浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

やっぱり多くの人が逃げている

2011-04-03 21:24:51 | 日記
 放射性物質を垂れ流し、いつまでそれが続くか全く見通しがないなかで、関東圏を中心に「疎開」をしている人びとが増えているようだ。

 「きっこの日記」にその一端が記されている。

http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
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脱原発の声を上げよう

2011-04-03 21:15:10 | 日記
 原子力発電は、わが地震が頻発する日本列島には不適である。日本列島に住む住人の安全を図るには、原発の全廃を求めていく声を大きくすることが大事である。

 ロイターが今後のエネルギー政策についての投票を行っている。「原発を全廃する」
という意見がもっとも多い。こういう意見をより強くしていく必要がある。

http://jp.reuters.com/
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週刊誌

2011-04-03 16:55:18 | 日記
 今回の原発事故について、新聞やテレビでは本当のことはわからない。新聞、テレビが、国民の生命・健康を守る、国民の知る権利に対応する報道ではなく、政府や東京電力の広報機関になっていることが如実に示された。

 私は、週刊誌はほとんど読まない。今『週刊現代』、『週刊文春』を手にしているが、こちらのほうが正しい情報が詰まっている。新聞やテレビメディアは、もう社会的価値はないと断言できる。

 高額な給料を得る、新聞やテレビメディアの世界に住む「住人」たちの、たとえば公開されている記者会見での質問をみていればわかる。真実に迫ろうとする気迫が全く感じられず、ジャーナリストとしての能力を欠いた質問にただあきれるばかりである。

 記者クラブ制度という日本特有の制度によって、大手マスコミだけに優先的に情報が流される。この点については、上杉隆氏のように、記者クラブの閉鎖的なやりかたを厳しく批判する行動もあるが、しかし大手メディアは、その制度にのっているからこそ情報(官公庁や大企業にとって都合の良い情報)をとることができるということから、その制度を維持するために、官公庁や大企業となれ合い、真実の報道を曇らせている。

 週刊誌に目を通すことをすすめる。

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東電 勝俣会長の記者会見要旨

2011-04-03 16:42:26 | 日記
 東電勝俣会長の記者会見における問答が載せられている。官僚的な答弁である。一度読んでみたらどうか。

http://astand.asahi.com/magazine/judiciary/articles/2011040100004.html
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東京電力のカネ

2011-04-03 10:21:24 | 日記
 東京電力のカネ、もとはといえば国民からの電気料金である。それが政治家はもちろん、大学へも大量に注ぎ込まれている。そういうカネ漬けのなかで、原発推進は行われてきた。

“「東電が東大に金をばら撒いている!」大学教授の発言が話題に”という記事を見つけた。


 
難しい対応が求められている東京電力。そんな中、「大学に東京電力は現ナマをばらまいている」と問題点を指摘しているのが、大阪芸術大学の芸術学部教授である純丘曜彰氏だ。

 純丘教授はビジネスコミュニティ「INSIGT NOW!」(http://www.insightnow.jp/)に「東電のカネに汚染した東大に騙されるな!」との記事を掲載。同記事で純丘教授は、「なんと5億円! 寄付講座だけでも、これほどの大金が、東京電力から東京大学大学院の工学研究科にジャブジャブと流し込まれている。これは、東大の全86寄付講座の中でも、単独企業としてあまりに突出した金額」と語り、「テレビで口を開くなら、まず、東京電力から受け取った黒いカネを、全額、返してからにしろ」とも。

 また、東大だけでなく、「東工大や慶応義塾大学など、全国のあちこちの大学の大学院に、東京電力は現ナマをばらまいている」とも指摘。さらに、長崎大学では、東電が9000万円で講座を寄付したいとの申し出をしてくるも、その趣意書は、原発推進とも受け取れる表現が踊っていたという。そんな中、大混乱の学長選を経て、公害問題が専門家が当選したことにより、長崎大学はすでに振り込まれていた金を全額東電に突き返したという。

 最後に純丘教授は、「テレビもテレビだ。公正、中立、客観を旨とする以上、解説を学者に頼むなら、原発賛否両方の学者を公平に呼べ。調べるプロなら、連中のウラ事情ぐらい調べておけ」とコメントしている



http://npn.co.jp/article/detail/64982634/


 
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核汚染大国日本②

2011-04-03 10:11:03 | 日記
 時事通信が配信した記事。ここには勢いよく流出している写真が掲載されている。



 
勢いよく流出、海面に泡=高濃度汚染水-福島第1原発


 福島第1原発2号機の取水口付近では、「ピット」と呼ばれるコンクリート製立て坑の亀裂から、高濃度の放射性物質で汚染された水が勢いよく約2メートル下の海面に流れ落ち、白く泡立っていた。2日午後0時40分ごろ東京電力が撮影した写真で、様子が明らかになった。
 東電はピットにコンクリートを流し込んで流出を止めようとしたが、汚染水の色が茶色からほぼ透明に変わっただけで、流量は変わらなかった。底のがれきが邪魔になり、水面下の亀裂をふさぐことができなかった可能性がある。
 東電は3日朝からピットにつながる管に水を粘液状にする高分子ポリマーを注入し、流れを遅くする方法を試みる。ただ効果は不明で、さらに別の手段も検討している。
 流出場所は取水口の頑丈なフェンスの内側にあり、中に入れないため、小さな船などで汚染水を受け止めることができない。フェンス部分を板で仕切り、汚染水の拡散をある程度防ぐ方法も考えられるが、板を津波で流失した可能性があり、できるか分からないという。(2011/04/03-01:18)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011040300007

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中部大学 武田邦彦氏の提言

2011-04-03 10:02:57 | 日記
 武田氏は、今回の事故に関連する放射線の問題について、政府やマスゴミにでる解説者と異なる提言をしている。比較してほしい。

 政府、保安院、東電などは、原発推進を捨てようとしていない。となると、出されてくる情報は、セレクトされているはずだ。そういう情報より、武田氏の情報の方が、利害関係がないだけにしんようできるはずだ。


http://takedanet.com/2011/04/post_2f0b.html


http://takedanet.com/
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カンディンスキーと空間

2011-04-03 00:14:22 | 日記
 名古屋市の愛知県美術館で開催されている「カンディンスキーと青騎士」展に行ってきた。

http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html

 カンディンスキーとその仲間たちの絵画を見ることはあまりない。目的は、なぜあのような色彩豊かな抽象画を描くようになったのか、が知りたかったことと、職場を離れるときにいただいた餞別のお返しを、そこらに売っているようなものではないものにしようと考えたからである。


 後者について記すと、餞別としていただいたものについては半返し(お金で言うなら、いただいた半額程度のもの)というのが一般的であるが、私は少し奮発してかなりたくさんのミュージアム・グッズを購入した。おそらくhamanaは、カンディンスキーのメモ用紙やクリアファイルなどが飛び交うことになるだろう。なお愛知県美術館の売り物は、クリムトの「黄金の騎士(人生は戦いなり)」である。この絵も、おそらくhamanaのあちらこちらで目にすることになろう。

 さてカンディンスキーの絵であるが、色彩豊かな抽象画が彼の絵画である。

 http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=-D-XTfyINIrcvQOK1dyHDA&ved=0CDQQsAQ

 もちろんこういう抽象画を描く画家も、抽象画を描く前に必ず具象的な絵画を描いている。ピカソ然りである。

 さて、カンディンスキーの具象画を見ていて思ったこと、それはそれらの絵を間近で見るときと、少し離れてみるときの絵の印象が異なるのだ。間近でみるときは絵は色の集合体であり、離れてみるときは何らかの具象的な題材を描いたものであることがわかる。

 カンディンスキーは、空間というものに囚われたのではないかと思った。順序よくみていくと、私たちの目には近くにあるものは近くに、遠くにあるものは遠くに見える。当たり前だ。ところがカンディンスキーは、色に囚われてしまうのか、見える風景が秩序正しく描かれなくなる。空間は整序されないのである。あるいは彼の友人の画家たちは、三次元の空間を二次元の平面に描く。

 その後、カンディンスキーは、色彩豊かな抽象画を描くようになるが、その絵は決して平面的ではなく三次元の空間のなかのいわば自由な「色彩空間」、しかしそこには何らかの具象があるように思われる。

 カンディンスキーの精神の中にある具象的なものが、彼の色彩空間の中に解き放たれる、そういう絵ではないかと思った。

 
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