浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

必読

2019-06-25 22:12:41 | 社会
日本の右派が、「言葉を誤用・流用」することの恐ろしさ
「メディア・リテラシー」の右旋回
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テレビ批判

2019-06-25 21:58:14 | メディア
 リテラの執拗なテレビ批判には感心する。私はもうすでにかなり前から、テレビ性悪説をとっているから、テレビがどんな放送をしようと神経が逆なでされることはない。またテレビが、政権の広報機関としての実態を露わにしたようだ。

 安倍首相が読売テレビ・辛坊治郎の番組で野党を批判、参院選で自民党を選ぶようアピール! 明らかな事前運動、放送法違反だ

 安倍政権は、すでにほとんどのテレビ局を傘下においている。そういうものとして、テレビを見ることが必要だ。またそういうものであることを、人びとに伝えていくことが重要である。
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夢二と関わった人びと

2019-06-25 21:07:34 | その他
 夢二と関わった人びとについて話さなければならないので、いろいろな本を読んでいる。
 そのなかでゾルゲ事件の渦中で死亡した宮城与徳について調べている。今読んでいる本は、野本一平『宮城与徳』(沖縄タイムス社)である。
 夢二はアメリカ滞在中、画家のひとりでもあり、社会主義的な思考をもっていた宮城と会っているからだ。

 宮城は沖縄出身である。1919年、16歳のとき、移民としてアメリカに行っていた父に呼ばれて訪米。美術学校に通ったりしながら生活していた。在米日本人との交流の中、政治・社会的な意識をもった「黎明会」などのメンバーとして活動していた。そして1931年にはアメリカ共産党に入党する。そして1933年、ロイこと野坂参三らが宮城に日本へ行くことを指示する。1933年秋のことだ。

 この宮城の日本への渡航を指示したことを、野坂はずっと隠し続けた。野坂は自伝である『風雪の歩み』で、訪米したのは1934年3月だとしているが、いろいろな資料から、野坂はすでに1933年7月には在米していたことが判明している。野坂は、ゾルゲ事件には関わっていなかったとしたかったようだ。

 周知のように、野坂は1992年、日本共産党を除名されている。

 ソ連において、野坂は同志であった山本懸蔵らを売り渡したということが知られているが、それだけではなく、私は、彼は日本の国家権力のスパイでもあったと思っている。また戦後の日本共産党を「指導」してきた宮本顕治も、である。

 凡庸な人間は、地位・名誉・財産を求める。そのためには、悪事も働くのだ。日本共産党という反体制的な政党であっても、内部は地位や名誉を求める者たちが蠢いている。野坂も、宮本も、そういう人物であったと思う。
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