都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」 そごう美術館
そごう美術館
「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」
6/11-7/18
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大正から昭和にかけて少女雑誌などの挿絵画家として活躍した蕗谷虹児(1898-1979)の世界を紹介します。そごう美術館で開催中の「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」へ行ってきました。
かつてのブリヂストン美術館での「セーヌ川の流れ」展にて、思いがけないほどに惹かれた蕗谷虹児ですが、私にとってはまさに待ちに待った回顧展が横浜で始まりました。
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「睡蓮の夢 原画」1924年 個人蔵
1898年、新潟の新発田に生まれた蕗谷虹児は、日本画家を志しながら上京し、かの夢二との縁もあって、雑誌「少女画報」にて挿絵画家としてのデビューを果たします。
展示では冒頭、修業時代の虹児が描いた日本画の習作からはじまります。この時期の虹児は何と一時、駆け落ちで樺太へと渡り、そこで2年間旅絵師として生活をしていたこともあったそうですが、後の挿絵風からは想像もつかない「十六才習作」(1915)など、知られざる最初期の虹児を見ることが出来ました。
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「潮風『令女界』原画」1928年 新発田市蔵
虹児が一躍挿絵画家のスターとしてのし上がったのは雑誌「令女界」です。当時の20才前後の未婚女性をターゲットとしたこの雑誌に編集段階から関わり、表紙の他、様々な挿絵をいくつも残しました。
どこかメルヘンの世界を思わせる「或る夜の夢」(1922)など、その独特に甘美なイメージは、一度見れれば虜になるのではないでしょうか。時にピアズリーを思わせる作品などには、終始うっとりさせられました。
またこの時期の虹児の仕事として興味深いのは、関東大震災における震災関連の挿絵制作です。東京を襲った巨大地震は出版界にも大きな影響を与えます。各種雑誌でも多くの震災特集が組まれました。
彼はその一つ「震災画報」において、作家たちの震災の体験記などに口絵をつけていきます。燃え盛る東京を背景に、一人の大きな鎌をもった悪魔が立つ「魔の呪い」(1923)は強く心を打たれました。
国内である程度の成功を収めた虹児は一転、1925年に渡仏し、パリでの生活をスタートさせます。家族を日本に残してきたこともあり、その二重生活もあってか、金銭的には決して順調ではなかったそうですが、サロンにも入選するなど、画家としての活動は一つのピークを迎えました。
ここで描かれたのがチラシ表紙にも登場する「柘榴を持つ女」(1927)です。虹児はファッションにも関心を寄せ、最先端であったパリのモードから多数のイメージを取り込みました。
それに虹児はパリから日本向けの挿絵の仕事も多く手がけます。その一つに先にも挙げた「令女界」の挿絵がありますが、ここでもパリの風俗を巧みに吸収し、女性のお洒落で艶やかな姿をいくつも絵に起こしていきました。
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「ひなげし『少女の女』原画」(部分)1936年 弥生美術館蔵
帰国後は再び挿絵画家として活動する一方、様々な情勢の変化から、これまでにはない世界にも足を踏み入れていきます。
その情勢とはもちろん戦争です。とりわけ1940年以降は当局の規制が入るようになり、少女雑誌の挿絵の需要は著しく低下していきました。
実際に1942年以降、虹児は少女雑誌から一端手を引きますが、その前からも文芸誌の他、レコードのジャケットのデザイン、また絵本や童話の挿絵を描くようになります。「船乗りシンドバット」や「アリババ」などのお馴染みの作品も紹介されていました。
戦争期は当然ながら直接的に戦争主題の作品が登場します。実際に虹児が航空兵養成所へと取材して描いた「少年大空への道」などが目を引きました。
戦後の1946年、再び少女雑誌の仕事へと戻った蕗谷虹児ですが、今度は雑誌そのもののビジュアルの嗜好が変化、彼の制作は一つの大きな転換点を迎えます。以降、彼は戦前から手がけていた絵本や童話の挿絵の仕事をメインに、小説の挿絵、さらにはアニメーションなどの様々な仕事をするようになりました。
その一例が三島由紀夫の「岬にての物語」の装丁です。三島自身、この作品には蕗谷の画風が相応しいとも述べたそうですが、他にも円地文子の作のデザインなども手がけています。
また東映動画、つまりはアニメーションの作品、「夢見童子」もポイントです。ここでは構成の原画とともに映像も紹介されています。物語は樹木の下で眠る夢見童子は心優しい子には夢を与え、またそうでない子には与えないとするシンプルな内容でしたが、天平風に描かれた童の姿など、これまでの虹児とは違った作風を見ることが出来ました。
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「薔薇と少女」(部分)1968年 新発田市蔵
1968年、70歳を迎えた虹児は、画集を刊行するとともに、自身の展覧会も開催します。またその頃、彼は挿絵ではなく絵画の制作に取りかかるようになり、浮世絵風美人画とも呼べる作品をいくつか描いていきました。
ラストに展示されていた最晩年の「母の面影」(1979)は忘れられません。これは虹児の死後、画室の机から見つかったという未完の一枚ですが、そこには雪の積もる家々を背景に立つ母の姿が何とも物悲しく描かれています。これはやはり彼の出身地、新発田の雪景色に違いありません。虹児は最後まで故郷と母を忘れることなく、死後の世界へと旅立っていきました。
挿絵ということもあってか、出品数は計400点にものぼります。先行して開催された刈谷市美術館の展示からすればスケールダウンするかもしれませんが、作品の質量ともに虹児の回顧展に相応しい内容ではなかったでしょうか。充実した図録も用意されていました。
「蕗谷虹児/らんぷの本/河出書房新社」
7月18日まで開催されています。(優待券がそごう横浜店WEBサイト内にあり→リンク)
「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」 そごう美術館
会期:6月11日(土)~7月18日(月・祝)
休館:そごう横浜店の休日に準じる。(6月は無休)
時間:10:00~20:00
住所:横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階
交通:JR線横浜駅東口よりポルタ地下街通路にて徒歩5分。
「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」
6/11-7/18
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大正から昭和にかけて少女雑誌などの挿絵画家として活躍した蕗谷虹児(1898-1979)の世界を紹介します。そごう美術館で開催中の「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」へ行ってきました。
かつてのブリヂストン美術館での「セーヌ川の流れ」展にて、思いがけないほどに惹かれた蕗谷虹児ですが、私にとってはまさに待ちに待った回顧展が横浜で始まりました。
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「睡蓮の夢 原画」1924年 個人蔵
1898年、新潟の新発田に生まれた蕗谷虹児は、日本画家を志しながら上京し、かの夢二との縁もあって、雑誌「少女画報」にて挿絵画家としてのデビューを果たします。
展示では冒頭、修業時代の虹児が描いた日本画の習作からはじまります。この時期の虹児は何と一時、駆け落ちで樺太へと渡り、そこで2年間旅絵師として生活をしていたこともあったそうですが、後の挿絵風からは想像もつかない「十六才習作」(1915)など、知られざる最初期の虹児を見ることが出来ました。
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「潮風『令女界』原画」1928年 新発田市蔵
虹児が一躍挿絵画家のスターとしてのし上がったのは雑誌「令女界」です。当時の20才前後の未婚女性をターゲットとしたこの雑誌に編集段階から関わり、表紙の他、様々な挿絵をいくつも残しました。
どこかメルヘンの世界を思わせる「或る夜の夢」(1922)など、その独特に甘美なイメージは、一度見れれば虜になるのではないでしょうか。時にピアズリーを思わせる作品などには、終始うっとりさせられました。
またこの時期の虹児の仕事として興味深いのは、関東大震災における震災関連の挿絵制作です。東京を襲った巨大地震は出版界にも大きな影響を与えます。各種雑誌でも多くの震災特集が組まれました。
彼はその一つ「震災画報」において、作家たちの震災の体験記などに口絵をつけていきます。燃え盛る東京を背景に、一人の大きな鎌をもった悪魔が立つ「魔の呪い」(1923)は強く心を打たれました。
国内である程度の成功を収めた虹児は一転、1925年に渡仏し、パリでの生活をスタートさせます。家族を日本に残してきたこともあり、その二重生活もあってか、金銭的には決して順調ではなかったそうですが、サロンにも入選するなど、画家としての活動は一つのピークを迎えました。
ここで描かれたのがチラシ表紙にも登場する「柘榴を持つ女」(1927)です。虹児はファッションにも関心を寄せ、最先端であったパリのモードから多数のイメージを取り込みました。
それに虹児はパリから日本向けの挿絵の仕事も多く手がけます。その一つに先にも挙げた「令女界」の挿絵がありますが、ここでもパリの風俗を巧みに吸収し、女性のお洒落で艶やかな姿をいくつも絵に起こしていきました。
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「ひなげし『少女の女』原画」(部分)1936年 弥生美術館蔵
帰国後は再び挿絵画家として活動する一方、様々な情勢の変化から、これまでにはない世界にも足を踏み入れていきます。
その情勢とはもちろん戦争です。とりわけ1940年以降は当局の規制が入るようになり、少女雑誌の挿絵の需要は著しく低下していきました。
実際に1942年以降、虹児は少女雑誌から一端手を引きますが、その前からも文芸誌の他、レコードのジャケットのデザイン、また絵本や童話の挿絵を描くようになります。「船乗りシンドバット」や「アリババ」などのお馴染みの作品も紹介されていました。
戦争期は当然ながら直接的に戦争主題の作品が登場します。実際に虹児が航空兵養成所へと取材して描いた「少年大空への道」などが目を引きました。
戦後の1946年、再び少女雑誌の仕事へと戻った蕗谷虹児ですが、今度は雑誌そのもののビジュアルの嗜好が変化、彼の制作は一つの大きな転換点を迎えます。以降、彼は戦前から手がけていた絵本や童話の挿絵の仕事をメインに、小説の挿絵、さらにはアニメーションなどの様々な仕事をするようになりました。
その一例が三島由紀夫の「岬にての物語」の装丁です。三島自身、この作品には蕗谷の画風が相応しいとも述べたそうですが、他にも円地文子の作のデザインなども手がけています。
また東映動画、つまりはアニメーションの作品、「夢見童子」もポイントです。ここでは構成の原画とともに映像も紹介されています。物語は樹木の下で眠る夢見童子は心優しい子には夢を与え、またそうでない子には与えないとするシンプルな内容でしたが、天平風に描かれた童の姿など、これまでの虹児とは違った作風を見ることが出来ました。
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「薔薇と少女」(部分)1968年 新発田市蔵
1968年、70歳を迎えた虹児は、画集を刊行するとともに、自身の展覧会も開催します。またその頃、彼は挿絵ではなく絵画の制作に取りかかるようになり、浮世絵風美人画とも呼べる作品をいくつか描いていきました。
ラストに展示されていた最晩年の「母の面影」(1979)は忘れられません。これは虹児の死後、画室の机から見つかったという未完の一枚ですが、そこには雪の積もる家々を背景に立つ母の姿が何とも物悲しく描かれています。これはやはり彼の出身地、新発田の雪景色に違いありません。虹児は最後まで故郷と母を忘れることなく、死後の世界へと旅立っていきました。
挿絵ということもあってか、出品数は計400点にものぼります。先行して開催された刈谷市美術館の展示からすればスケールダウンするかもしれませんが、作品の質量ともに虹児の回顧展に相応しい内容ではなかったでしょうか。充実した図録も用意されていました。
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7月18日まで開催されています。(優待券がそごう横浜店WEBサイト内にあり→リンク)
「魅惑のモダニスト 蕗谷虹児展」 そごう美術館
会期:6月11日(土)~7月18日(月・祝)
休館:そごう横浜店の休日に準じる。(6月は無休)
時間:10:00~20:00
住所:横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階
交通:JR線横浜駅東口よりポルタ地下街通路にて徒歩5分。
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