窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

旧開智学校

2009年10月22日 | 史跡めぐり


 恐らく皆さんも歴史の教科書などでご存知だと思いますが、明治5年(1872年)に学制が発布され、直後の明治6年(1873年)に建てられた旧開智学校は、松本城の北すぐ近くにあります。文明開化時に建てられた小学校の面影を現在に伝える、貴重な史料です。

 

 旧開智学校は昭和38年(1963年)まで実際に使われていましたが、現在は別に開智小学校というのがあります。校舎が少し旧開智学校を意識したつくりになっていますね。

 旧開智学校はその開智小学校の校庭の裏に資料館として保存されています。



 旧開智学校(以下、開智学校)は、地元の大工棟梁、立石清重によって建てられました。立石は松本に文明開化の雰囲気を伝えるため、東京の開成学校(現東京大学)などを参考に、ステンドグラスなどを多用した洋館風の小学校を考案しました。



「洋館風」といったのは、一見純西洋風に見える建物ですが、随所に伝統的な日本式の彫刻や和瓦などが使われているためで、実際には和洋折衷の建物になっているためです。これは開智学校の大きな特徴です。

 単に西洋を模倣するのではなく、伝統的文化も織り交ぜて設計したところは立石の優れたバランス感覚と言えますが、一方でこの当時は「廃仏毀釈」などに代表されるように、西洋文化に憧れ伝統文化を軽んじるあまり多くの貴重な伝統的建築物が失われた時期であったということも見逃せません。事実、かの松本城も危うく廃城と化すところだったのです。



さて開智学校の内部ですが、先ほども申し上げたように昔の教室の雰囲気や実際に使われていた教科書などを伝える資料館となっています。教室の机には習字に使われた小さな石板もあり、実際にチョークで字を書いたりもできます。

 石板というとモンゴメリの「赤毛のアン」でアンがギルバート・ブライスの頭を石板で叩くという有名な場面を思い出します。



 机は上蓋のようになっていて、開けると教科書などが入れられるようになっています。

 

 2階の講堂の様子(写真左)。写真右は石炭ストーブです。ストーブの上に昭和二年に尋常二年の鬼頭君という男の子が書いた「私はストーブです」という作文が展示してあるのですが、とても可愛らしい文章で思わず笑ってしまいました。



 明治天皇御座所。明治天皇が行幸された際、休憩室となった部屋です。その日は運悪く雨模様で、体操が中止になったと史料に書かれています。

 その他、「開智学校生徒心得」、つまり当時の校則が掲示されていましたが読んでみるとなかなか面白く、今も昔も子供は変わらないなと思わされます。この生徒心得はお土産品として200円で購入することができます。機会があれば改めてご紹介したいと思います。



 最後に。お昼もかなり過ぎてしまい、せっかく信州ですから蕎麦を食べて帰ることにしました。写真は「何だ、撮るな!」みたいな顔をしていますが、お願いして撮ってもらったのです。



 のれんにうでおし。

 繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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