にワープさせる存在感に満ちたものだった。印象的な爪先の動きにも心奪われた。先日のグンジョーガクレヨン園田氏の舞踏の求心力にも痺れたが「踊り」「からだ」の持つ無言の説得力には感心するばかりだ。



水晶の舟は2000年代前半灰野さんとの対バン・共演で何度か観た。当時は紅ぴらこと影男の二人以外は流動的でドラマーがいたりいなかったりその時々で形態が異なる"高円寺の不気味なサイケデリア"という印象だった。最後に観たのは2006年1月26日吉祥寺Forth Floorでの灰野さんと金子寿徳氏との対バンだった。その頃先述したPSFコンピに参加し海外で高い評価を得て海外ツアーを何度も行い日本サイケデリック界の新世代としてカルト的な人気を誇る。長尺の曲2曲のステージだったがゆったりした美しいメロディが徐々にスケールを増して幽玄なハルシエーションへ導くドラマティックな展開は素晴らしい陶酔感を醸し出す。私が観た頃はドラムはテールという人が多かったがHPのバイオによれば2005年頃から陰猟の原田氏が参加している。そのバイオによると結成間もない1999年ドラムにMEWが参加したとある。MEW氏は昨年私が参加したアルトー・ビーツのワークショップの主催者である。またそのワークショップで出逢い昨年12月"マサカー繋がり"の一端を成したユミ・ハラ・コークウェル・セッションのベーシスト浅野淳氏と原田氏は20年前に同じバンドで活動していたという事実も判明。まさかマサカーと陰猟が繋がるとは。。。。恐るべし東京地下シーン。水晶の舟の活動歴には他にも有名無名の地下生活者の名前があり水脈を辿るには好都合である。



最後に福岡氏+浦邊氏+諸橋茂樹氏(魔術の庭)による新ユニットGuignols Band。魔術の庭は昨年10月に新大久保Earthdomで観たが、浦邊氏の演奏を観るのは2006年4月28日六本木SDLXでの灰野さん+高橋幾郎とのトリオ以来。その1年後に新宿裏窓で飲んでいるのを見かけたがライヴは7年ぶりである。何を始めるか判らない不敵な笑みはそのまま。セッティング中からコラージュノイズを流し浦邊氏が鼓笛隊のようにスネアを叩きながら客席に乱入、テーブルを蹴り倒したり脚立を振り回したりハプニング的なパフォーマンス。福岡氏はパーカッションを叩いたりテーブルギターを金属で擦ったりノイズを奏でる。Overhang Partyの1stアルバムでの即興ノイズ演奏を彷彿させる。そのまま行くのかと思ったら途中でマイナーコードのギターストロークで哀感溢れる歌を唄う。浦邊氏の"気配"と呼ぶしかない殺気漂うアルトと諸橋氏の非リズム打撃音。最後は浦邊氏が引き裂くようなギターを奏で福岡氏の歌と拮抗した亀裂を産み出す。これが初ライヴで今後も継続活動して行くそうだ。流石の手練による即興ノイズと哀愁歌謡の融合は地下音楽の芳醇な果実に違いない。



陰猟に始まった無限回廊の先には旧友に再会するような眩しい宴が待っていた。

集まった
陰猟所縁の
幻術者たち

雪でお客さんがいないので出演者が吸うタバコの煙でもうもうとしていて実はかなり辛かった。地下の住人にタバコ好きが多いのは必然なのだろうか?




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百鬼夜行の回想録~80'sインディーズ特集 第10回:忘却の個性派レーベル=D.D.RecordsとL.L.E.

2013年01月15日 00時38分39秒 | 素晴らしき変態音楽


昨年から続く連鎖の罠に絡み取られたまままるでテレフォンショッキングのように友達の輪ならぬ追憶の無限階段で迷子になっている。ヴァニティ・レコード→K2草深公秀ライヴ→陰猟腐厭→吉本裕美子→陰猟腐厭原田淳ライヴというコアな流れと平行してサボテンとの共演記録発見、CARRE MTRからの SYMPATHY NERVOUS未発表音源情報、オーヴァーハング・パーティーCD BOX情報、ウィルコ・ジョンソン・サヨナラ公演といった傍系の流れがあり相互がどこでどう絡んでくるか判らないスリリングな状況である。

先日TwitterでアイドルBiSが表紙の「TRASH-UP」最新号について呟いたところ草深氏がRTしたので返信したことがきっかけで80年代プログレやポストパンクの話からピナコテカやマーキームーンへと発展、そして草深氏が「今は知る人もほとんどいませんが」とD.D.Recordsに言及。その名前30年ぶりに聞いた!懐かしい!とやり取りしていたところへT.美川さんも参加、レコード棚から引っ張り出したソノシートを照会するとD.D.Recordsの作品であることが判明、以下後述する別の流れへ発展というまさにSNSならではの展開をみせた。

D.D.Recordsを知ったのはマーキームーンの記事だった。バックナンバーを調べると1981年10月発行のVol.6に「INDUSTRIAL TAPE & RECORD FACTORY D.D.レコード」として1ページを割きカタログリストと連絡先が紹介されている。山梨大学電子科3年に籍を置く鎌田忠が発足したレーベルで記事掲載の時点で2枚のシングル、1枚のソノシート、19本のカセットテープをリリースしていた。カセットは600円、ソノシートは70円という安さ。T.KAMADA名義の鎌田のソロプロジェクトを中心にローカルミュージシャンや学生の作品が並ぶ。第五列に続くカセットレーベルとして興味津々で面白そうなのを数点通信販売で購入した。その中にポルノ映画の女性の喘ぎ声がコラージュされている作品があり別の意味で性少年の心と身体(主にUnder方面)を直撃したのを覚えているが、音楽的にも謎めいた前衛音楽の数々にトキメいた。処分してしまったのか今は手元に残っていない。その後D.D.Recordsは200作以上の作品をリリースし当時としては珍しく海外でもディストリビュートしていたとのこと。草深氏もカセット作品をリリースしている。



当時マーキームーンがMARQUEE MOON DISTRIBUTIONとして音楽作品の流通を開始した。そこで扱ったのがL.L.E.という組織の音楽家たちだった。「芸術指向の創造的音楽家達の、音楽演奏家による自主活動の共同体」(1981年7月発行マーキームーン Vol.5)であるL.L.E.は自主ライヴ企画「精神工学様変容」を主宰し参加バンドの音源がマーキームーン誌の付録ソノシートで紹介された。1981年12月にオムニバスレコード「精神工学様変容」をリリース。カトゥラ・トゥラーナ、パイディア、ネガスフィア、ユニット3、メタモルフォーゼの5バンドが参加したこのレコードは、東京ロッカーズや吉祥寺マイナーに由来するインディー/アンダーグラウンド・シーンとは一線を画す存在だった。音楽的にはプログレ/チェンバーロック/フリージャズ/即興音楽のアマルガムである。同時期に参加バンドやメンバーのソロ作品をカセットでリリース。マーキームーンのバックアップのもと精力的に活動し1年後にはLP5タイトル、カセット20数本(MARQUEE MOON DISTRIBUTIONリリース作品を含む)を数えた。私の運命連鎖の鍵=陰猟腐厭とそのギタリスト増田直行のカセットも出ている。



その後カトゥラ・トゥラーナはテレグラフからアルバムをリリース、女装ヴォーカル広池敦が個性派としてカリスマ的人気を誇り、パイディアはドラムに吉田達也を迎えてポジティヴ・パンクの代表バンドとして活躍。



L.L.E.Labelは1987年まで活動し最古参のバンド、ユニット3のヴォーカリスト多加美のソロ・アルバムやチェンバーロックの雄ラクリモーザ、特殊音楽家とうじ魔とうじ、ヴェクセルバルクからも作品をリリースしポジパン・シーンで活動したリビドーなどをリリースした。特に多加美の作品は女性ヴォーカルの極北として海外でも高い評価を得た。






L.L.E.の諸作はプレス枚数が多かったのか宣伝告知がマーキームーン誌に偏っていたためか余り売れず自主盤コーナーの主として長らく在庫が残っていた。現在は中古盤店をまめに探せば安価で入手出来る。実際にリビドーの1st LP「Nevatsuku-Mask」は新古本屋で封入ブックレット付を100円で購入した。しかし内容の高度さや録音の良さ、パッケージへの拘りは再評価されて然るべきだと思う。権利がどうなっているかはわからないが独自の配給網を持つある意味孤立したレーベルなので解明はさほど難しくないのでは?マーキー直営のベルアンティークあたりでCD化を検討しては如何だろう。

昨日レコード店でラクリモーザのヴォーカリスト小山景子のソロ・アルバムCD再発のフライヤーをもらったのも偶然というより必然なんだろうな~。



忘却の
音楽再発見
追憶の旅

冒頭で書いたD.D.Recordsの後の連鎖とは、レコード棚で見つけたソノシートの一枚をこれ何か判りますかとツイートしたところ「Case of Telegraph」に収録されているインディーバンドBe-2(ハーツヴァイス)の当時の作品であることが判明、別の方から教えてもらったBe-2のメンバー及川禅氏のサイトにBe-2の限定コンプリートCDが掲載されており及川氏へメールで問い合わせたところ即座に返信を頂いたという出来事である。CDが届いたらまた追憶の旅を辿ってみたい。
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ロボットが歌うノイズ歌謡~非常階段 starring 初音ミク「初音階段」

2013年01月14日 00時32分45秒 | 素晴らしき変態音楽


2009年の結成30周年記念30枚組BOX「THE NOISE」リリース以来活動が活性化している非常階段の最新コラボ盤「初音階段」が完成した。リリース元のU-Rythmix Records(ユーリズミックス レコーズ)はボーカロイド専門レーベル。コラボ実現の経緯はJOJO広重氏のコメントを待ちたいが何かとお騒がせの非常階段とバーチャルヒロインの共演は"NOISE"を新たなファン層に広げることは間違いない。

機械=ロボットが歌を唄うという発想は20世紀初頭サイエンス・フィクション(以下SF)がジャンルとして勃興した頃から既にあったと思われる。寡聞にして余りSFに詳しくないので初めてロボットが唄ったのがいつかは断定出来ないが、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックによるSF映画「2001年宇宙の旅」(1968)で人間に逆らったコンピューターHALが死(停止)の間際に歌を唄うシーンは象徴的である。



ピエール・シェフェールとピエール・アンリが1950年に制作したミュージック・コンクレートの代表作「ひとりの男のための交響曲」は人間の声だけを素材として作られている。ノイズの元祖=電子音楽に於いて"ヴォイス"への関心が初期段階からあった事は強調しておく必要がある。



電子音楽をポップシーンに適用したクラフトワークはヴォコーダーで変調したヴォーカルをフィーチャーした機械的なサウンドで世界的に大ヒット。その後イエロー・マジック・オーケストラやDEVOが「テクノポップ」として継承した。






80年代にはマシーナリーなヴォイスとビートはポップ音楽のひとつの要素となりエレクトロやテクノとは無関係なロックバンドもロボットを主題にした曲をヒットさせた。



1978年に登場したテレビゲーム「スペースインベーダー」のヒットは電子音楽であるゲーム音楽を一般に浸透させ、1983年のファミリーコンピューター、1990年のスーパーファミコンの登場で完全にお茶の間の必需品となった。



90年代のインターネットの普及によりネット上にバーチャルリアリティ=仮想現実が生まれその世界の出来事が現実世界を浸食する事となった。そこに生まれたのがボーカロイド(以下ボカロ)である。VOCALOIDのプロジェクトは「DAISY」というプロジェクト名で2000年にヤマハが開発。「DAISY」は「2001年宇宙の旅」でHALが断末魔に唄った曲名である。一般的にボカロというと美少女キャラクターを連想しがちだが、あくまで音声合成技術の事であり、アニメキャラは声に身体を与えることでより声にリアリティを増すという観点から作られたバーチャルアイドルに過ぎない。

▼初音ミクの正体


2007年に"発売"された初音ミク以降登場した様々な萌えキャラはコンピュータープログラマーが本質的にヲタクである事の証しだと言えよう。無償であればキャラクターの二次使用はフリーであるため無数の関連音源・動画が制作されYouTubeやニコニコ動画で提供されている。キャラを使ったCDやDVDが販売されている例も多い。「初音階段」のような正規の商品は権利者(ヤマハ)との契約の上発売されているが、アキバ系コミックショップ等で販売されている同人誌的作品に関しては事実上著作権無法状態と言っていいだろう。

ボカロへの各界からのラヴコールは発売当時から模索されてきた。音楽面のコラボとして読者の関心を呼ぶのはシンセの巨匠冨田勲とジャズの鬼才菊地孔成であろう。






歴史を辿ればボカロとノイズのコラボが登場するのは必然であり恐らく地下シーンでは既に行われていると思われる。しかしノイズの帝王=非常階段がコラボしたことはボカロおよびノイズにとっては記念碑的ランドマークと言えよう。肝心の音であるが最初の2曲緑魔子「やさしいにっぽん人」・じゃがたら「タンゴ」のカヴァーはノイズ音源をサンプリングした初音ミクトラック、3曲目広重氏の書いた詩をミクが朗読する「不完全な絵画」は両者対等のコラボ、ラスト「hatsune-kaidan」はノイズの嵐の中に防空サイレンを思わせるミクのスクリームが鳴り響くノイズ音響、と聴き進むにつれ非常階段色が強まる流れが面白い。ラインナップにはJUNKOさんや岡野氏がクレジットされているが数回聴いた限りでは絶叫もドラムも聴き取れなかった。近年の非常階段のライヴでは岡野氏の骨太ドラムが果たす役割が大きいのでこのCDに収録された演奏はむしろインキャパシタンツに近いという印象。ミクが電子音に過ぎないことを考えれば美川氏のエフェクター群に中にボカロをインストールしたPCが並んでいても不思議はない。



▼緑魔子の原曲



大いなる興味を惹くのは電子音合成で制作されたようなこのCDのレコ発ライヴが開催され生演奏で再現される事である。電脳(バーチャル)世界の現実(リアリティ)化という冒険的な試みであるが、ヲタの世界では二次元(コミック&アニメ)の三次元化(コスプレ)が普通に行われている訳で音楽の具現化は不可能ではあるまい。美川氏がアニメコスプレで登場する事は恐らくないと思うが蓋を開けてみなければ判らない。会場はヲタのメッカ=アキバなのでこのCDをジャケ買いしたヲタの皆さんも是非遊びに来て欲しい。

▼初音ミク最大のヒット曲らしい。ようつべやニコ動に様々な動画があるので検索いただきたい。



観てみたい
JUNKOとミクの
歌合戦

広重さんはヲタへのアプローチの重要性を判ってらっしゃる。流石である。

▼テレビで真逆のコンセプトのバンドが紹介されていた。これぞ正真正銘本当のヘヴィメタル。




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下山(GEZAN)@渋谷 O-nest 2013.1.11 (fri)

2013年01月13日 00時50分25秒 | 素晴らしき変態音楽


『BUG ME TENDER vol.5』
下山(Gezan)~東京初 レコ発ワンマン~

[1/15追記:下記記事に対して当日ライヴ会場にいた方からコメントで私の見解の誤りをご指摘いただき下山の新たな鑑賞態度をご教授いただいた。先入観に囚われた自分の非を認めここにお詫びしたい。ただし記事は私の第一印象なので訂正せず掲載するが、読む場合は必ずコメント欄を参照いただきたい。]

昨年夏に大阪から東京へ拠点を移したサイコデリシャスハードポアバンド下山(GEZAN)は都内16ヶ所16日間連続ライヴ「侵蝕の赤い十六日」や"下山vsお前"と銘打った16人限定マンツーマンライヴ「侵蝕の赤い十六人斬り」等無謀な企画を実行し強烈な存在感を示した。12月にはライヴ盤&ドキュメントDVD「LIVE2012・大阪/侵蝕の赤い十六日・東京」をリリース。そのレコ発として東京初のワンマンライヴが開催された。

バンド形態で観るのは昨年7月のBO NINGENとの対バン以来半年ぶり。2011年に観た頃はベースのカルロスの全裸や客席へ文字通り飛び込んで暴れる傍若無人ぶりが新鮮だった。初下山でマヒトに頬に噛み付かれたのもいい思い出。昨年夏には激しいステージングはそのままに繊細なスローバラードも披露し暴れるだけが下山じゃないことを見せつけてくれた。非常階段と遠藤ミチロウのノータリンズとの3マンを観た友人から「下山の客がヤバかった」と聞いたのでどんな狂気の世界が展開されるか楽しみにしていた。

O-nestのビルの下に大勢の女性ファンが群れている。下山がアイドル化?と驚いたが隣の7th Floorの元RAG FAIRの客だった。ほっとするとともに拍子抜けしたのも確か。O-nestはUFO CLUBが渋谷へ移転したような客層。男女比は4:6でやや女性客が多い。知り合いのバンドマンやライヴ友達もチラホラ。最初は閑散としていたが開演時間には7割の入りでいい感じ。

15分押しでいつものラジオ風SEが流れメンバーがひとりずつお辞儀しながら登場する。ドラムのシャークは前回は茶髪チーマー(死語)風だったが、縞模様ヤンキーパーマになっている。カルロスの重いベースに導かれマヒトがステージに現れ激しく髪を振り乱し「月面の爪」でスタート。ライヴを重ねて来ただけありアクションのキレが倍増している。キレキレの轟音演奏にあざけるようなヴォーカルがマシンガンのように炸裂する。「三島と口紅」を聴いてマヒトが自称三島由紀夫の孫だということを思い出した。実のところ本当かどうか人を煙に巻くことが得意な彼らの発言からは伺い知れない。繊細なメロディのスローナンバー「春の膝」には詩人&メロディメイカーとしての高い才能が溢れている。新曲も交えた中盤は比較的ポップでスローな曲が多い。どの曲もエネルギーに満ちており下山がただの異端者ではなく多面性を持った本物のアーティストであることの証明である。



ライヴも半ばまで来た時に妙なことが気になってきた。ステージでは4人の修羅場のような激烈な演奏が展開されているのに客席が異常に大人しいのだ。今までは前方はヘドバンの嵐でノっていたのにこの日前列を占めた若者たちは微動だにせず眺めるのみ。これは一体どうしたことか。まるで映画の殺戮シーンや動物園で猛獣の檻の中を見つめるような傍観者の視線。下山の4人は案山子の前で演奏しているのか? 途中でサンプラーのスイッチを入れようとしたイーグルをマヒトが「いいよそんなの。どうせシケてるもん」と辞めさせる場面があった。マヒトが観客を突き放す暴言を吐く事は度々あったしそれに反抗するように客席がヒートアップするのが今までの下山のライヴだった筈。バカにされても苦笑を返すだけの従順もしくは醒めた若者たち。演奏のテンションが上がり崩壊寸前に至るに反比例して凍りつくオーディエンス。バンドが空回りしているのか?初ワンマンは失敗だったのか?余計な心配をしてしまう。最近アイドルのライヴばかり行っているので客席全員アゲアゲで盛り上がるのに慣れてしまったせいか?

マヒトが安易な連帯や一体感を嫌い敢てぶち壊そうとしているのは明らかである。大阪のライヴCDではマヒトが悪態をつき、それに怒号で応える観客がドキュメントされている。"挑発するマヒト"vs"やり返すオーディエンス"、その関係があって初めて真のコミュケーションが生まれるのではなかろうか。決して大阪に比べて東京の観客が大人しい訳じゃないのは今までの下山のライヴや前日のウィルコの盛り上がりやORANGE RANGEで一斉にジャンプする女子を観れば明らかだ。下山が2時間集中放射したエネルギーの熱量に感動したが、客の反応が気になり終演後知り合いを捕まえては何かおかしくね?と訊きまくるが余り意に介していない様子。ライヴがつまらなかったのかと思ったらロビーは満足げに談笑するファンで一杯だし物販も賑わっている。ツイッターでは「素晴らしかった」「感動した」という発言ばかり。アイドルに慣れ切った私の感性が狂っているのだろうか?



翌日BABYMETALのインストアイベントを観た。たった1曲のライヴに盛り上がり狂乱するヲタたちを目の当たりにして自分が正しいことを確信した。マヒトのように暴言を吐かせていただこう。

★本日の重要ポイント→「客のノリが悪くて悩んでいるバンドはアイドルヲタを取り込む努力をするべし。」

彼らは本当にライヴが好きなのでジャンルは違っても対バンをきちんと下調べして楽しもうとライヴに臨む。それはディアフーフや非常階段がアイドルと対バンした時の異様な盛り上がりで明らかだ。クールを気取るロックファンは放っておいてもヲタの皆さんが盛り上げてくれるよ!マジで。

すぐ逃げろ
下山が山から
下りてくる

実のところマヒトや他のメンバーに直接感想を聞きたいところである。もし関係者がこれを読んでいたらメンバーに伝えて欲しい。反論・批判何でも正面から受け止めるから。









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ウィルコ・ジョンソン@南青山 RED SHOES 2013.1.10 (thu)

2013年01月12日 00時22分26秒 | ロッケンロール万歳!


ウィルコ・ジョンソンの突然の来日が発表されたのは年明け早々だった。昨年10月に来たばかりなのになぜ?と思いつつ即座に予約メールを入れる。シーナ&ロケッツや他のゲストとのセッションというので新年早々おめでたいと楽しみにしていたら、当日になって重大発表が。なんてこったい!そういう理由だったのかと驚きiPodでウィルコの曲を聴き涙したが、理由はともかく最高のロケンローパーティになることは必至、何も無くても当然観るべきライヴだ。ウィルコについての思いは今まで散々書いて来たので今さら感傷に浸ったお涙頂戴記事は必要ないと思うので普通にレポさせて頂く。

●BiS「GET YOU / BiSとDorothy Little Happy」リリースイベント@新宿MARZ


ウィルコが9時スタートなのでその前にBiS(新生アイドル研究会)のイベントに参戦。今週発売のDorothy Little Happyとのコラボシングル「GET YOU」はオリコンデイリーランキング初登場7位にランクイン、好調なスタートを切った。BiS盤とDorothy Little Happy盤がありそれぞれに相手の曲のカヴァーが収録されている。それぞれがリリースイベントを各地で行っているがこの日はBiS単体のイベント。コミックショップとらのあなの仕切りで会場は今年のライヴ初めでいずこねこを観た新宿MARZ。ライヴハウスなので大音量でライヴを観れるのが嬉しい。CDジャケット・PVのKKK(クー・クラックス・クラン)ルックで登場。昨年はメンバーのひとりワッキーが怪我で欠席していたので5人揃ってのライヴは初めて。”アイドル界のラリーズ”と言われる(言ってるのは私だけだが)爆音がPAから炸裂、歌とダンスが一糸乱れぬ訳ではないところがBiSならでは。ライヴ現場で鍛え上げた筈のトークも何処かしまりがなくてユルいのはリーダーのプー・ルイをはじめメンバーのおっとりした性格に由来する。見覚えのあるヲタの皆さんのノリは毎度ながら壮観だ。ライヴ後のチェキ会にも参加したかったがウィルコの時間が気になり握手会だけで我慢する。アイドルと直に触れあえる握手会はファンには嬉しいがにわかヲタには何を話したらいいのか戸惑いかなり緊張する。



休みなくリリースイベントが続き14日恵比寿リキッドルームで2マンライヴ「BiSとDorothy Little Happyの"GET YOU"」開催。2月から全国ツアー、3月16日両国国技館でツアーファイナルBiS/ワンマンライブ「WHO KiLLED IDOL?」。「私たちと四股踏みましょう」とプー・ルイ。国技館でヲタに囲まれるのもいいかもしれない。ぽっと出のアイドルと活動歴40年のロケンローの神様を一緒にするなんてふざけるな!と怒られるのを覚悟でいうが、曲に合わせて腕を突き上げ大声でシャウトする快感はどちらも同じである。

●WILKO JOHNSON TOKYO SESSION 2013@南青山 RED SHOES


レッドシューズには20数年前に行ったことがある。記憶を頼りに西麻布界隈を彷徨い六本木まで歩くが影も形もないので引き返し、想像より渋谷寄りのビルに辿りつく。当日券を求める人の長い列が出来ている。昼間のニュースを知って一目見ようと集まったのだ。予約でソールドアウトなので入れる可能性は低いがこれだけの人が名残を惜しみに来たのはウィルコの根強い人気の証である。入口の柱にウィルコへのメッセージ用に日章旗が貼ってあったので「Wilko, I love you!」とサインする。昔の店舗よりずっと狭い店内は超満員でタバコの煙が充満している。煙からの逃げ場がないがロッケンローなので仕方がない。レッドシューズ常連のロックミュージシャン風が多い。この狭さは90年代にウィルコを観たロンドンのパブそのもの。勿論こんな満員じゃなかったが。スクリーンにDr.フィールグッドの映像が投射されDJがロケンローナンバーをプレイ、雰囲気を盛り上げる。開演時間になると客席後ろの楽屋代わりのVIPスペースから客を掻き分けて鮎川誠とベンジャミン・テホヴァルがステージへ。鮎川が「ベルギーから来たウィルコの大切な友達」と紹介。ベンジャミンはひとりでギターとドラムをプレイし前回同様30分の演奏。ステージが高くなっている訳ではないので全く見えない。ウィルコに捧げたラストナンバー「ライク・ア・ローリング・ストーン」ではサビを観客が合唱。心の籠ったいい演奏だった。

観客が押し寄せ楽器のセッティングが出来ず「3歩後ろに下がって」とアナウンスがある。レッドシューズにこれほど客が集まったのは初めてなのかもしれない。30分ほど待ち鮎川を先頭にウィルコとシーナが登場。「いいぞロッケンロー禿げ!」という声援が頼もしい。ロケンローセッションのスタートだ。やはり人垣でステージが見えないので音だけで楽しむことにする。5m先でウィルコ達が演奏している、その波動を全身で受け止める。フィールグッド、ウィルコのナンバーを数曲プレイしたところでゲストを呼び込む。花田裕之、チバユウスケ、延原達治(The Privates)、浅井健一(何故か紹介がなかった)など日本ロケンロー界の猛者が登場スタンダード・ナンバーをセッション。チューニングが狂ったり途中で止まったりするがお楽しみ大会だから問題ない。



ウィルコは「I’ve got cancer, I’m gonna die(僕は癌になった。もうすぐ死ぬんだよ)」とMC。自分で言うか?と思ったがとても自然な口調にウィルコの強い覚悟が溢れる。1時間強のライヴのアンコールは「バイ・バイ・ジョニー」。「This is my last Tokyo show. I’ll never see you again(これが最後の東京公演。もう二度と会えないよ)」と叫んでギターを掻きむしるウィルコ。鮎川はサビを♪Bye Bye Wilko♪と歌う。出演者全員最期のライヴを心から楽しんでいる。毎回エンディングを飾る曲だがこの日はまさしくラストに相応しかった。



終演後DJがプレイする「テキーラ」に合わせて「ウィルコ!」と叫ぶ観客の歓声が続いている。外へ出ると会場に入れなかった多くのファンが日章旗にサインをしていた。人生をロケンローで締め括ろうとするウィルコに別れを告げる。天国への旅立ちにカンパイ!

さようなら
ロケンローは
鳴りやまない

今回のライブの収益は全て東日本大震災への義援金として寄付するとのこと。カッコ良すぎだぜ兄貴!
RED SHOES支配人RIO氏のブログ→コチラ
ライヴ本番のレポートと写真はコチラ
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