おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

山本五十六の友人、堀偵吉さんは知らんかった

2021年12月05日 | Weblog

ちょうど午前6時です。

ただいまの気温、マイナス6度と冷え込んでおります。

きょうは曇りのち晴れのお天気で日中の最高気温は零度の予想だ。

本格的な冬の訪れです。

そんなこんなのきのう夕方、

TBS報道特集を拝見いたしました。

特集は真珠湾攻撃を成功させた山本五十六とその近しい友人であった堀悌吉さんのお話だ。

海軍提督の山本五十六は日米開戦に際して「私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてご覧に入れます」と言った。

有名な言葉ですが、1年半まではいいけど、「あとは保障の限りではない」と言いたかったらしい。

実際には開戦から半年後のミッドウエー海戦で敗北して、その後は敗戦までほぼほぼ負けっぱなしだった。

そもそも日米開戦に反対していた山本五十六は海軍兵学校での成績は11番目だったそうです。

この学校で1番の優秀な成績で、「本校創立以来未だ見ざる成績」と言われたほど優秀だったのが堀悌吉さんだ。

堀は海軍大学校時代に執筆した論文「戦争善悪論」の中で「戦争は殺戮(さつりく)であり、殺人である」として戦争反対を説き、軍縮推進を唱えた。

ふたりは三国同盟に反対しており、山本に至っては右翼による暗殺計画まであったとされる。

戦争に反対する条約派の堀は、予備役にさせられ現役を引退させられる。

なので戦後も生き残り、山本との往復書簡などを記した「堀悌吉自伝ノート」などを残した。

そこには山本の苦しい心境なども記されていたという。

正しい正しくないにかかわらず、命令に従うのが軍人だそうです。

この国では、組織の中にあっては、いまも「言いたいことが言えない」ことになっておる。

山本五十六、堀悌吉の正義はすっかり葬り去られ、おかげさんでニッポン国民300万人以上が死んだのが太平洋戦争だ。

ニッポン国のこうした体質は、戦前、戦後、そして今に至るまで変わっていないような…

コロナ対策も、第5波までは太平洋戦争と同じ「最悪を想定しない後手後手」だった。

バブルを頂点に右肩下がりのニッポン国、ずるずる敗戦した太平洋戦争と似たりゴンベ。

太平洋戦争は1941年12月から1945年8月まで4年足らずで終わったけど、バブル崩壊からはもう30年だ。

「ずるずる」するにも、ほどがある!!


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