12月8日~9日に訪ねた、式根島報告です。
前回の訪問で紹介していただいた、式根島の人間博物館のような元理科のO先生に案内をしていただきました。
火山
式根島は、新島や神津島の激しい噴火の火山灰が全島を覆う、標高109mの台形の島。他の伊豆諸島に比べ、かなり標高の低い島ですが、これは式根島が新島火山の溶岩流だから…という説と、昔の火山が波に削られ低くなったから…という2つの説があるようです。
山の上に登って周囲を見渡すと…
「溶岩ドーム?」と思われる山の連なりが見えます。
「隈の井」の標識そばの平らな白い砂地は、昔の火口ではないかと考えられているようです。
標高100mもない場所なのに、生えている植物も風景も、標高500m以上の天上山と似ているのが不思議な気がします。
“神引展望台”から眺めた眼下の入り江。
以前ブログでこの景色は、地質調査総合センターのWEBサイトに「北北西-南南東に伸びる山稜と、同方向の海岸線の湾入は、粘性の高い溶岩の流動方向に直交するしわのなごり」と紹介されていたと書きましたが、地元では「マグマ水蒸気爆発でできた火口」と解釈されているようです。
「マグマと水が接触する激しい噴火が起きると、近くの岩盤を吹き飛ばし大小様々な石が降り積もるはず」そんなつもりで海岸を歩くと…
ううむ…
どうなんでしょう?
マグマ水蒸気爆発というよりも、土石流によって積ったもののようにも見えますが…??
でも確かに、丸い美しい入り江は、火口のようでもあります。
(ちょっと波浮港に似ているような気も…?)
温泉
式根島には海岸に、温泉の湧き出る場所があります。
地面が鉈で割られたような風景だから,その名があるという「地鉈温泉」
湧き出るお湯の温度は80℃で…
潮の干満を考えて入りに来ないといけないそうです。
地鉈温泉から源泉を引いた「松が下温泉」
潮の干満に関係なく入れるので人気とか…。
足付温泉は、地元の方達が掃除をしている最中でした。
(お疲れさまです)
森
式根島の民家近くの森は、薪炭林が放置され、再生したあとの状態が多く…
ハイキングコースは、クロマツがニョキニョキ伸びる低木林や…
シイノキが「これからクロマツをおいぬくぞ~」という感じの森が多かったです。
886年の新島向山の噴火で火山灰が厚く積もり、その後1000年近く無人島だった式根島は、ほんの120年前まで、新島の人々の湯治場、漁場であり、年貢の塩を作る場所であったそうです。
塩を作るには大量の薪がいるため10年ぐらいでほぼ木を切り尽くし、新島と式根島で交互に塩を作っていたそう…だから、若い感じの成長中の森が多いのでしょうか?
いずれにせよ、式根島は標高がないため、霧が出ず、乾燥するので、動植物にとってはキビシイ環境のようです。
水事情
神津島と同じように、もっとも粘りのある溶岩(流紋岩)で、地面ができている式根島。
でも、水が豊かな神津島と違い、式根島の水はしみ出す程度だったとのこと。
地面に樽を埋めてしみ出す水を確保したり、瓶を置いて雨水を溜めたり、海岸近くにあるポッドホール(波などで石がゴロゴロ転がってできた丸い穴)に溜まった水を利用したりして生活用水を得ていたとのことです。
町中には、地面を円錐状に掘り共同井戸として利用していた「まいまいず井戸」の跡が残っていました。
井戸までの道が、マイマイ(カタツムリ)に見えるところからついた名前だそうで、火山灰の脆い土壌に垂直の井戸を掘るのが難しく、このような形になったとのこと。
塩まじりの真水が、干満により水位変動するような井戸だったそうです。
側には「水神様」が祀られていました。
また、民家の横には、今も断水の時に使われるという井戸もありました。
ここにも水神様が祀られています。
水が貴重だった昔の暮らしが想像できます。
町並み
標高が低く、120年前に人が住み始めた式根島は、大雨でも民家近くの崖が崩れるなどの被害がないそうです。
平らな土地もいっぱいあったので、民家の敷地も広く、神津島の集落と対照的でした。
お墓には海岸から持ってきた白い砂が敷かれ…
どのお墓もキレイにそうじされていました。
海岸の砂はキラキラで、宝石のように輝いていました!
近くの海岸から袋につめて砂を運んでいるとのこと。
式根島もまた、特徴豊かな島でした。
O先生にはトータル6時間弱の短い時間で、本当に様々な島の自然や暮らしを見せていただきました。
そして先生を紹介して下さったS先生とは、夕食につきあっていただいて語り合いました。
楽しい式根島滞在!
皆さん、ありがとうございました!
(カナ)
前回の訪問で紹介していただいた、式根島の人間博物館のような元理科のO先生に案内をしていただきました。
火山
式根島は、新島や神津島の激しい噴火の火山灰が全島を覆う、標高109mの台形の島。他の伊豆諸島に比べ、かなり標高の低い島ですが、これは式根島が新島火山の溶岩流だから…という説と、昔の火山が波に削られ低くなったから…という2つの説があるようです。
山の上に登って周囲を見渡すと…
「溶岩ドーム?」と思われる山の連なりが見えます。
「隈の井」の標識そばの平らな白い砂地は、昔の火口ではないかと考えられているようです。
標高100mもない場所なのに、生えている植物も風景も、標高500m以上の天上山と似ているのが不思議な気がします。
“神引展望台”から眺めた眼下の入り江。
以前ブログでこの景色は、地質調査総合センターのWEBサイトに「北北西-南南東に伸びる山稜と、同方向の海岸線の湾入は、粘性の高い溶岩の流動方向に直交するしわのなごり」と紹介されていたと書きましたが、地元では「マグマ水蒸気爆発でできた火口」と解釈されているようです。
「マグマと水が接触する激しい噴火が起きると、近くの岩盤を吹き飛ばし大小様々な石が降り積もるはず」そんなつもりで海岸を歩くと…
ううむ…
どうなんでしょう?
マグマ水蒸気爆発というよりも、土石流によって積ったもののようにも見えますが…??
でも確かに、丸い美しい入り江は、火口のようでもあります。
(ちょっと波浮港に似ているような気も…?)
温泉
式根島には海岸に、温泉の湧き出る場所があります。
地面が鉈で割られたような風景だから,その名があるという「地鉈温泉」
湧き出るお湯の温度は80℃で…
潮の干満を考えて入りに来ないといけないそうです。
地鉈温泉から源泉を引いた「松が下温泉」
潮の干満に関係なく入れるので人気とか…。
足付温泉は、地元の方達が掃除をしている最中でした。
(お疲れさまです)
森
式根島の民家近くの森は、薪炭林が放置され、再生したあとの状態が多く…
ハイキングコースは、クロマツがニョキニョキ伸びる低木林や…
シイノキが「これからクロマツをおいぬくぞ~」という感じの森が多かったです。
886年の新島向山の噴火で火山灰が厚く積もり、その後1000年近く無人島だった式根島は、ほんの120年前まで、新島の人々の湯治場、漁場であり、年貢の塩を作る場所であったそうです。
塩を作るには大量の薪がいるため10年ぐらいでほぼ木を切り尽くし、新島と式根島で交互に塩を作っていたそう…だから、若い感じの成長中の森が多いのでしょうか?
いずれにせよ、式根島は標高がないため、霧が出ず、乾燥するので、動植物にとってはキビシイ環境のようです。
水事情
神津島と同じように、もっとも粘りのある溶岩(流紋岩)で、地面ができている式根島。
でも、水が豊かな神津島と違い、式根島の水はしみ出す程度だったとのこと。
地面に樽を埋めてしみ出す水を確保したり、瓶を置いて雨水を溜めたり、海岸近くにあるポッドホール(波などで石がゴロゴロ転がってできた丸い穴)に溜まった水を利用したりして生活用水を得ていたとのことです。
町中には、地面を円錐状に掘り共同井戸として利用していた「まいまいず井戸」の跡が残っていました。
井戸までの道が、マイマイ(カタツムリ)に見えるところからついた名前だそうで、火山灰の脆い土壌に垂直の井戸を掘るのが難しく、このような形になったとのこと。
塩まじりの真水が、干満により水位変動するような井戸だったそうです。
側には「水神様」が祀られていました。
また、民家の横には、今も断水の時に使われるという井戸もありました。
ここにも水神様が祀られています。
水が貴重だった昔の暮らしが想像できます。
町並み
標高が低く、120年前に人が住み始めた式根島は、大雨でも民家近くの崖が崩れるなどの被害がないそうです。
平らな土地もいっぱいあったので、民家の敷地も広く、神津島の集落と対照的でした。
お墓には海岸から持ってきた白い砂が敷かれ…
どのお墓もキレイにそうじされていました。
海岸の砂はキラキラで、宝石のように輝いていました!
近くの海岸から袋につめて砂を運んでいるとのこと。
式根島もまた、特徴豊かな島でした。
O先生にはトータル6時間弱の短い時間で、本当に様々な島の自然や暮らしを見せていただきました。
そして先生を紹介して下さったS先生とは、夕食につきあっていただいて語り合いました。
楽しい式根島滞在!
皆さん、ありがとうございました!
(カナ)