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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本政府は公表しないが・・・

2011-04-12 23:32:29 | 日記
 フランス政府は、日本に住むフランス人に何を食べてはいけないかなど、注意書きを公表している。日本政府が示さないから、僕らはフランスの資料をみる。

http://www.irsn.fr/EN/news/Documents/IRSN_Information-note-for-french-citizens-in-japan_N2-08042011.pdf
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この意見に賛成である

2011-04-12 21:08:23 | 日記
 書いているのは水島朝穂氏。早稲田大学の憲法学担当。私の後輩でもある。


http://www.asaho.com/jpn/index.html
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読書について

2011-04-12 15:53:07 | 日記
読書にまつわるあれこれ

思春期に入りかけた青年のなかには、「生きる」ことについての懐疑を抱く者がいる。私もその一人であった。私はなぜ生きるのかを問うべく、いろいろな本を読んだ。三木清『人生論ノート』など。しかし読めば読むほど自らがこの世に生存していることについての疑問は大きくなるばかりであった。
 そのような疑問を持ちつつ、現在某大学の教授になっているM君とは、様々な文学作品について論じあった。ほとんどは海外文学であった。ヘッセ、カフカ、カミユ、ロマン・ロラン、ヘミングウェイ、ツルゲーネフ・・・・。私はそのなかで、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』から特に影響を受けた。苦悩しながらも理想に向けて生きていく主人公の姿は、私を大いに力づけてくれた。
 生きるということを考えるとき、海外文学は様々な示唆を与えてくれる。海外文学に私の関心を向けてくれたM君には、今も感謝している。

ところで当時激しく戦われていたベトナム戦争(1965~73)は、形成期の私の思想に大きな影響を及ぼした。この頃の新聞や雑誌には、米軍の侵略により甚大な被害を受けたベトナム民衆の姿が映し出されていた。米軍の圧倒的な武力は、ベトナムを破壊し、「ジェノサイド」(民族皆殺し)を企図しているようであった。私はこれは捨てておけないと思った。私と同様の想いを持った人々と共に、校内に社会科学研究会(社研)という自主的サークルを結成した。ベトナム戦争反対を呼びかけると共に、様々な本を読んだ。特に社会科学系の本、たとえばマルクス、エンゲルス、レーニンなどの著作を熱心に読み、討論した。これらの本は、大学入学後、社会科学研究の方法論として大いに役に立った。この頃、マルクス主義を通過しない学問研究は成り立ち得なかった。

大学に入って熱心に読んだ本は、ドストエフスキーである。高校時代の国語のT先生は、教科書を一切無視していろいろなことを話された。なかでも、ドストエフスキーの作品についての熱のこもった話は圧倒的であった。私は大学 1年生の夏休み、帰省もしないでひたすらドストエフスキーを読み続け、誰とも話さない日々が続いたことを憶えている。ドストエフスキーの全作品を読んだ経験は、今も私の精神のどこかに生き続けていると思う。

私は法学部に入学し、法律の勉強を始めた。もちろん憲法も学んだ。憲法の大原則の一つに平和主義がある。しかし平和主義がありながら、自衛隊が存在し、米軍が沖縄をはじめ全国各地に駐留している。憲法の平和主義とは、もちろん矛盾する。だがその存在を、法理論的に理屈をつけて正当化する「理論」もある。私にはあまりに無謀な「理論」であると思われた。法の有効性に疑問を抱いた私は、憲法をはじめとした法があっても、その執行は当該社会の力関係(たとえば平和主義を守ろうとする勢力とそうでない勢力)で決まっているのではないかと思った。憲法の教授とこの点で論争をしたことがあるが、私は力関係を歴史的に明らかにするために、特に日本近代史の勉強を始めた。そのなかで、法律よりも歴史を勉強すべきではないかと思い、日本史ゼミというサークルを文学部の連中と組織し、学外では東京歴史科学研究会へも顔を出すようになった。

但しこの頃の法学部はなかなか厳しく、民法や刑法、刑事訴訟法などの基礎法については徹底的に学ばされ、さらにゼミでは労働法をとったりしたので、法律の勉強も並行してやらざるを得なかった。

そうこうしているうちに 4年となった。ほとんど 1年間で教職課程の単位を取り(同じ時間帯で3つの講座をとったりした。今では考えられない!)、静岡県の教員採用試験を受け教員になった。

教員となってからの読書というと、やはり歴史研究に関わる本が多い。静岡大学の教員が中心となって静岡県近代史研究会が組織され、発足時から会員となった。当初米騒動や「満州移民」の研究をしたりしていたが、そのうち静岡県史編纂事業が始まりその一員となった。県内各地、あるいは東京、京都などで、泊まり込んでの調査活動を行った。近代史研究会や編纂事業のなかで、第一線の研究者たちと身近で接することができ、彼らからほんとうにたくさんのことを学んだ(人から学ぶことを軽視してはならない!)。静岡県史では、被差別の歴史、在日朝鮮人の歴史などを担当した。「差別」の問題に開眼したのもこれが契機であった。

 またこの頃県内各地の地方自治体が歴史編纂事業を始めた。私も、豊岡村(現在磐田市)や浅羽町(現在袋井市)、磐田市などをお手伝いした。編纂の方法はどこでも同じである。当該地域内や各地の研究機関などから資史料を集め、それをもとに歴史を叙述していくのだ。
だが収集された史料は自らは何も語らない。その史料に命を吹きかけて語らせるのは、その史料をつかって歴史を叙述する私なのである。例えば豊岡村では、大正期の天竜川製糸株式会社の史料がたくさん発見された。その史料群を読み解くためには、製糸業に関わる技術、経営など多方面の知識が必要となる。関係する文献を出来る限り集めて読み、そこで得られた知識を基盤として、ひとつひとつの史料を位置づけていくのである。
それぞれの史料はきわめて個別的なものであるが、それが位置づけられていくなかで、普遍的な歴史の一部となっていくのである。私たちの仕事は、眠っていた史料を普遍性の光で蘇らせることであるともいえよう。今まで遭遇した史料群としては、徴兵(豊岡村)、農山漁村経済更生運動と「満州移民」(中川根町)、南京事件(浅羽町)、電源開発(本川根町)などがある。

 こうした歴史の調査では、どのような史料がでてくるかわからない。どのようなものであろうとも、その史料群を読み解くために、たくさんの文献を収集し読んでいく。一つの分野で一冊というわけにはいかない。学問にはいろいろな学説があるから、複数の学説を踏まえるためには何冊か読む必要がある。こうして本の山が築かれていく。歴史研究に従事している人々は、ほとんどが本の山に囲まれているといってよいだろう。

読書に関わることを脈絡なく書いてきたが、さてこれからは、ということも記しておこう。今まで読まれずに、書庫の奥でひっそりと出番を待っている本がある。(石川)啄木全集やチェーホフ全集である。ある時期無性に読みたくなって購入したものであるが、読む時間がなかった。じっくりと読んでいこうと思う。またもちろん歴史研究は続けていくので、これからも本は増えていく。

 本は、私の人生の傍らにいつもあり続けたし、生きている限り今後もあり続けるだろう。
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これは必読!!

2011-04-12 10:06:42 | 日記
 「世界は東電と日本政府に疑惑を感じ始めている、本当のことを説明していないとの疑惑を」というブログの記事は、まさにその通りである。

 是非読んで欲しい。


http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/59ec5c9b1f3af910ff069be848bcefba
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福島原発事故は、チェルノブイリ原発事故クラスだ!

2011-04-12 10:01:32 | 日記
 こういう記事が出された。日本政府、東電、マスコミなどが一緒になって、できうる限り事故を小さいものと描き出そうとしてきたが、国際機関からこのように否定された。放出された放射性物質の量は、半端ではないのだ。


最大で1時間1万テラベクレル 国際尺度、最悪の7も

 

 福島第1原発の事故で、原子力安全委員会は11日、原発からは最大で1時間当たり1万テラベクレル(テラベクレルは1兆ベクレル)の放射性物質が放出されていたとの試算を明らかにした。

 政府はこれを受け、原発事故の深刻度を示す「国際評価尺度(INES)」で最も深刻な、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故に並ぶ「レベル7」とする方向で検討に入った。

 INESの評価によると、放射性のヨウ素131換算で外部への放射性物質の放出量が数万テラベクレル以上である場合は、レベル7であるとしている。

 原子力安全委の班目春樹委員長は、1時間当たり1万テラベクレルの放出が「数時間」続いたとの推計を明らかにした。

 1時間当たり1万テラベクレルの放出が数時間続けば、レベル7に当たることになる。現在は同1テラベクレル以下になったとみられるとしており、安全委は、放射性物質の総放出量については「検討している」とするにとどめた。

 政府は暫定的に「レベル5」としている現在の評価を見直し、レベル7に格上げすることの検討を始めた。



http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011041101001184.html
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魯迅

2011-04-12 09:01:17 | 日記
 卒業時、何か書いて欲しいと頼まれると、私は躊躇せずこう記す。

 道のない道、行ったり来たり、何度も歩けば道になる。

 実はこれは中国の作家、魯迅のことばを意訳したものだ。藤井省三訳の『故郷』ではこうなる。

  僕は考えたー希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。(光文社古典文庫)

 つまり、希望について僕は書いていたのである。

 さて、岩波新書の最新刊『魯迅』を読み終えた。藤井省三氏が書いたものだ。これはすばらしい本だ。知的刺激に満ちあふれている。知らなかったことを教えてくれ、今まで気づかなかったことを気づかせてくれる、あるいはあたらしいことを考えるきっかけを与えてくれる。

 藤井氏の本は、以前藤井氏らが訳した『中国の地の底で』(原作は鄭 義)を読んではじめて藤井氏のことを知った。その後もいくつかの本を読んでいるが、このたびの『魯迅』は多くの人にすすめたい本である。


 魯迅は、教科書にも載るほどの有名作家であるから、知らない人はいないだろうが、『阿Q正伝』、『吶喊』など、中国を代表する作家である。中国語を選択した人は、魯迅を必ず読んでおく必要がある。いや若者は、魯迅を必ず通過しなければならない。

 さてこの本は、魯迅という作家が何を書こうとしたのか、それが時代背景と共に描かれ、さらに東アジア諸地域で魯迅がどう読まれてきたのか、さらには村上春樹の小説の中にどのように魯迅が入り込んでいるのかなど、古今東西の魯迅にまつわる話(研究)をコンパクトにまとめたものだ。

 私は、朝鮮半島の歴史に多大な興味関心を抱いているが、韓国では魯迅は「民主化運動を闘う人びとの心の支えであり、論理的支柱でもあった」、「植民地時代に始まる「魯迅読み」の伝統が、現在も脈々と続いている」という記述に心を動かされた。

 私も若い頃から魯迅に親しみ、その頃は竹内好の翻訳が主流であったから、竹内訳の『魯迅文集』は全巻読んでいる。

 魯迅の「阿Q正伝」は、「草の根の民衆が変わらぬ限り革命はあり得ないとする国家論を語った」(234ページ)と藤井氏が記すように、中国で近代国家を建設するプロセスにおける中国の民衆について洞察し、それを小説というかたちにしたものだ。

 また私は村上春樹が書いたものを何冊か読んだことはあるが、実はあまり好きではない。どうも深さが感じられない。人間とか社会などの「表面」を軽くさらさらと描いているとしか思えなかったからだ。しかし村上の背後に魯迅がいるという指摘を読み、これはもう一度村上を読んでみようかと思った。

 この本の帯に「現代中国は魯迅文学を抜きには語れない!」とある。言うまでもなく、東アジアの近現代史にとっても、さらに今においてさえ、「魯迅文学抜きには語れない」という状況がある。

 なお、末尾に中国の若手作家の韓寒のブログにまつわるエピソードが記されている。そこには魯迅が今も健在であること、魯迅から学ぶもの、魯迅を読んで考えなければならないことが明確に示されている。

 最近の本の値段は高くなっている。しかしこれはという本にぶち当たるとき、線を引き、書き込みをするためには、本は買わなければならない。そういう本をみつけることができるようになったら本物である。

 この本は、そういう本であり、またそこから魯迅の作品を読もう、村上春樹を読み直そう・・・そういう発展性がある本だ。

 希望は、こういうような本にたくさん出会い、それを糧にしてつくり出されるものだ。




 
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