つづきです>
まずはジャイ・ポール(勝利の門)。砦の入口にあたり、1806年、マン・シン王が戦の勝利を記念して築きました。ここからいくつもの門を通り、砦の奥へと進みます(インドでは戦象が使われたため、城門は巨大なものです)。
大砲の弾痕が残る城壁。
ローハー・ポール(鉄の門)。ここには多くの手形の浮き彫りが見られます。これらは王の死後殉死した妃の数を表しています。ヒンドゥー社会には、サティー(「貞淑な女性」という意味)と呼ばれる、未亡人が夫の亡骸と共に焼身自殺する慣行があったそうです。
ジャーンキー・マハル。妃たちの居住区で、ヒンドゥー建築の精緻を極めた透かし彫りの窓が見事です。
写真左は王妃が用いた、象に乗るための輿。写真右は王の輿です。これをわずか4人から6人で担いだそうです。本当でしょうか?
シンガル・チョウク。この中庭には、歴代の王が戴冠式に用いた大理石の玉座があります。
タハット・マハル。こちらも精緻を極めた彫刻の施された宮殿。妃だけで30人、妾に至っては数十人いたとされるタハット・シン王(在位1843年~1873年)が好んだという宮殿です。
フール・マハル(花の宮殿)。1730年から1750年にかけて築かれた、メヘラーンガル城砦で最も豪華な宮殿。
稜堡に据えられた大砲。
モティ・マハル(真珠の宮殿)。1581年から1595年にかけて築かれた、王の私的謁見の間。天井は金箔と小さな鏡で装飾され、漆喰には貝の粉を混ぜて光沢を出しています。このような砂漠の真ん中の砦で贅沢な限りです。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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