都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「奇怪さ」への魅力 プロコフィエフの第五交響曲を聴く
第1546回N響定期公演 生中継 NHK-FMベストオブクラシック(7/8 19:00~)
曲 プロコフィエフ/交響曲第五番作品100
指揮 アンドレイ・ボレイコ
演奏 NHK交響楽団
今日の「ベストオブクラシック」は、N響C定期の生中継でした。ソリストにN響主席奏者の横川さんを迎えて、モーツァルトのクラリネット協奏曲なども演奏されたそうですが、時間の都合で最後のプロコフィエフだけを聴きました。
ところでプロコフィエフは、「偏食」の私にとって全く馴染みのない作曲家です。第五番は、「古典交響曲」などと並ぶ名作として知られていますが、恥ずかしながら殆ど聴いたことがありません。指揮のアンドレイ・ボレイコ氏も初めて聴く方です。新鮮な気持ちで音楽に耳を傾けてみました。
第五交響曲で大変印象的だったのは、曲想の目まぐるしい変化が生む、全体の奇想天外な構成感です。金管がティンパニの下支えと共に堂々と鳴らされたかと思いきや、いつの間にやらマーチ風の親しみやすいメロディーが登場し、まるで音楽中に「劇」が始まったかのように語り口調で話しかけてきます。最終楽章での派手なコーダは突如室内楽の様相を呈し、妙な後味を残しながら音像が消えていきます。とは言え、メロディーはどれも人懐っこい表情で、ショスタコーヴィチのような「あえて大げさに構えた深刻さ」よりも、むしろ諧謔性を思わせるフレーズが散見させられます。奇妙な魅力を感じました。
アンドレイ・ボレイコは、ロシア生まれの「俊英」の指揮者として紹介されていました。私が一番感銘したのは、ちょっとしたことで破綻しそうな、ある意味危なっかしいこの曲を、堅牢な構成感で整えながらも、決して窮屈な表情に陥らさせないで聴かせることです。低音部は端正にリズムを刻み、ヴァイオリンは機動的にその上を駆け巡らせ、全体の調和をハッキリと提示します。派手さこそないものの、木管の受け渡しへの細やかな配慮など、丁寧な仕事ぶりを感じさせます。N響の喰らいつきも見事でしたが、是非他の曲でも聴いてみたい方だと思いました。(これは私の好きなタイプの指揮者です。)
前半のモーツァルト、または、一曲目のオラスの「沈黙の王国」は、どのような演奏だったのでしょうか。残念ながら明日の公演には出向くことができませんが、ホールで聴くべきだったと思うほどの好演でした。
曲 プロコフィエフ/交響曲第五番作品100
指揮 アンドレイ・ボレイコ
演奏 NHK交響楽団
今日の「ベストオブクラシック」は、N響C定期の生中継でした。ソリストにN響主席奏者の横川さんを迎えて、モーツァルトのクラリネット協奏曲なども演奏されたそうですが、時間の都合で最後のプロコフィエフだけを聴きました。
ところでプロコフィエフは、「偏食」の私にとって全く馴染みのない作曲家です。第五番は、「古典交響曲」などと並ぶ名作として知られていますが、恥ずかしながら殆ど聴いたことがありません。指揮のアンドレイ・ボレイコ氏も初めて聴く方です。新鮮な気持ちで音楽に耳を傾けてみました。
第五交響曲で大変印象的だったのは、曲想の目まぐるしい変化が生む、全体の奇想天外な構成感です。金管がティンパニの下支えと共に堂々と鳴らされたかと思いきや、いつの間にやらマーチ風の親しみやすいメロディーが登場し、まるで音楽中に「劇」が始まったかのように語り口調で話しかけてきます。最終楽章での派手なコーダは突如室内楽の様相を呈し、妙な後味を残しながら音像が消えていきます。とは言え、メロディーはどれも人懐っこい表情で、ショスタコーヴィチのような「あえて大げさに構えた深刻さ」よりも、むしろ諧謔性を思わせるフレーズが散見させられます。奇妙な魅力を感じました。
アンドレイ・ボレイコは、ロシア生まれの「俊英」の指揮者として紹介されていました。私が一番感銘したのは、ちょっとしたことで破綻しそうな、ある意味危なっかしいこの曲を、堅牢な構成感で整えながらも、決して窮屈な表情に陥らさせないで聴かせることです。低音部は端正にリズムを刻み、ヴァイオリンは機動的にその上を駆け巡らせ、全体の調和をハッキリと提示します。派手さこそないものの、木管の受け渡しへの細やかな配慮など、丁寧な仕事ぶりを感じさせます。N響の喰らいつきも見事でしたが、是非他の曲でも聴いてみたい方だと思いました。(これは私の好きなタイプの指揮者です。)
前半のモーツァルト、または、一曲目のオラスの「沈黙の王国」は、どのような演奏だったのでしょうか。残念ながら明日の公演には出向くことができませんが、ホールで聴くべきだったと思うほどの好演でした。
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