名古屋市の愛知県美術館で開催されている「カンディンスキーと青騎士」展に行ってきた。
http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html
カンディンスキーとその仲間たちの絵画を見ることはあまりない。目的は、なぜあのような色彩豊かな抽象画を描くようになったのか、が知りたかったことと、職場を離れるときにいただいた餞別のお返しを、そこらに売っているようなものではないものにしようと考えたからである。
後者について記すと、餞別としていただいたものについては半返し(お金で言うなら、いただいた半額程度のもの)というのが一般的であるが、私は少し奮発してかなりたくさんのミュージアム・グッズを購入した。おそらくhamanaは、カンディンスキーのメモ用紙やクリアファイルなどが飛び交うことになるだろう。なお愛知県美術館の売り物は、クリムトの「黄金の騎士(人生は戦いなり)」である。この絵も、おそらくhamanaのあちらこちらで目にすることになろう。
さてカンディンスキーの絵であるが、色彩豊かな抽象画が彼の絵画である。
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=-D-XTfyINIrcvQOK1dyHDA&ved=0CDQQsAQ
もちろんこういう抽象画を描く画家も、抽象画を描く前に必ず具象的な絵画を描いている。ピカソ然りである。
さて、カンディンスキーの具象画を見ていて思ったこと、それはそれらの絵を間近で見るときと、少し離れてみるときの絵の印象が異なるのだ。間近でみるときは絵は色の集合体であり、離れてみるときは何らかの具象的な題材を描いたものであることがわかる。
カンディンスキーは、空間というものに囚われたのではないかと思った。順序よくみていくと、私たちの目には近くにあるものは近くに、遠くにあるものは遠くに見える。当たり前だ。ところがカンディンスキーは、色に囚われてしまうのか、見える風景が秩序正しく描かれなくなる。空間は整序されないのである。あるいは彼の友人の画家たちは、三次元の空間を二次元の平面に描く。
その後、カンディンスキーは、色彩豊かな抽象画を描くようになるが、その絵は決して平面的ではなく三次元の空間のなかのいわば自由な「色彩空間」、しかしそこには何らかの具象があるように思われる。
カンディンスキーの精神の中にある具象的なものが、彼の色彩空間の中に解き放たれる、そういう絵ではないかと思った。