読書にまつわるあれこれ
思春期に入りかけた青年のなかには、「生きる」ことについての懐疑を抱く者がいる。私もその一人であった。私はなぜ生きるのかを問うべく、いろいろな本を読んだ。三木清『人生論ノート』など。しかし読めば読むほど自らがこの世に生存していることについての疑問は大きくなるばかりであった。
そのような疑問を持ちつつ、現在某大学の教授になっているM君とは、様々な文学作品について論じあった。ほとんどは海外文学であった。ヘッセ、カフカ、カミユ、ロマン・ロラン、ヘミングウェイ、ツルゲーネフ・・・・。私はそのなかで、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』から特に影響を受けた。苦悩しながらも理想に向けて生きていく主人公の姿は、私を大いに力づけてくれた。
生きるということを考えるとき、海外文学は様々な示唆を与えてくれる。海外文学に私の関心を向けてくれたM君には、今も感謝している。
ところで当時激しく戦われていたベトナム戦争(1965~73)は、形成期の私の思想に大きな影響を及ぼした。この頃の新聞や雑誌には、米軍の侵略により甚大な被害を受けたベトナム民衆の姿が映し出されていた。米軍の圧倒的な武力は、ベトナムを破壊し、「ジェノサイド」(民族皆殺し)を企図しているようであった。私はこれは捨てておけないと思った。私と同様の想いを持った人々と共に、校内に社会科学研究会(社研)という自主的サークルを結成した。ベトナム戦争反対を呼びかけると共に、様々な本を読んだ。特に社会科学系の本、たとえばマルクス、エンゲルス、レーニンなどの著作を熱心に読み、討論した。これらの本は、大学入学後、社会科学研究の方法論として大いに役に立った。この頃、マルクス主義を通過しない学問研究は成り立ち得なかった。
大学に入って熱心に読んだ本は、ドストエフスキーである。高校時代の国語のT先生は、教科書を一切無視していろいろなことを話された。なかでも、ドストエフスキーの作品についての熱のこもった話は圧倒的であった。私は大学 1年生の夏休み、帰省もしないでひたすらドストエフスキーを読み続け、誰とも話さない日々が続いたことを憶えている。ドストエフスキーの全作品を読んだ経験は、今も私の精神のどこかに生き続けていると思う。
私は法学部に入学し、法律の勉強を始めた。もちろん憲法も学んだ。憲法の大原則の一つに平和主義がある。しかし平和主義がありながら、自衛隊が存在し、米軍が沖縄をはじめ全国各地に駐留している。憲法の平和主義とは、もちろん矛盾する。だがその存在を、法理論的に理屈をつけて正当化する「理論」もある。私にはあまりに無謀な「理論」であると思われた。法の有効性に疑問を抱いた私は、憲法をはじめとした法があっても、その執行は当該社会の力関係(たとえば平和主義を守ろうとする勢力とそうでない勢力)で決まっているのではないかと思った。憲法の教授とこの点で論争をしたことがあるが、私は力関係を歴史的に明らかにするために、特に日本近代史の勉強を始めた。そのなかで、法律よりも歴史を勉強すべきではないかと思い、日本史ゼミというサークルを文学部の連中と組織し、学外では東京歴史科学研究会へも顔を出すようになった。
但しこの頃の法学部はなかなか厳しく、民法や刑法、刑事訴訟法などの基礎法については徹底的に学ばされ、さらにゼミでは労働法をとったりしたので、法律の勉強も並行してやらざるを得なかった。
そうこうしているうちに 4年となった。ほとんど 1年間で教職課程の単位を取り(同じ時間帯で3つの講座をとったりした。今では考えられない!)、静岡県の教員採用試験を受け教員になった。
教員となってからの読書というと、やはり歴史研究に関わる本が多い。静岡大学の教員が中心となって静岡県近代史研究会が組織され、発足時から会員となった。当初米騒動や「満州移民」の研究をしたりしていたが、そのうち静岡県史編纂事業が始まりその一員となった。県内各地、あるいは東京、京都などで、泊まり込んでの調査活動を行った。近代史研究会や編纂事業のなかで、第一線の研究者たちと身近で接することができ、彼らからほんとうにたくさんのことを学んだ(人から学ぶことを軽視してはならない!)。静岡県史では、被差別の歴史、在日朝鮮人の歴史などを担当した。「差別」の問題に開眼したのもこれが契機であった。
またこの頃県内各地の地方自治体が歴史編纂事業を始めた。私も、豊岡村(現在磐田市)や浅羽町(現在袋井市)、磐田市などをお手伝いした。編纂の方法はどこでも同じである。当該地域内や各地の研究機関などから資史料を集め、それをもとに歴史を叙述していくのだ。
だが収集された史料は自らは何も語らない。その史料に命を吹きかけて語らせるのは、その史料をつかって歴史を叙述する私なのである。例えば豊岡村では、大正期の天竜川製糸株式会社の史料がたくさん発見された。その史料群を読み解くためには、製糸業に関わる技術、経営など多方面の知識が必要となる。関係する文献を出来る限り集めて読み、そこで得られた知識を基盤として、ひとつひとつの史料を位置づけていくのである。
それぞれの史料はきわめて個別的なものであるが、それが位置づけられていくなかで、普遍的な歴史の一部となっていくのである。私たちの仕事は、眠っていた史料を普遍性の光で蘇らせることであるともいえよう。今まで遭遇した史料群としては、徴兵(豊岡村)、農山漁村経済更生運動と「満州移民」(中川根町)、南京事件(浅羽町)、電源開発(本川根町)などがある。
こうした歴史の調査では、どのような史料がでてくるかわからない。どのようなものであろうとも、その史料群を読み解くために、たくさんの文献を収集し読んでいく。一つの分野で一冊というわけにはいかない。学問にはいろいろな学説があるから、複数の学説を踏まえるためには何冊か読む必要がある。こうして本の山が築かれていく。歴史研究に従事している人々は、ほとんどが本の山に囲まれているといってよいだろう。
読書に関わることを脈絡なく書いてきたが、さてこれからは、ということも記しておこう。今まで読まれずに、書庫の奥でひっそりと出番を待っている本がある。(石川)啄木全集やチェーホフ全集である。ある時期無性に読みたくなって購入したものであるが、読む時間がなかった。じっくりと読んでいこうと思う。またもちろん歴史研究は続けていくので、これからも本は増えていく。
本は、私の人生の傍らにいつもあり続けたし、生きている限り今後もあり続けるだろう。