浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

故 忌野清志郎も唄う

2011-04-13 21:04:04 | 日記
 忌野清志郎のCD、持ってるよ。死んでしまった。惜しい人だった。


http://www.youtube.com/watch?v=v5Hxt2CsNp8
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考えること

2011-04-13 19:56:23 | 日記
 今日『世界』5月号を購入した。今号は3部に別れている。1部は、「未来の崩壊か、未来の創出か」というものだ。未だ1部しか読んでいないが、いろいろ考えさせられる内容であった。

 私は週刊誌も、買っている。テレビや新聞(新聞は、以前よりはよくなっている)が報じないことを知るためだ。『週刊現代』を購入しているのだが、どちらかというと告発型である。

 だが『世界』(1部を読んでこう書いている)は、沈思黙考型である。3・11の震災を、思想的に捉えようとしている、あるいは精神の深みから考えようとしている。または、過去から未来へと続く長いタイムスパンから捉えようとしている。

 この震災は、確かにそういう視点から考えるべきものだと、ぼくも思う。

 1970年代前半の石油ショック、そして1980年代から導入され始めた新自由主義的な政策が一時期あだ花を咲かせたことがあったが(1980年代後半のバブル)、1990年代初めから続く不況、それから輸出企業を中心とした大企業だけが儲けて、中小企業や国民が格差に沈み込む時代が今に至るまで続く。そして今度の震災だ。

 私は、よくこう考えるのだ。自然災害も階級性がある、と。つまり今度の震災が襲ったところは、経済的に繁栄しているところではなく、どちからというと過疎化されていく地域であった。政策の上で見捨てられる地域であった。原発が立地するところも、そういうところである。原発が来ることで、莫大なカネが電力会社や政府から投入される・・・そのカネが、自治体を一時的に潤し、地域住民の不安を表面的にかき消す、そういうことが原発立地を可能にさせる。

 自然災害が、現世で豊かな生活をしている人びとを襲うことはあまりないのだ。阪神大震災もそういうことがあった。もっとも被害が大きかったのは、神戸市の長田区であった。自然は、無情にも、「貧」に襲いかかるのだ。

 だから今度の震災を契機に、日本の社会のありようを、自分たちの生活を、振り返ろう、というのが『世界』今月号の第一部の趣旨だ。

 ボクは、君たちに、『世界』を読むことをすすめる。800円+悪税(40円)である。これから日本の社会を創造していく若者に読んで、考えてもらいたい。

 大江健三郎、内橋克人、坂本義和、宮田光雄、池内了、岩田靖夫、中野佳裕、木田元、西谷修・・・・・

 様々な人びとが、3・11を根底から考えようとしている。まさに今、ラディカルに考える時なのだ。

 坂本はこう書く。「「地球にやさしく」というスローガンは無意識の人間のおごりであって、人間に対して、生殺与奪の力を持つ「地球がやさしく」してくれる時に、人間は生きていられるのだ」と。

 宮田は、「今回の大震災は、私たちにたいして重大な警告を発しています。これまでのような政治、経済、社会の在り方を根本的に改革し転換しなければならない。それは現代文明そのものの構造変革を問うているのである」と記す。

 岩田も書く、「今回の禍が明らかにしていることは、人間が、このまま、何の反省もなしに、欲望の拡大と利己主義を続ければ、もはや地獄しかないだろう」と。

 そして大江が言うように、原発事故は、ヒロシマ・ナガサキ、第五福竜丸被曝と共通なのだということ、日本人はヒロシマを、ナガサキを、今一度心に刻み込まなければならない。

 
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矛盾

2011-04-13 10:33:47 | 日記
 テレビをつけると、ACジャパンの「公共広告」がきこえてくる。そのなかに「必要がないのに買うのはやめよう」というのがある。

 私は、経済的に豊かではないので、必要ないものは買うことはしない。言われなくとも、そのとおり実践している。おそらくこの「買うのはやめよう」は、買い占めなどをやめようと言っているのだろう。

 あの差別的な「計画停電」が発表され、首都圏に住む私の子どもなどから東京では懐中電灯を買えないから送ってほしいと言われ、ホームセンターに行ったら皆無。家にあったものを送ったが、確かに買い占めはあった。その意味では「必要がないのに買うのはやめよう」は理解できる。

 だが、日頃のCMは、必要なくても買いましょう、と宣伝しているのではないのか。ならばCMはやめたらどうか。



 そしてもうひとつ。「日本の力を信じてる」、「みんなでやれば、大きな力に」と、テレビで何度も繰り返される。

 ACジャパン。その役員には、メディア関係と電力・瓦斯会社がそろい踏み。

http://www.ad-c.or.jp/manage/board.html

 「みんなでやれば・・・」と言うのなら、きちんと情報を出しましょう。正確な情報がだされたとき、はjめて「みんな」はまとまるのだ。

 
 バカ番組が復活している。まさか諸君、見てはいないだろうね。テレビは人間の思考力を麻痺させる、とボクはよく言っていたはずだ。すくなくとも、ゴールデンタイムに流されているバカ番組は見ないようにしよう。 
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情報が信じられない国

2011-04-13 10:16:02 | 日記
 公に流されてくる情報は、信用できない。また本来なら流されなければならない情報が流れてこない。とすると、私たちは様々な方法でより確かな情報を得ようと努力する。そのなかで、虚偽の情報をつかまえてくることもあるかもしれない。しかしこれはある意味でやむを得ないことだ。虚偽の情報は、しかし、いずれは淘汰されていくだろう。

 さて私のうちでは、もう魚は食べられないね、と語る。もちろん、日本海側や外国産のものは大丈夫だろうと思うが、太平洋側のものはどうも口にしたくはない。年齢を重ねているから大丈夫だと言われても、危ないと思われるものを口にすることは、やっぱりしたくはない。
 
 公に流されてくる情報は、「大丈夫」、「安全」、「直ちに・・・」、「健康に影響ない」だけで、しかしその根拠は示されない。マスメディアの報道は、かならず最後に当局者のこういう情報をつける。しかしその当局者の言明の根拠を自前で調査した形跡はない。放射能は垂れ流し、ガセ情報も垂れ流し。

 日本政府が、かくも信用できないところだとは予想していなかった。

 だから、武田邦彦氏の主張に耳を傾ける。

http://takedanet.com/2011/04/53_3dac.html

 確かに、報道からは、ヨウ素やセシウムのことばかりが流される。プルトニウムは一回、そして今日はじめてストロンチウムのことがでた。

 NHKの報道である。「放射性ストロンチウム 初検出」という記事である。

 
 福島第一原子力発電所から30キロ以上離れた場所の土と植物から、骨に蓄積する性質のある放射性ストロンチウムが検出されました。福島第一原発の事故で放射性ストロンチウムが検出されたのは初めてですが、文部科学省は極めて微量で健康に影響はないとしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110413/k10015274191000.html

 だから、今日の「中日春秋」である。

 福島第一原発の危機により、人々の気持ちが原発依存の見直し、つまり「脱原発」に傾いているのは確かだろう。それを「感情論」とみなす政治家もいるようだが、そうだろうか

▼どんな政策であれ、いかなる問題が生じても、不退転で継続するというものはない。問題があれば見直すのが道理だ。その場合、判断基準になるのは、生じた「問題」の大きさ、深刻度だろう

▼福島の原発では、震災から一カ月を過ぎても綱渡りのような冷却と放射能汚染水の処理作業が続き、危機の出口は見えない。最近も一時、電源が失われるなど、強い余震のたびに誰もが肝を冷やす状態だ

▼この、わが国原発政策上に生じた問題は、小さいか。当然、否だ。されば、世論が「脱原発」に傾いたとしても、それは感情論でなく、むしろ論理的というべきだろう

▼蓋(けだ)し、戦争でも企業の活動でも「進む」より「退く」が難しいといわれる。それまでに費やした努力やコストが継続への圧力になり、ふんぎりがつけづらいからだ。だが、撤退や路線見直しの時機を誤って、より大きな失敗に至った例は歴史上いくらでもある

▼政府は昨日、放出された放射性物質の総量に基づき、今回事故の深刻度を、あのチェルノブイリ事故と同じ「レベル7」に引き上げた。これでも、政策見直しの契機となる「問題」としては深刻度が足りないのだろうか。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011041302000013.html
 


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