御前崎市にある浜岡原発は今も稼働している。そしていつ大地震が起こるとも限らない。福島原発の事故が、こんなにも大きな被害をつくり出し、原発による発電がもっとも経済的だというウソがより明らかになってきているこのとき、政府も静岡県も、浜岡原発をストップさせようという気配が何もないのはどうしたことか。
大きな津波が福島原発を襲った、だから津波よけのフェンスをつくると、中部電力はいう。だがそれも数年後だという。ボクはしかしたとえフェンスができたとしても、津波の襲来は防げないと思う。津波は普通の波とは違う。津波は、海水が可塑性を持った固体として上陸してくる。それも莫大な力を押し立てて襲ってくるのだ。たとえ砂丘があってもそれを乗り越えるだろうし、フェンスもなぎ倒してくるだろう。あの宮古の津波を防ぐ防波堤すら破壊され、乗り越えられたのだ。
津波だけではない。大きな地震が、原発を大きく揺らすだろう。福島の第一号機は、津波ではなく地震による揺れで配管などがだめになったと言われている。
2009年8月11日の駿河湾地震では、浜岡原発の5号機がもっとも大きな揺れを受けたという。
全国的にも、浜岡原発を停止すべきだという声が高まっている。「熊本日日新聞」のコラム『射程』では・・・・・
浜岡原発への不安 2011年04月25日
都内在住で1歳7カ月の女児を抱える30代女性が先月下旬、親類を頼って熊本市内に一時避難してきた。乳児を持つ同世代の親友も一緒で、福島第1原発事故による放射性物質拡散の不安から、首都圏脱出に踏み切ったという。
母子二組は、熊本に来て「安心し、ぐっすり眠れるようになった」と話す。放射性物質が及ぼす子どもへの影響が一番の心配だった。その不安とストレス、安全な水確保の難しさなどから「当面、都内で生活するのは無理」と判断している。
都民の不安は、福島第1原発だけではない。今、あらためて問題視されているのが中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)だ。東海地震の震源域の真上にあり、もし福島以上の事故が起きれば首都圏は壊滅的な打撃を受けると指摘されている。
浜岡原発は現在4、5号機が稼働中(1、2号機廃炉決定、3号機点検中)。10日には東京・芝公園で約2500人が参加した市民集会もあり、「東海地震が起きれば、浜岡原発は福島の二の舞いかそれ以上の事態を招く。即刻、運転中止するべきだ」と訴え、デモ行進した。運転中止を求める全国署名運動も展開されている。
中電は、津波対策として高さ12メートル以上の防波壁を2、3年かけて設置する方針だ。ただ、それで不安が解消するとも思えない。東海地震は必ず起こり、今すぐ起こっても不思議ではないと地震専門家は警告している。
熊本に避難した女性は「何も解決していないから、今後のことは決めかねている」と話す。浜岡原発への政府の対応は、福島後の原発政策への試金石となるのではないか。 (山本晃)
次は『毎日新聞』のコラム「風知草」である。
風知草:浜岡原発を止めよ=山田孝男
中部電力の浜岡原子力発電所を止めてもらいたい。安全基準の前提が崩れた以上、予見される危機を着実に制御する日本であるために。急ぎ足ながら三陸と福島を回り、帰京後、政府関係者に取材を試みて、筆者はそう考えるに至った。
福島に入った私の目を浜岡へ向かわせたのは佐藤栄佐久・前福島県知事(71)だった。郡山に佐藤を訪ねて「首都圏の繁栄の犠牲になったと思うか」と聞いたとき、前知事はそれには答えず、こう反問した。
「それよりネ、私どもが心配しているのは浜岡ですから。東海地方も、東京も、まだ地震が来てないでしょ?」
5期18年(5期目半ばで辞任後、収賄で逮捕・起訴。1、2審とも有罪で上告中)。国・東京電力との蜜月を経て原発批判に転じた佐藤が、恨み節を語る代わりに首都圏の油断を指摘してみせたのである。
浜岡原発は静岡県御前崎市にある。その危うさは反原発派の間では常識に属する。運転中の3基のうち二つは福島と同じ沸騰水型で海岸低地に立つ。それより何より、東海地震の予想震源域の真上にある。
「原発震災」なる言葉を生み出し、かねて警鐘を鳴らしてきた地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。
「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)
これが反原発派知識人の懸念にとどまらないことを筆者は先週、思い知った。旧知の政府関係者から「浜岡は止めなくちゃダメだ。新聞で書いてくれませんか」と声をかけられたのである。原発輸出を含む新成長戦略を打ち出した内閣のブレーンのひとりが、浜岡に限っては反原発派と不安を共有し、「原発を維持するためにこそ止めるべきなのに、聞く耳をもつ人間が少ない」と慨嘆した。
福島のあおりで中部電力は浜岡原発の新炉増設の着工延期を発表したが、稼働中の原子炉は止まらない。代替供給源確保のコストを案じる中電の視野に休止はない。ならば国が、企業の損得や経済の一時的混乱を度外視し、現実の脅威となった浜岡原発を止めてコントロールしなければならないはずだが、政府主導の原発安全点検は表層的でおざなりである。
なるほど民主党政権は無残だが、自民党ならみごと制御できたとも思わない。空前の大災害であり、しかもなお収束のめどが立っていない。
向こう1000年、3・11ほどの大地震や津波がこないとは言えないだろう。列島周辺の地殻変動はますます活発化しているように見える。そういうなかでGDP(国内総生産)至上主義のエネルギー多消費型経済社会を維持できるかと言えば、まず不可能だろう。
いま、首相官邸にはあまたの知識人が参集し、「文明が問われている」というようなことが議論されている。ずいぶんのんきな話だと思う。
危機は去っていない。福島の制御は当然として、もはやだれが見ても危険な浜岡原発を止めなければならない。原発社会全体をコントロールするという国家意思を明確にすることが先ではないか。(敬称略)