A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

パティ・スミス@渋谷オーチャードホール 2013.1.24 (thu)

2013年01月26日 00時57分29秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


パンクロックを最初に聴いたのはいつだったろうか。当時の情報源はラジオか音楽雑誌だった。特に渋谷陽一のFM番組を愛聴していたのでググったら何と1976-78年放映NHK-FM「渋谷陽一のヤングジョッキー」のオンエア・リストを発見。おお懐かしいと見ていたら1976年9月19日放送でラモーンズがかかったのがパンク初オンエア、その次に1977年2月20日にヴァイブレイターズ、テレヴィジョン、ミルクン・クッキーズ、1977年半ばからピストルズ、ウルトラヴォックス、パティ・スミス、ディクテイターズ、ストラングラーズ、ジャムなどがかかるようになる。最初に買ったテッド・ニュージェントが表紙の「ミュージック・ライフ」1977年3月号には「ロンドンで人気フットウ!セックス・ピストルズ」という記事が出ているし、同じ年(月不明)の「音楽専科」には「2大パンク激突!ブロンディ対ランナウェイズ」としてパンク紹介記事が載っていた。異論はあるだろうが一般的にはダムド、クラッシュ、ピストルズ、ジャム等ロンドン・パンク勢が続々デビューした1977年が日本に於ける「パンク元年」だったのではなかろうか。

その年の暮れ12月30日(先ほどのリストでは31日となっているがカセットにはこの日付が書いてある)同番組の年末スペシャルのエアチェック・カセットがパンクガイドとして重宝した。ザ・フー、ストゥージズに続いて流れたのがパティ・スミス「マイ・ジェネレーション」だった。荒々しいライヴ録音で"I don't need their fuckin' shit"(奴らのくそったれなお世話はいらないわ)という過激な言葉をヒステリックに叫ぶパティのヴァージョンはザ・フーが優等生に思えるほど刺激的だった。この曲は1stアルバム「ホーセズ」CDのボーナス・トラックとして聴ける。次にテレヴィジョン「ヴィーナス」がかかったのは番組の流れとしては妥当。



高校生だからレコードは滅多に買えずもっぱらラジオを聴く日々だった。当時パティの曲を他に聴いたかどうかは記憶がない。レコードで入手したのは1979年3月初の海外旅行で訪れたローマで購入した「Punk Collection」というコンピだった。ラモーンズ、ザ・ボーイズ、イーター、エレクトリック・チェアーズ、イギー・ポップ、ポリス、トーキング・ヘッズ、デッド・ボーイズ等英米混合の選曲のラストがパティの「ピス・ファクトリー」だった。ジャズっぽいピアノ演奏+詩の朗読の実験的な曲に「これがニューヨークパンクの神髄か」と納得した覚えがある。



アルバムを聴いたのは1982年貸しレコードが一般的になってからである。1st「ホーセズ」は印象的なジャケットのポートレイトと相まって激情パンクとは異質の「言葉=詩」中心のとても文学的で理知的な世界だった。大好きだったテレヴィジョンと同じ知性派ロック。丁度エリオット・マーフィーが復帰作「Affairs」「Murph The Surf」をリリースし言葉の重みに惹かれ同じニューヨークのロック詩人として相通じるものを感じた。しかし入れ替わりにパティが主婦業に専念するため隠遁してしまった。

久々にパティの名前を聞いたのは1988年9年ぶりの新曲「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」だった。♪私達は世界を変えることが出来る 私達は地球を革命出来る 私達には力がある 人々には力がある♪という力強いメッセージは正真正銘パンク詩人の本領発揮だった。



その後再び沈黙が続き再び9年後の1997年にアルバム「ゴーン・アゲイン」を発表しデビューから22年ぶりの初来日公演を果たす。2000年代にはフジロックを始め何度か来日しているので今回の来日公演は久々という感慨はないが単独ツアーとしては10年ぶりとのこと。3.11震災後初めての来日で8年ぶりの新作アルバム「Banga」リリースと自伝「ジャスト・キッズ」と詩集「無垢の予兆」の翻訳版発売という話題が重なり気分がアガる。被災地の仙台公演は特にパティの強い希望で実現したとのこと。ツアー開始に先立ち出版記念サイン会が開催されたことは先日書いた通り。前日の渋谷AX公演はかなり激しいステージでオールスタンディングの会場全体で盛り上がった模様。レポートはコチラ

オーチャードホールは2008年9月山下洋輔出演のSymphonic NEW YORK以来4年半ぶり。前から5列目ど真ん中という最高の席。客の年齢層は高いが先日代官山に集まったようなオシャレ&ちょいワルな人が多い。ベストがプリントされたTシャツに黒ジャケット、腰にバンダナを下げたパティと4人組バンドが登場。レニー・ケイはステージで観る方が断然カッコいい。前半は比較的スロー~ミッドテンポのじっくり聴かせるナンバー中心。震災を唄った「フジサン」や♪仙台で海岸の被災地を訪れた 漁船が取り残されていた 無事だった神社に登った 潮を浴びた不毛の大地♪と唄う即興的な曲も披露。ここで唄われた"神社"はたぶん昨年秋従兄弟に連れて行ってもらった閖上湊神社のことだろう。瓦礫は片付けられていたが見渡す限り土台だけの原野が広がっていた。


33万円集まった震災募金抽選会を経てレニー・ケイ・コーナーがあり「日本にはガレージロックのファンが多いね。君たちのために演奏するよ。It's A Nugget If You Dig It!」とMCしてガレージパンクのカヴァーをメドレーで演奏。個人的にはココがハイライトだった。終盤は大ヒット曲「ビコーズ・ザ・ナイト」から「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」まで檄を飛ばしつつライヴハウス状態でヒートアップ。

アンコールのMCで「原発が必要かどうかは我々が決める!」と言った時、官邸前デモの常連でどんなライヴでも腕組み地蔵状態の友人が突然腕を振り上げ叫び出したのが面白かった。 「ロックンロール・ニガー」~「グローリア」。最後に指でギターの弦をすべてぶち切ったパティの勇姿に会場中が大いに沸いた。66歳になってもパンク精神を貫く姿勢が眩しかった。





伝説は
生きているんだ
今ここに

5月のテレヴィジョン来日ツアーが発表された。パティ&レニー~トム・ヴァーラインと繋がるニューヨーク・ロック・サークル、あとはリチャード・ヘルとエリオット・マーフィーが来てくれればサイコーだね!

★おまけ:パティ・スミス1979年ドイツTVでのライヴ映像16曲



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする