入学式も終わり、新しい生活を始めただろうと思う。落ち着かない日々が続いているであろうが、そろそろ何を履修するかという科目登録が始まるだろう。
その場合、教科書が提示されることもあるだろう。しかしこれは買わなくても良いし、もちろん新刊で買う必要もない。大学の教員の中には、教員になるためには研究したであろうが、その後は何もせずに大学教員の座にあぐらをかいている者も多い。そういう教員ほど、自分が書いたろくでもない内容の本を教科書として提示する。何せ新刊で売れたら、10%の印税が入るのだから、こんな良いことはない。
毎年、毎年、つまらない自分の本を買わせて自らの収入を増やしているとんでもない教員がかなりたくさんいる。
諸君の周囲にいる上級生諸氏に尋ねて、買う必要があるかどうか聞いた方がよい。大学の授業もただ受けるのではなく、その単位を取得しなければならない。最近は2単位のものが多いだろうが、昔は4単位が普通であった。1科目2~4単位である。単位を取得するためには試験を受けなければならない。レポート提出という形式の試験もあるだろう。その試験に、担当教員の書いたこと、話したことを、そのまま記せば単位をとれるのか、それとも関連書籍を自分自身が読み、自分なりの見解を記した方がよいのか、周辺の上級生諸氏に尋ねることをすすめたい。前者のような教員は、これは学者ではない。
教員が指定した本で買わなければならないものは、古本屋からも買える。アマゾンからも古本を買える。つまらない本にかねをかけるのはやめよう。
今は大学では授業の出欠席を確認するところが多いようだが、私は最初に講義に出て、つまらない講義はでるのをやめた。出欠席をとらなかったからでもある。
大学は、みずから勉強するところなのである。
ところで、たとえば社会科学・人文科学を学ぶ際には、知っておかなければならない語彙がある。たとえば「ゲマインシャフト」、「ゲゼルシャフト」である。これはテンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(岩波文庫)というドイツの社会学者の本に書かれている。政治学や社会学の本を読んでいると、この語彙がでてくる。その本を書いた人は、当然読者は知っているだろうということを前提にして書いているのだ。したがって、今発売されている本を理解するためには、それまでの学問的蓄積を踏まえておかなければならないということになる。
そういう学問的な蓄積となるものを、「古典」という。君たちが学んだ、たとえば日本の平安時代の古文を「古典」というのではない。
古今東西の学者たちが研究し考えたこと、その蓄積の上に今の学問がある。だから、「古典」を読みなさい。たとえば政治学や法学を学ぶなら、イェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫)は必読文献である。
みられるように、「古典」は岩波文庫がもっとも多い。白帯、青帯など、分野によって帯の色が異なる。岩波文庫をよむことによって基礎的な教養をみにつけることができる。
4月、遊びやアルバイトの中でスタートするのか、それとも「学ぶ」ことでスタートするのか。もちろん後者であって欲しい。
その場合、教科書が提示されることもあるだろう。しかしこれは買わなくても良いし、もちろん新刊で買う必要もない。大学の教員の中には、教員になるためには研究したであろうが、その後は何もせずに大学教員の座にあぐらをかいている者も多い。そういう教員ほど、自分が書いたろくでもない内容の本を教科書として提示する。何せ新刊で売れたら、10%の印税が入るのだから、こんな良いことはない。
毎年、毎年、つまらない自分の本を買わせて自らの収入を増やしているとんでもない教員がかなりたくさんいる。
諸君の周囲にいる上級生諸氏に尋ねて、買う必要があるかどうか聞いた方がよい。大学の授業もただ受けるのではなく、その単位を取得しなければならない。最近は2単位のものが多いだろうが、昔は4単位が普通であった。1科目2~4単位である。単位を取得するためには試験を受けなければならない。レポート提出という形式の試験もあるだろう。その試験に、担当教員の書いたこと、話したことを、そのまま記せば単位をとれるのか、それとも関連書籍を自分自身が読み、自分なりの見解を記した方がよいのか、周辺の上級生諸氏に尋ねることをすすめたい。前者のような教員は、これは学者ではない。
教員が指定した本で買わなければならないものは、古本屋からも買える。アマゾンからも古本を買える。つまらない本にかねをかけるのはやめよう。
今は大学では授業の出欠席を確認するところが多いようだが、私は最初に講義に出て、つまらない講義はでるのをやめた。出欠席をとらなかったからでもある。
大学は、みずから勉強するところなのである。
ところで、たとえば社会科学・人文科学を学ぶ際には、知っておかなければならない語彙がある。たとえば「ゲマインシャフト」、「ゲゼルシャフト」である。これはテンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(岩波文庫)というドイツの社会学者の本に書かれている。政治学や社会学の本を読んでいると、この語彙がでてくる。その本を書いた人は、当然読者は知っているだろうということを前提にして書いているのだ。したがって、今発売されている本を理解するためには、それまでの学問的蓄積を踏まえておかなければならないということになる。
そういう学問的な蓄積となるものを、「古典」という。君たちが学んだ、たとえば日本の平安時代の古文を「古典」というのではない。
古今東西の学者たちが研究し考えたこと、その蓄積の上に今の学問がある。だから、「古典」を読みなさい。たとえば政治学や法学を学ぶなら、イェーリング『権利のための闘争』(岩波文庫)は必読文献である。
みられるように、「古典」は岩波文庫がもっとも多い。白帯、青帯など、分野によって帯の色が異なる。岩波文庫をよむことによって基礎的な教養をみにつけることができる。
4月、遊びやアルバイトの中でスタートするのか、それとも「学ぶ」ことでスタートするのか。もちろん後者であって欲しい。