こちらは釜山広域市機張邑竹城里山にある城で、文禄の役の際、黒田長政が築いたと言われています。
昨日ご紹介した西生浦倭城と比べると、城というより小規模な砦と言った方が良いかもしれません(上の図をクリックすると拡大します)。竹城里倭城、豆毛浦倭城とも呼ばれています。
しかし、正面に見下ろす入り江を始め、四方を見渡せる小高い丘の頂上(海抜64m)に築かれており、ここが要地であることは一目で分かります。城の総面積は8,595㎡(2,600坪)、石垣の周囲960m、現存する石垣の高さは4m~5mほどです。本丸を含む6つの曲輪に囲まれた輪郭式の縄張り。東側と西側の外郭は空堀で囲まれていました。
本丸の入口。
天守台と天守台から背後の丘陵を望む。正面の入り江は船を停泊させるのに適した地形で、川にも通じている良港であり、ここを守備するほか、西生浦倭城と釜山倭城の中間に位置するこの城は交通の要衝を抑える役割をも果たしていたのではないかと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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