浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

高齢者事故とプリウス

2019-06-07 21:40:44 | その他
 リテラにアクセスしたら、こういう記事が載っていた。

「相次ぐ高齢者ドライバー暴走事故はプリウスのせい」説は本当か? トヨタタブーで検証放棄するマスコミの体たらく

 私が使っているのもプリウスである。いわゆる3代目であるが、その前は初代プリウスに乗っていた。今のところ事故を起こしたことはない。しかし最近の高齢者の事故では、プリウスが多いということなので心配ではある。

 プリウスに問題があるというとき、Bレンジをバックギア(R)と間違えてしまうのではという意見があるが、それはないと思う。私はBレンジをつかったことがないし、操作する時にはギア自身を見ない。モニターだけを見る。またPレンジが別のボタンになっているからという意見もあるが、慣れてしまうとまったく違和感なく使っている。

 プリウスに構造的な欠陥があるのなら、早期に対応して欲しいとは思うが、事故はやはりアクセルとブレーキの踏み間違いが原因だろう。
 一昨年の11月だったか、わが家に飛び込んだ車は、トヨタのヴィッツであった。運転者の弁明は、アクセルとブレーキの踏み間違いということであった。しかし、私自身はなぜ踏み間違えるのか想像できない。

 歳を重ねていけば踏み間違いもあり得るから、今度はMT車にしようと思う。私は、ずっと好んでMT車に乗っていたが、左足を捻挫した時、クラッチペダルを踏むことに苦労した。クラッチペダルはなかなか重いのである。その経験からAT車にしたのだが、MT車の方が暴走を防ぐことが出来るというのなら、そうするしかないだろう。
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『東京新聞』を読む意味

2019-06-07 19:50:50 | メディア
 わが家の近くに『中日新聞』東海本社がある。東海本社版は、ほとんどが地域ネタで埋まっている。したがって読むところはなく、眺めるだけで終わってしまう。以前もこのブログに書いたが、地域ネタの面が6面ほどあり、時には第一面や社会面にも地域ネタが出される。地域ネタのほとんどは、読む価値はない。知らなくてもよいことばかりが並んでいるから、これではカネを払って購読する価値はない。

 同じ中日新聞でも、東京本社が発行する『東京新聞』にかえたら、新聞を読む時間がぐんと増えた。「特報」欄はいつも読み応えがあり、またその中の「本音のコラム」がよい。とはいっても、佐藤優や山口二郎はほとんど読まない。斎藤実奈子は必ず読む。また最近書き始めた三木義一のコラムはとても面白い。知性とユーモア、そして批判精神にあふれた文には、いつも感銘を受けている。昨日は「減税すれば税収増える」という題だが、もちろん三木はそれを肯定しているわけではない。税率を引き下げると富裕層が金をつかうから、回り回って庶民にも金が落ちるようになり庶民も豊かになるというデマをもとに税制改革をしたのがレーガン大統領の時代、「累進課税制度をフラット化し、税率を引き下げ」た。「その政権の中枢を担ったのが、アーサー・ラッファー博士」だと、三木は記す。しかし私は、この名をはじめて見た。新自由主義のイデオローグとしてはフリードマン、この人の本は何冊か読んだことがあるが、アーサー・ラッファー博士は知らなかった。この博士が、「トランプ政権でも中枢を担って」いるのだそうだ。レーガン税制改革は失敗し、格差が拡大したことは、アメリカだけではなく、同じような政策を進めた日本その他でも実証済みである。

 こういう記事がある。

トランプ大統領「自由勲章」をラッファー博士に。減税を訴える経済学者の主張とは?

 ラッファー曲線は、確かに聞いたことがあった。今では、ラッファー曲線は「ラッファブルlaughable」と笑われているらしい。

 三木のコラムの末尾は、ラッファブルと言いつつ、「怖い」である。

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まじめであること

2019-06-07 13:40:11 | 
 『Journalism』6月号が届いた。特集は「なにを信じるか」である。各論者は、そのテーマを前にしてまじめに考え、まじめに書いている。

 しかしそのなかにひとり、なにを書いているのか不明な文を載せているふまじめな論者がいる。いかなるテーマでも同じことしか書かない人、栗原康である。いちおう読んでみたが、「なにを信じるか」というテーマに対して、彼は「自由だ、自由だ、自由だ。相互扶助をぶっぱなせ!」と書いている。メディア誌から「なにを信じるか」というテーマで文書依頼が来た、栗原はその回答として「相互扶助」なのである。国会での安倍首相の答弁と同じ、質問をきちんと捉えずに勝手なことを回答する。栗原は安倍首相と同類である。
 栗原の主張は、すべて同じである。大杉栄を論じても、伊藤野枝を論じても、おそらく一遍上人を論じても、すべて同じような、それも栗原自身に似せた人物として描いてしまう。

 私は、こういうふまじめな論者が大嫌いである。他の論者、辻田真佐憲、東照二、武田砂鉄、渡邉久哲らがまじめに応答しているのに、栗原だけがフザケテイル!他の筆者や読者に対して失礼ではないか、と思う。

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