「鬼頭健吾+ロバート・プラット」 ギャラリー小柳 2/18

ギャラリー小柳(中央区銀座1-7-5 小柳ビル8階)
「鬼頭健吾+ロバート・プラット」
2/1-28

ギャラリー小柳で開催中の、鬼頭健吾とロバート・プラットの二人展です。鬼頭のカラフルなフラフープによるインスタレーションと、プラットの鮮やかな油彩画が美しく調和しています。組み合わせの妙がキラリと光る展覧会です。

鬼頭によるピンクやオレンジのフラフープは、白を基調とした大きな空間の中で、まるでごちゃごちゃにこんがらがった糸のように、縦横無尽に広がっています。何本も連なり、または折り重なって進み行くフラフープ。起点も終点もない。どこまでも増殖し、そして無限にのたうち回る。展示室側壁の下部には、何枚ものガラスがはめ込まれていましたが、もちろんそこにもフープが無数に写り込んで、さらに空間を増幅させていきます。あれほどにカラフルなフープがたくさんうごめきながらも、決してうるささを感じさせない、どこか無機質でシャープな味わいもまた魅力的でした。

まるでアクリル画のように大きく光を取り込んだプラットの油彩画は、鬼頭のフープに調和するかのようにして展示されています。動物やら自然やらをたくさん詰め込んだ画面は、何やら窮屈な雰囲気も持っていますが、それが鮮やかな色によって巧みにまとめられていて、こちらもあまりうるさくありません。他の作品も少し気になるところです。

今月末までの開催です。
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「2006 両洋の眼展」 三越日本橋本店ギャラリー 2/19

三越日本橋本店新館7階ギャラリー(中央区日本橋室町1-4-1)
「2006 両洋の眼展」
2/14-19(会期終了)

日本橋の三越にて僅か6日間だけ開催していた「両洋の眼 2006」。無知な私はこの展覧会のことを、てっきり西洋画と東洋画のコラボレーション展のようなものかと思い込んでいましたが、実際は、今活躍中のベテラン画家計70名以上が一堂に会した、今年で17回目を迎えた伝統のある現代絵画展でした。絵画のジャンルは実に多種多様。西洋画から日本画に抽象画まで、まさに「一切の枠を乗り越えた」(パンフレットより。)絵画が三越に大集合しています。ボリューム満点です。

この手の展覧会では、作品との相性の如何で、じっくりと前に立ち止まって鑑賞したり、また素通りしてしまったりするのですが、まず足を止められたのは、初めの日本画の技法にて描かれた作品の中にて、特に奇妙な存在感を見せていた川島淳司の「親子象」でした。麻に岩絵具にて描かれた巨大な親象と小さな子象。ともに配された不気味な緑色が、丸みを帯びた独特のフォルムを異様に際立たせています。この作品で特に注目すべきなのは親象にくっきりと描かれた目でしょうか。グッと曲げられた三日月状の目。見る者を挑発するかのような上目遣いで、どこか薄気味悪い。あまり好きな作品ではありませんが、この目からはなかなか離れることが出来ません。

「親子象」とは打って変わって、日本画の王道的な美を見せてくれたのが、田渕俊夫の「梅花爛漫」です。麻地に墨の濃淡にて表現された、一面に咲き誇る白梅の図。全ては朧げに、靄に包まれているかのように表現されていますが、白梅の一つ一つが、まるで雪の結晶のように細かく描写されている様子も見事です。白い梅がこれほど簡素な形でありながら、華やかに表現されていること。シンプルな構図が画面に奥行き感も与えます。こんな作品が玄関にあったら、さぞかしその家が格調高くなって見えてくることでしょう。気品を感じさせる作品でした。

会場で特に人だかりが出来ていたのは、金昌永の「From where to where 0511F」でした。風紋の美しい砂漠(砂浜?)を、縦長の構図にて描いた油彩画。何故こんなに多くの方が見入っているのだろうかと目を近づけてみると、その表面にたくさんの細かい砂粒がのっていることがわかります。一つ一つ、場面に合うようにして丁寧に彩色された細かい砂。それがキャンバス全体に散りばめられて大きな画面を完成させます。素材をキャンバスへ持ち込むことはそう珍しいこととは思えませんが、砂をのせたことで生み出される質感はなかなか豊かです。人が集まってくるのも当然かもしれません。

金の作品とは一転して、殆どの方が素通りでありながらも、私にとって大変魅力的だったのは山本麻友香の「cauliflower ear」でした。淡い紫色の画面にぼんやりと浮かび上がる、不気味なほどに巨大な一人の子供。全身真っ白な衣服に身を包み、顔から手足までも白に覆われています。そして真っ黒な坊ちゃん刈りの髪の毛。さらにインパクトがあったのは、透き通った濃紺にて描かれた両目です。うるうると涙がにじみ出てくるような瑞々しさをたたえて、こちらを凝視する様子。まるで何かを強請っているようでもあり、また単にぼんやりとしているだけのようにも見えます。あどけなさも残る、もう何処にもいなくなってしまったような純朴な子供。ノスタルジックなイメージも与える作品でした。この清純さは一体どこから来たのでしょう。

この展覧会は三越を皮切りにして、今後、山形や兵庫、それに山梨へ巡回するそうです。毎年開催されているようなので、今後も定期的チェックしていきたいと思いました。
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ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテ 「ヴィヴァルディ:四季」他 2/20

ファビオ・ビオンディ&エウローパ・ガランテ東京公演

ヴィヴァルディ:「バヤゼット」序曲
モーツァルト:交響曲第11番(K.84)
テレマン:組曲「ドン・キホーテのブルレスカ」(TWV55)
ヴィヴァルディ:「和声と創意への試み」より「四季」(作品8)

指揮・ヴァイオリン ファビオ・ビオンディ
演奏 エウローパ・ガランテ

2006/2/20 19:00~ 東京オペラシティコンサートホール2階

チケットポンテにて格安チケットが出ていたので、急遽初台まで行って聴いてきました。イタリア古楽界の中ボス(?)、エウローパ・ガランテの来日コンサートです。

ビオンディとガランテによる、一般的なバロック音楽のイメージを吹き飛ばすような先鋭的な演奏は、私も良く聴くOpus111のボックスで楽しむことが出来ますが、実際にそのスリリングな演奏を前にすると、やはりじっと座って聴くのが馬鹿らしくなるほどに躍動感に溢れています。ジェットコースターに乗っているような猛烈な緩急の落差と、長剣をバンバン振り回しているような半ば暴力的な弦のボーイング、(美音など野暮と言わんばかりの…。)そして極限のピアニッシモからまるでハンマーで殴ったようなフォルテッシモのアタッカまで、ともかくこれほどに揺さぶられる音楽もありません。全身で音楽を表現するビオンディの挑発的な力強いソロから、ノリに乗ったヴィオラやチェロ、そして実に軽やかに音を刻み込むチェンバロまで、全てが一つになってヴィヴァルディの超有名曲をお手軽に料理していきます。そしてもちろんそれが曲に新鮮さを与えるのです。モーツァルトの交響曲第11番もテレマンも、たった今ロックかジャズとして誕生したばかりのようなノリの良さ。ハチャメチャさを通り越して出現した力強い説得力。イタリアンバロックの過激さを浮き彫りにさせた、最高のエンターテイメントに仕上がっていました。面白過ぎます。

そしてそのエンターテイメントとして最高に楽しませてくれたのは、やはりメインの「四季」でしょう。「春」の冒頭にて既に大荒れの春の嵐でしたが、時折フッと力を抜くようにして響きを和らげる様が実に印象的でした。また「夏」のプレストはもちろん台風。チェロとヴィオラが強烈な横殴りの雨を表現したとすれば、ビオンディのソロは土砂降りの雨の中で台風に抵抗するかのように頑張る一人の人間でしょうか。各パートの自由自在なリズム感と、漫才のような巧みな掛け合いの妙にはただひたすらに驚かされるばかりです。アンコール2曲目はこの楽章のアレンジバージョン(?)でしたが、ここでは快速が新快速になったように(?)さらにスピードアップしていって場を盛り上げます。目にもとまらぬ、息もつかせぬとは、まさにこのことです。

会場は一階席こそ七割弱は埋まっていましたが、二階三階は閑散としていました。タケミツメモリアルは美しい響きを聴かせてくれるホールではありますが、非常に小さく凝縮されてまとまったガランテの響きを鑑みると、ややキャパシティが大き過ぎたのかなという気もします。バロック音楽の快感へ強く誘う、まるで危なっかしい薬を飲ませるような烈しい演奏でした。
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