『差別の日本近現代史』という本が、岩波書店から発売された。買うべき本か迷っていた。とりあえず図書館から借りた。しかし、これは買わなくてもいいな、と思った。
書いているのは、藤野豊氏と黒川みどり氏。藤野氏の研究については、静岡県史などで被差別部落史を担当したときに、大いに参考にさせていただいた。たとえば『同和政策の歴史』(解放出版社)など。黒川氏の著書については、『近代部落史』(平凡社新書)を購入しているが未読である。
藤野氏の著作に関しては、最近ボクはハンセン病について関心を持っている関係で、それに関する著書を購入してある。それらはきちんとした研究で信頼ができる。『同和政策の歴史』や『厚生省の誕生』(かもがわ出版)など、それぞれの分野での基本的文献の位置を占めると思う。
さて『差別の日本近現代史』であるが、「包摂と排除のはざまで」とあるように、近現代日本の「差別」の、あらゆる事象をとりあげている。あらゆる事象を取り上げているが故に、それぞれの事象については簡単にしか触れられない。それは止む得ないことだ。
しかし、かくも様々な事象を、たかだか270頁ほどの分量に書き込んでしまうというのは、ある意味で冒険と言えないだろうか。
最初、そして途中を読んでいて、ボクは立ち止まらないのだ。あたかも急流に呑まれているかのように流されてしまい、脳の中に留まるものがない。線を引いたり、書き込みをしようとも思わない。
成田龍一氏の『大正デモクラシー』(岩波新書)を読んだときの感覚と同じだ。書かれるべきものは書かれているのだが、しかし書いてあるだけ。書かれている内容が、読む者の心を摑まないのだ。
成田の本も、そして『差別の日本近現代史』も、大量の文献を駆使して叙述している。文献案内という側面からみれば有用ではあろうが、新たな論点や理論的な面を期待しているとそれは外れる。
だが、やはりこういう通史的なものであっても、新たな論点や今までの研究になかった新たな視角からの検討が入り込んでいないと、読んでいて面白くない。
以上である。