浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

線香の煙と「古寺巡礼」

2011-04-16 08:37:37 | 日記
 古寺をまわるとき、それぞれの寺で線香を買う。微妙に異なる香りをたのしむ。最近はたっぷりある時間ので、しばしば線香に火をともす。香りが家全体に流れ、心地よくなる。

 こういう趣味を話すと、「変人だ」と嘲笑されたりしたが、それでも変えるつもりはない。

 村上春樹の『辺境・近境』を図書館から借りる時、その隣に辻井喬の『古寺巡礼』が目に入り、一緒に借りてきた。今読み終わったが、そこに浜松市内の三ヶ日にある摩訶耶寺と大福寺がでていた。ここは未だ「巡礼」したことはないので、行ってみるつもりだ。

 『古寺巡礼』は和辻哲郎の本(岩波文庫)で有名だが、そのほかにこういう本を書いているのは、白洲正子、瀬戸内寂聴、五木寛之などだ。五木のものは、少し読んでみたが、つまらない文が並ぶ。五木寛之の小説を読んできた私としては、五木がこんなにもつまらないことを書くようになったのかと悲しく思ったものだ。

 白洲のこの種の本は(たとえば『近江山河抄』講談社文芸文庫など)、近江などあまり注目されない「古寺」を紹介しているので、なかなか参考になる。とにかく白洲は、訪れたところに関係する文献を読んでいる。渉猟しているといってもよい。白洲の本をあまり読んでいるわけではないが、いろいろ教えられると同時に、示されたところに行ってみたくなる。

 五木のものは、五木が「古寺」に行って、あーだこーだと思ったことをただ書き連ねる。「あーそうだったの!」で、読んでいる方もお終い。発展性がない。

 作家・辻井のものは、五木本に近い。ただし書かれている内容に社会性がある。「あーそーなの?」で終わることは終わるのだが、訪問した「古寺」に新鮮さがある。先ほどの摩訶耶寺とか大福寺、福井県小浜の明通寺、正法寺、羽賀寺、滋賀県長浜市の神照寺、総持寺、高島市の大善寺、岐阜県揖斐郡の華厳寺、横蔵寺など、私が未だ訪問したことのない「古寺」が並ぶ。

 東北地方の「古寺」もある。宮城県の瑞厳寺、福島県河沼郡の惠隆寺、勝常寺、岩手県奥州市の正法寺、黒石寺など。これらの「古寺」は無事であったろうか。

 私は京都にある寺も訪ねるが、近江にある「古寺」の方が好きだ。京都のは、知恩院にしても東本願寺にしても巨大すぎる。巡礼者を睥睨しているかのようだ。しかし近江にある「古寺」は、いずれも視線が柔らかである。威圧感がない。本来仏教というのはそういうものでなければならない。

 先日墓参に行った。私の菩提寺は遠江四十九薬師霊場の一つとなっているため、40人くらいの「善男善女」の方々が参詣に来ていた。お年を召された方々が多かった。長寿や家内安全、無病息災などをお祈りするのだろう。

 日本の仏教というものは、こういうものでなければならない。迷える衆生の傍らにそっと寄り添い、死後の安心を支えるというような。

 仏道に生きる者は、現世で信者から高額なカネを請求してはならぬ。そのような者は、地獄に落ちよ!と言いたい。私の菩提寺は住職がいない。近くの坊主が兼職しているが、その坊主はカネの亡者である。

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もう一度『世界』

2011-04-16 08:01:05 | 日記
 岩波書店の雑誌『世界』は、いつの時代でも、現実の社会を照らし出す灯明のような役割を持っている。今月号の特集“生きよう!”に記されている様々な言説は、現実を分析し、あるべき姿を示そうという姿勢を堅持している。

 高校生の頃からこの『世界』を私は手元に置いているが、現実を分析するために行われる古今東西の知の集積を踏まえた議論は、ただ単に知識をひけらかすという卑小なものではなく、人類が作りあげてきた人間的な「時間と空間」を背景に、学問的な認識をもった、知的でもあり、現実的でもあり、また理想的でもある内容を伴っている。

 今号にも、内橋克人、坂本義和、宮田光雄、伊東光晴、岩田靖夫・・・・らの所論が収められているが、「岩波文化人」ということばが精彩を放っていた頃から、『世界』の論調を牽引してきた方々だ。さすがにその視野の広さは、最近の狭隘な専門の分野から声をあげる者たちとは異なって壮観であり、またそれぞれの分野の学問研究の知見をもとに論ずるだけに、説得力がある。

 中でも伊東光晴氏の「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ(上)」は、今は大震災、原発事故の陰に隠れているが、菅政権が突如として発表した、日本経済をガタガタにし、アメリカ経済に身を捧げようとするTPP(Trance Pacific partnership )参加問題を、根底から批判している。最近の財界(とにかく何でも良いから、他の産業が犠牲になろうとも、儲けよう、儲けようというハゲタカ的な資本主義を信奉する)、マスメディア、政府官僚の近視眼的な、アメリカ追随の姿勢に対して、戦後国際貿易の在り方から、TPP問題をどう考えるべきかを冷静に提示する。

 ついでに紹介しておけば、中野剛志『TPP亡国論』(集英社新書)は、伊東とは異なった観点から、TPP参加に対して警鐘を鳴らしている。良い本だ。

 私たちはこの現実の中で生活を営んでいる。若者の使命は、この現実を直視し、少しでも良い社会をつくりあげていくことである。そのために「学ぶ」のであるが、ただ単に専門的な分野だけやればよいというのではなく、広い視野から考えることをしなければならない。

 『世界』は、そうした若者の視野をひろげてくれるだろうし、学問の根本的な在り方も教えてくれるだろう。『外国語上達法』もよいが、村上春樹もよいが、社会へも目を向けることが、結果的には自らの勉強をよりよいものに変えていく契機になるだろう。


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