京都東山の麓にある六道珍皇寺は、9世紀半ば頃に開かれたとされるお寺です。入口には「六道の辻」と彫られた石碑が建っていますが、それはここが仏教で衆生(しゅうじょう:生きとし生けるもの)が死後に赴くとされる6つの世界「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界」、即ち六道(りくどう)の入口であるとされたためです。
その理由ですが、一説には、六道珍皇寺の前を通る道は平安時代の昔、風葬のために亡骸を運ぶ鳥辺野へと通じる道だったことから、ここが生の世界と死の世界の分かれ道を信じられたというものがあります。
また、もう一説には平安時代初期の貴族、小野篁(802年~853年)。彼は百人一首に詠まれている「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌で知られていますが、何と地獄の閻魔大王に仕えていると信じられていたのです。その篁が地獄に通うために夜な夜な使っていた井戸というのが、ここ六道珍皇寺の庭の井戸ということのようです。上の写真右側にその井戸があります(最初写真を撮ったとき、異常にぶれていました)。
したがって、お寺の閻魔堂には、閻魔大王像の隣に、弘法大師像、そしてその隣に小野篁像が安置されています。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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