都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「平成の大津波被害と博物館」 江戸東京博物館
江戸東京博物館(常設展示)
「2011.3.11 平成の大津波被害と博物館ー被災資料の再生をめざして」
2/8-3/23
江戸東京博物館で開催中の「平成の大津波被害と博物館ー被災資料の再生をめざして」を見て来ました。
かの3.11の大震災から3年。東日本の太平洋沿岸を襲った大津波は、信じ難いほどに多くの人々の命を奪い、また地域の文化財や博物資料を破壊しました。
いわゆる復興はどれほど進んだのでしょうか。本展では主に陸前高田市をはじめとする岩手県内の被災文化財資料を展示。文化財のレスキュー活動や修復の過程を紹介しています。
さて会場は江戸博の5階、常設展内の第2企画展示室です。室内の撮影も可能でした。(一部資料を除く。)
「津波でとまった時計」 陸前高田市立博物館
冒頭は震災全般の被災状況を見る展示です。パネルや写真で振り返ります。3時30分を少し回って止まった時計。陸前高田の市民体育館に設置されていたものです。地震そのものが発生したのは午後2時46分。津波の到達時間でしょう。もちろん時計は何も語りません。ただその時の状況を想像するだけでも、何とも惨たらしい気持ちにさせられます。
「大海嘯極惨状之図」明治29年 岩手県立博物館
また三陸を襲った大津波、それは3.11だけではありません。繰り返される被害。明治三陸地震の惨状を絵に表したのが「大海嘯極惨状之図」です。また昭和8年にも三陸は津波の被害を受けています。今度は写真です。アサヒグラフの臨時増刊号も展示されています。
さて3.11の文化財のレスキュー活動へ進みましょう。まずは陸前高田の市立図書館。津波により約8万冊の蔵書の殆どを失ってしまいます。しかしながら2階の書庫に収蔵されていたという県指定の文化財、「吉田家文書」などの古文書は流失を免れました。
こうした救出活動が始まったのは地震発生から半月以上経った4月2日のことです。陸前高田ではこれを機会に市内の博物館や文化財収蔵庫でも救出活動が順にスタート。取り出された資料は盛岡の県立博物館の他、市内で比較的被害の少なかった小学校などに移されました。
「高田村絵図」江戸時代 個人蔵(吉田家)
ちなみに吉田家とは江戸時代に気仙郡一帯の行政を実質的に担っていた家のことです。また吉田家の住宅自体も県の文化財に指定を受けるなどして保存されていましたが、残念ながら津波で完全に破壊されてしまいます。
「被災前の吉田家住宅」 *写真パネル
後に梁などが回収され、現在はかつて存在していた周辺の歴史的街並と一体で復元する計画が練られているそうです。
「大肝入吉田家屋敷模型」 八戸工業大学大学院
会場ではその吉田家住宅の主屋の垂木や屋敷全体の模型なども紹介されていました。
「津波の被害を受けた陸前高田市立博物館」 *写真パネル
続いては市立博物館。主に陸前高田の漁撈関係の用具、また隕石などの地質標本、それに自然史標本を所蔵していました。そしてここも津波で大きく被災します。データベースからして破壊。資料の殆どは流失し、残ったものも大半は瓦礫や土砂に埋もれてしまいました。
「被災した標本箱」 陸前高田市立博物館
津波をかぶった標本箱です。中がぐちゃぐちゃになっている。原型すら留めていないようにも見えます。なお市立博物館の資料が救出されたのは4月15日から。その後の経緯は図書館とほぼ同様です。盛岡の県立博物館などに運ばれ、全国からの協力を受けて洗浄や復元が進みます。
「昆虫標本類の修復過程」 *写真パネル
なお展示では昆虫標本類の修復過程、つまり安定化作業についてもパネルで紹介しています。まず泥や塩分を除き、その後カビなどを殺すために洗浄液を加えて乾燥。脚や羽を一本一枚ずつのばしたり貼付けたりして修復するのだそうです。
「被災コウチュウ類ドイツ標本箱(修復済み)」 陸前高田市立博物館
結果修復されたのがこの標本箱です。先の被災した標本箱と比べてどうでしょうか。大変な労力が伺い知れます。
「土偶」縄文時代 陸前高田市教育委員会
さらには同じく流されてしまった考古資料の化石の他、土偶や石棒も救出されました。ちなみに石棒は博物館のマスコットキャラクターであるとか。また同市で同じく被災した海と貝のミュージアムの貝類標本資料の洗浄についてのパネル展示もありました。
「ペルム紀化石標本セット」 陸前高田市立博物館(旧矢作小学校寄贈)
収蔵直前に流出を免れた資料もあります。市内矢作小の化石標本です。これは震災当日、博物館が寄贈を受ける予定だった標本で、しばらく行方不明になりましたが、8月になって小学校に残されていたことが判明しました。しかしながら極めて残念な出来事も起こっています。この寄贈を受けるために小学校へ向かった博物館の職員の方は、途中に津波にあって亡くなられてしまいました。心中如何なるものだったと思うと、本当に言葉にもなりません。
「高田人形」 陸前高田市立博物館
比較的最近の資料として挙げられるのが高田人形や紙芝居です。前者は昭和8年頃まで作られていたという土人形。波をかぶって損失、何と殆どが溶けてバラバラにまでなってしまったそうですが、昭和女子大学の学生らの手によって修復。ここで公開されることになりました。
「鵜住居観音堂 本尊十一面観音立像」永正7年 他 個人蔵
最後は仏様です。釜石市の鵜住居町の観音堂の仏像。この地域も津波で大きな被害を受けました。お堂もそれ自体が流出、宝物庫に残されていた像も大きく破損して埋まってしまいます。ここでは修復後の仏様、3体が展示されていました。
「県内文化財関係者等による遺物の回収」他 *写真パネル
本展はそもそも岩手県立博物館と昭和女子大学光葉博物館との共催で行われた展覧会。その東京巡回展です。また付随する関連のリーフレット(有料)も充実しています。古文書や屏風絵などの修復過程についての細かい解説も載っている。展示の内容を補うのに有用でした。
「ボランティアによる貝標本の洗浄」 *写真パネル
さて初めにも触れたように今日で震災から丸3年です。このように津波で破壊された博物学資料を補修しては保存、世に公開する大切な活動がある。デジタルでアーカイブ化する試みも行われています。ただその反面、そもそも修復不可能な資料、まだ手の付いてない資料も多数残されている。またいわゆる文化財レスキューに対して様々な議論も存在しています。節目の時。改めて事実や問題点を知る。その切っ掛けになり得る展示ではないかと思いました。
「平成の大津波被害と博物館」会場風景
3月23日まで開催されています。
「2011.3.11 平成の大津波被害と博物館ー被災資料の再生をめざして」 江戸東京博物館(@edohakugibochan)
会期:2月8日(土)~3月23日(日)
時間:9:30~17:30 *毎週土曜日は19時半まで。(入館は閉館の30分前まで。)
休館:月曜日
料金:一般600(480)円、大学・専門学生480(380)円、小・中・高校生・65歳以上300(240)円。
*( )は20名以上の団体料金。
*常設展も観覧可。
住所:墨田区横網1-4-1
交通:JR総武線両国駅西口徒歩3分、都営地下鉄大江戸線両国駅A4出口徒歩1分
「2011.3.11 平成の大津波被害と博物館ー被災資料の再生をめざして」
2/8-3/23
江戸東京博物館で開催中の「平成の大津波被害と博物館ー被災資料の再生をめざして」を見て来ました。
かの3.11の大震災から3年。東日本の太平洋沿岸を襲った大津波は、信じ難いほどに多くの人々の命を奪い、また地域の文化財や博物資料を破壊しました。
いわゆる復興はどれほど進んだのでしょうか。本展では主に陸前高田市をはじめとする岩手県内の被災文化財資料を展示。文化財のレスキュー活動や修復の過程を紹介しています。
さて会場は江戸博の5階、常設展内の第2企画展示室です。室内の撮影も可能でした。(一部資料を除く。)
「津波でとまった時計」 陸前高田市立博物館
冒頭は震災全般の被災状況を見る展示です。パネルや写真で振り返ります。3時30分を少し回って止まった時計。陸前高田の市民体育館に設置されていたものです。地震そのものが発生したのは午後2時46分。津波の到達時間でしょう。もちろん時計は何も語りません。ただその時の状況を想像するだけでも、何とも惨たらしい気持ちにさせられます。
「大海嘯極惨状之図」明治29年 岩手県立博物館
また三陸を襲った大津波、それは3.11だけではありません。繰り返される被害。明治三陸地震の惨状を絵に表したのが「大海嘯極惨状之図」です。また昭和8年にも三陸は津波の被害を受けています。今度は写真です。アサヒグラフの臨時増刊号も展示されています。
さて3.11の文化財のレスキュー活動へ進みましょう。まずは陸前高田の市立図書館。津波により約8万冊の蔵書の殆どを失ってしまいます。しかしながら2階の書庫に収蔵されていたという県指定の文化財、「吉田家文書」などの古文書は流失を免れました。
こうした救出活動が始まったのは地震発生から半月以上経った4月2日のことです。陸前高田ではこれを機会に市内の博物館や文化財収蔵庫でも救出活動が順にスタート。取り出された資料は盛岡の県立博物館の他、市内で比較的被害の少なかった小学校などに移されました。
「高田村絵図」江戸時代 個人蔵(吉田家)
ちなみに吉田家とは江戸時代に気仙郡一帯の行政を実質的に担っていた家のことです。また吉田家の住宅自体も県の文化財に指定を受けるなどして保存されていましたが、残念ながら津波で完全に破壊されてしまいます。
「被災前の吉田家住宅」 *写真パネル
後に梁などが回収され、現在はかつて存在していた周辺の歴史的街並と一体で復元する計画が練られているそうです。
「大肝入吉田家屋敷模型」 八戸工業大学大学院
会場ではその吉田家住宅の主屋の垂木や屋敷全体の模型なども紹介されていました。
「津波の被害を受けた陸前高田市立博物館」 *写真パネル
続いては市立博物館。主に陸前高田の漁撈関係の用具、また隕石などの地質標本、それに自然史標本を所蔵していました。そしてここも津波で大きく被災します。データベースからして破壊。資料の殆どは流失し、残ったものも大半は瓦礫や土砂に埋もれてしまいました。
「被災した標本箱」 陸前高田市立博物館
津波をかぶった標本箱です。中がぐちゃぐちゃになっている。原型すら留めていないようにも見えます。なお市立博物館の資料が救出されたのは4月15日から。その後の経緯は図書館とほぼ同様です。盛岡の県立博物館などに運ばれ、全国からの協力を受けて洗浄や復元が進みます。
「昆虫標本類の修復過程」 *写真パネル
なお展示では昆虫標本類の修復過程、つまり安定化作業についてもパネルで紹介しています。まず泥や塩分を除き、その後カビなどを殺すために洗浄液を加えて乾燥。脚や羽を一本一枚ずつのばしたり貼付けたりして修復するのだそうです。
「被災コウチュウ類ドイツ標本箱(修復済み)」 陸前高田市立博物館
結果修復されたのがこの標本箱です。先の被災した標本箱と比べてどうでしょうか。大変な労力が伺い知れます。
「土偶」縄文時代 陸前高田市教育委員会
さらには同じく流されてしまった考古資料の化石の他、土偶や石棒も救出されました。ちなみに石棒は博物館のマスコットキャラクターであるとか。また同市で同じく被災した海と貝のミュージアムの貝類標本資料の洗浄についてのパネル展示もありました。
「ペルム紀化石標本セット」 陸前高田市立博物館(旧矢作小学校寄贈)
収蔵直前に流出を免れた資料もあります。市内矢作小の化石標本です。これは震災当日、博物館が寄贈を受ける予定だった標本で、しばらく行方不明になりましたが、8月になって小学校に残されていたことが判明しました。しかしながら極めて残念な出来事も起こっています。この寄贈を受けるために小学校へ向かった博物館の職員の方は、途中に津波にあって亡くなられてしまいました。心中如何なるものだったと思うと、本当に言葉にもなりません。
「高田人形」 陸前高田市立博物館
比較的最近の資料として挙げられるのが高田人形や紙芝居です。前者は昭和8年頃まで作られていたという土人形。波をかぶって損失、何と殆どが溶けてバラバラにまでなってしまったそうですが、昭和女子大学の学生らの手によって修復。ここで公開されることになりました。
「鵜住居観音堂 本尊十一面観音立像」永正7年 他 個人蔵
最後は仏様です。釜石市の鵜住居町の観音堂の仏像。この地域も津波で大きな被害を受けました。お堂もそれ自体が流出、宝物庫に残されていた像も大きく破損して埋まってしまいます。ここでは修復後の仏様、3体が展示されていました。
「県内文化財関係者等による遺物の回収」他 *写真パネル
本展はそもそも岩手県立博物館と昭和女子大学光葉博物館との共催で行われた展覧会。その東京巡回展です。また付随する関連のリーフレット(有料)も充実しています。古文書や屏風絵などの修復過程についての細かい解説も載っている。展示の内容を補うのに有用でした。
「ボランティアによる貝標本の洗浄」 *写真パネル
さて初めにも触れたように今日で震災から丸3年です。このように津波で破壊された博物学資料を補修しては保存、世に公開する大切な活動がある。デジタルでアーカイブ化する試みも行われています。ただその反面、そもそも修復不可能な資料、まだ手の付いてない資料も多数残されている。またいわゆる文化財レスキューに対して様々な議論も存在しています。節目の時。改めて事実や問題点を知る。その切っ掛けになり得る展示ではないかと思いました。
「平成の大津波被害と博物館」会場風景
3月23日まで開催されています。
「2011.3.11 平成の大津波被害と博物館ー被災資料の再生をめざして」 江戸東京博物館(@edohakugibochan)
会期:2月8日(土)~3月23日(日)
時間:9:30~17:30 *毎週土曜日は19時半まで。(入館は閉館の30分前まで。)
休館:月曜日
料金:一般600(480)円、大学・専門学生480(380)円、小・中・高校生・65歳以上300(240)円。
*( )は20名以上の団体料金。
*常設展も観覧可。
住所:墨田区横網1-4-1
交通:JR総武線両国駅西口徒歩3分、都営地下鉄大江戸線両国駅A4出口徒歩1分
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