「国立ロシア美術館展」 東京都美術館

東京都美術館台東区上野公園8-36
「サンクトペテルブルク 国立ロシア美術館展 - ロシア絵画の神髄 - 」
4/8-7/8



18世紀半ばから20世紀初頭までの近代ロシア絵画を概観します。知名度の高い画家は皆無と言って良いですが、「写実」を軸とする絵画はどれもなかなか充実していました。

展覧会の構成は以下の通りです。

1.「古典主義の時代 様式と規範 - 肖像画の確立と風景画の誕生 - 」(18世紀後半)
2.「ロマン主義の時代 詩と感情 - リアリズムの萌芽 - 」(19世紀前半)
3.「リアリズムの時代 人間と自然 - 批判的リアリズムと移動派の画家たち - 」(19世紀後半)
4.「転換期の時代 伝統と革新 - 新しい美術表現を求めて - 」(20世紀後半)



全展示作品の中で最も印象に残ったのが、アイヴァゾフスキーによる「アイヤ岬の嵐」(1875)でした。縦2メートル、横3メートルは越える巨大なキャンバスに、もはや神々しささえ感じる荒れ狂った海と、そこに今にものみこまれて沈みそうな難破船が精緻なタッチで描かれています。渦を巻いて白む海と暗雲漂う不気味な空は、まさに渾然一体となって船を揺らし、波に洗われる岩壁は、さながらこの場の険しい自然環境を伝えるかのように敢然と立ちはだかっていました。そしてこの作品の魅力は、見事な画力における例えば波や船の質感自体よりも、全体を演出するその幻想的な雰囲気にあります。光はちょうど人々の逃げ行く小舟へ差し込んで、ただ波に揺れて立ちすくむしかない人間の自然に対する無力さを演出していました。ここに、恐るべき自然の驚異を前にした人の儚さを見る思いさえします。



ところでアイヴァゾフスキーの作品は、上記を含めて計4点ほど展示されていますが、どれも海をモチーフにしながら、「アイヤ」のような幻想的な世界で楽しませてくれるものばかりでした。展覧会のハイライトも、これらの4点の作品にあると言っても良いと思います。「月夜」(1849)における、まさに息をのむような美しい世界は実に見事です。沈む太陽をじっと見つめながら、宇宙の神秘を思うような気持ちをこの絵にて体験することすら出来ます。



さてこの展覧会では肖像画も目立っていましたが、その中でも惹かれたのがヤロシェンコの「女子学生」(1880)でした。はにかみながら、ややうつむき加減のポーズをとる女学生はなかなか魅力的です。静々と差し出された両手は控えめに組み合わされ、少し肩を落とした少女が、何とも照れた面持ちにてこちらを見つめています。いわゆる肖像画で、このような表情を見る作品はあまり他に出会ったことがありません。新鮮でした。

 

クラムスコイの「虐げられたユダヤの少年」(1874)は、その荒廃した家屋の前に佇む少年の目線が心に迫ります。現実の悲惨さを直視し、人間の尊厳を表現したという『批判的リアリズム絵画』の中でも、特にその主張が色濃く見て取れるような作品ではないでしょうか。また『移動派』では、ポポフの「村の朝」(1861)やポレーノフの「モスクワの庭」(1902)などの風景画も多数展示されていましたが、まさしく写真を見るような光景に美感を見出すのは当然にしろ、どこか理想化され過ぎた嫌いを感じるのもまた事実でした。これらの強い写実性は画家の表現の目的ではなく、あくまでも手段に過ぎなかったのかもしれません。どうもその美へ素直に酔うことが出来ないのです。

その意味では、伝統的な表現を取り入れながらも、具象や写実から開放された「転換期の時代」以降の作品は、どこか画家の吹っ切れた、絵画表現への半ば純粋な探究心の成果を見て取ることが出来ます。ただしこのセクションには、その魅力を存分に楽しめるほど多くの作品が展示されていません。やや消化不良気味です。

国内では滅多に紹介されないロシア絵画を見る絶好の展覧会です。また、都美で開催される絵画展としては驚くほど空いていました。

7月8日までの開催です。(6/9)
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「カンノサカン 『trans.』」 ヴァイスフェルト

ヴァイスフェルト港区六本木6-8-14 コンプレックス北館3階)
「カンノサカン 『trans.』」
6/1-30

ヴァイスフェルトで開催中の「カンノサカン 『trans.』」です。まさしく新境地を思わせる、これまでにない大作(縦170センチ、横355センチ)が充実していました。魅力たっぷりです。



光沢感のある黒の中で舞うのは、メタリックなイメージも感じさせる無数の白い曲線でした。一切の下書きをせずに描かれたというその揺らぎのない線の連続は、何やらそれ自身が生きているかのように生成消滅を繰り返し、空間を自由に駆けているようにも見えてきます。そして細かい部分を目で追うと、鎖のように連なる曲線の一つずつが、まるで視覚化された神経回路のようにも思えてきました。またミクロの線の集合は、時に人が踊るようにも跳ね、また時には草木が風に吹かれたように気持ち良く靡いています。そのイメージは無限です。

黒を背景にすると、白、もしくはグレーによる曲線が、不思議にも生成よりも消滅の方向に向いているような気がします。これまでの赤や白などの色鮮やかな作品で見た力強さはなく、どことなくモノの脆さや儚さを漂わせているのです。

5枚のキャンバスを組み合わせて作られた支持体も面白く感じました。何やら屏風画のような奥行き感が生まれてきます。

今月末までの開催です。もちろんおすすめです。(6/2)
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「入江明日香展」 シロタ画廊

シロタ画廊(中央区銀座7-10-8)
「入江明日香展」
6/4-16

今年の「VOCA」展にも出品がありました。銅版画をベースに、その詩的なイメージを無限に膨らませる入江明日香の個展です。



入江の作品は、VOCA以外にも、ミュゼ浜口陽三の企画展などで拝見したことがありますが、そのモチーフへの関心はどちらかというと抽象から具象へと移っているのかもしれません。線が泳ぐように揺らぎ、またまるでシャボン玉のように空間へと飛ぶ数々のモチーフは、抽象のイメージを残しながらも、例えば鳥や花のように身近で可愛らしいものへと変化していました。伸びやかに舞う淡い色彩と形から浮かび上がる鳥は、さながら神坂雪佳のような『和みの花鳥画』の伝統も感じさせています。

銅版画にコラージュ、または顔料などを用いて制作された作品は、いわゆる一般的な版画の味わいをゆうに越えていました。もちろんそれは、逆に版画の持つ表現力をより深化させていることにも繋がりますが、入江の凝った技法は、言わば作品に殆ど露になっていないようです。ようは、決して「この作品が版画である。」と思わせずに、版画より広がる豊かな味わいを取り込むことに成功しています。支持体の紙に見る純白は、モチーフの描かれた後で塗り込まれた胡粉でした。作為の痕跡は限りなく控えめです。

銅版画の技法を用いたとは思えない美感と、具象と抽象の間で揺れるモチーフの面白み、さらには瑞々しくのびやかな色彩感の全てに魅力を感じます。16日までの開催です。これはおすすめです。(6/9)
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「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」 Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアム渋谷区道玄坂2-24-1
「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」
4/7-6/3(会期終了)



既に会期を終えています。「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」です。率直なところ、モディリアーニにもジャンヌの作品にも感じるものがあまりないのですが、(お好きな方には申し訳ありません…。)半ば非常に生々しい形で両者の関係を追うことが出来ました。以下、その印象を簡単に記しておきたいと思います。



さてまずこの展覧会では、ジャンヌの画才を、それこそモディリアーニと並ぶと言わんばかりに高く評価していましたが、確かに彼女の絵がモディリアーニに影響を与えた部分はあったにしろ、画家として両者を同格に扱うのはかなり難しいのではないかと感じました。もちろん、キュビズムなどの影も濃いジャンヌの作品に素朴な魅力があるのは事実ですが、早くより自己のスタイルを確立して、繊細な感情を示す肖像画を描き続けたモディリアーニに及ぶものは殆ど見られません。また一部、キャプションにてジャンヌの作品を「女性的」と評している箇所がありましたが、もしその表現自体が適切であるならば、私はモディリアーニこそ「女性的」な作風を見る画家ではないかとも思います。(ただし、往々にしてそのような表現は意味をなさないことも付け加えておきます…。)

 

画家としてではなく、人として、つまりはかけがえのないカップルとしての二人を見ると、この展覧会のハイライトは必然的にジャンヌの残した最後の四作になるのでしょう。この連作は、二人の暮らしたニースの日々から、何とジャンヌの自殺までがスケッチ風に描かれたものですが、四枚目に見る「自殺」の恐ろしい表現にはもう何の言葉もありません。ナイフを胸に突き刺し、鮮烈な血も迸るジャンヌは、もの凄い形相でまさに地へと落ちるようにひっくり返っています。実際に彼女は、モディリアーニの死を聞いた48時間後、お腹の中の子どもを道連れに投身自殺をはかりました。この作品を見ると、絵がその「免罪符」になってしまうことへの抵抗感はあるにしろ、許されざる行為も運命だったのかと理解せざるを得ません。

ジャンヌの遺髪は、まだ生気すら漂うかのように輝いていました。「画家としてのジャンヌ」(パンフレットより。)があるとするならば、きっとこの後の人生にこそ花開いていたのではないでしょうか。少なくとも私はそう信じたいです。(6/2)
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「鈴木雅明展 - Light - 」 Bunkamura ギャラリー

Bunkamura ギャラリー(渋谷区道玄坂2-24-1
「鈴木雅明展 - Light - 」
6/2-13

眠らない都会の夜を刹那的に表現します。1981年生まれの若いアーティスト、鈴木雅明の新作個展です。闇夜を彩り、そして風景へ溶けこむように灯る明かりの美しさが印象に残りました。



まず目に飛び込んで来るのは、やはり夜を煌煌と照らし出す街灯の光です。オレンジ、ブルー、そして時にはイエローにも変化する明かりが、美しいグラデーションを描きながら灯っています。明かりは闇へとのまれるかのようにポツンと灯り、またある時には力強く放射されて輝かしく照り出していました。そこに、多様な夜の情景を思い浮かべることも出来るのです。

この彩りある明かりと並んで、もう一つ見逃せないモチーフも登場しています。それは、さながらこの夜を静かに生き、どこか寂し気に歩いてもいる女性たちです。暗がりの歩道をトボトボと歩いている女性の肩は、まさに一日の疲れがどっとのしかかっているかのように落ちていました。またその後ろ姿に見る、流れるような髪に惹かれるものを感じます。これを一人には出来ません。(?)

夜の寂しさに耐えるには、やはり明かりを求めて歩くしかないのでしょうか。焦点の定まらないこの朧げな世界が、何やらいつぞやの夜の記憶の断片のようにも見えてなりませんでした。

13日までの開催です。(6/2)
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6月の予定と5月の記録 2007

毎月恒例の「予定と振り返り」です。まだ5月分の展覧会の感想もアップし終えていませんが、まずは今月に見聞きしたいものを挙げてみました。

6月の予定

展覧会
「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」 Bunkamura ザ・ミュージアム (終了)
「ヴィクトリア アンド アルバート美術館 浮世絵名品展」 太田記念美術館 ( - 6/26)
「水の情景 - モネ、大観から現代まで展」 横浜美術館 ( - 7/1)
「肉筆浮世絵のすべて 後期展示」 出光美術館 ( - 7/1)
「藤森建築と路上観察」 東京オペラシティアートギャラリー ( - 7/1)
「茶道具 付属品とともにたのしむ」 泉屋博古館分館 ( - 7/1)
「国立ロシア美術館展」 東京都美術館 ( - 7/8)
「モーリス・ユトリロ展」 三鷹市民ギャラリー ( - 7/8)
「山種コレクション名品選 後期展示」 山種美術館 ( 6/6 - 7/16) 
「ヘンリー・ダーガー展」 原美術館 ( - 7/16)
「パルマ - イタリア美術、もう一つの都展」 国立西洋美術館 ( - 8/26)

コンサート
新国立劇場2006/2007シーズン」 R.シュトラウス「ばらの騎士」 (6/6-20)

演劇
新国立劇場2006/2007シーズン」 シェイクスピア「真夏の夜の夢」 (6/3)


5月の記録(リンク先は私の感想です。)

展覧会
「琳派 四季のきょうえん(その2)」 畠山記念館 (3日)
「ペルジーノ展」 損保ジャパン東郷青児美術館(3日)
「藤原道長展」 京都国立博物館 (12日)
「若冲展」(その1『概要』/その2『障壁画』/その3『動植綵絵』) 相国寺承天閣美術館 (12日)
「丸紅コレクション 絵画と衣装 『美の名品展』」 京都文化博物館 (12日)
「福田平八郎展」 京都国立近代美術館 (12日)
「特別展 神仏習合」 奈良国立博物館 (13日)
「上方絵画の底ぢから」 奈良県立美術館 (13日)
「松浦屏風と桃山・江戸の美術」 大和文華館 (13日)
「様々なる祖型 杉本博司 新収蔵作品展」 国立国際美術館 (13日)
「鳥居清長 - 江戸のヴィーナス誕生 - 」 千葉市美術館 (20日)
タイ王国・現代美術展/マルレーネ・デュマス展」 東京都現代美術館 (20日)
「狩野派誕生」 大倉集古館 (20日)
「大回顧展モネ」 国立新美術館 (20日)
「アートで候。会田誠 山口晃展」 上野の森美術館 (20日)
「山種コレクション名品選 前期展示」 山種美術館(27日)
「生誕100年 靉光展」 東京国立近代美術館 (27日)

コンサート
「コンポージアム2007 アルディッティ弦楽四重奏団」 西村朗「弦楽四重奏曲全集」(21日)

先月は京都の「若冲展」へ出向いたからか、一ヶ月単位としてはかつてないほど美術館へ行ったと思います。(但しその分、ギャラリー巡りが全く出来ませんでした。今月より再開します。)また、これまでに経験したことのない「プレビュー」に参加出来たのも、非常に良い思い出となりました。改めて、機会を作って下さった全ての方にお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

6月も展覧会が目白押しですが、先日、「ぐるっとパス」を購入しました。泉屋、山種、三鷹、出光あたりはパスで巡る予定です。

先日、初めて「演劇」なるジャンルに接してきました。これからも興味のある古典を中心に、関連の劇作を少しずつ追っかけていければと思います。

それでは今月も宜しくお願いします。
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「マルレーネ・デュマス - ブロークン・ホワイト - 」 東京都現代美術館

東京都現代美術館江東区三好4-1-1
「マルレーネ・デュマス - ブロークン・ホワイト - 」
4/14-7/1



南アフリカ生まれ(現在、アムステルダム在住。)のアーティスト、マルレーネ・デュマス(1953~)の大規模な回顧展です。先に観たギャラリー小柳の個展はあまり感じるものがなかったのですが、大作のポートレートを中心としたこの展覧会は想像以上に見応えがありました。MOTの広々した展示空間を上手く利用しています。見せ方にも長けているようです。



チラシの表紙を飾る「邪悪は凡庸である」(1984)からして、どこか心の奥底からふつふつとわきあがるような『力』を感じる作品です。一般的にデュマスの作品は不気味で、また半ば病んだ心持ちもイメージさせるようですが、もしかしたらそれは彼女の内面があまりにもストレートに表現されているため、見る側が奇妙に構えてしまう、もしくは怖じ気づいてしまうような面があるのかもしれません。燃えるようなオレンジ色の髪を振り乱す女性は、さながら睨むような目線で後方を見据えています。そこに、彼女の剥き出しになった、言わばおさえられずに滲み出す激しい感情を思うのはどうでしょうか。またその内面へと立ち入るには、もはやこの強い視線を遮るようにして絵と対峙する他なさそうです。流し目で過ぎ去ることを許してはくれません。



アラーキーの写真作品よりインスピレーションを感じて描いたという、「ブロークン・ホワイト」(2006)も非常に強い印象を与えます。荒木の作品に見た艶やかなエロスは消え、名もないような一人の女性の乱れた姿だけが描かれていました。血がこびり付いたように染まる赤を背景にした横顔は、もはや生気の失われた死人のように個を失っています。ちなみにデュマスにおける死のイメージは、月岡芳年のグロテスクな「奥州安達がはらひとつ家の図」にインスパイアされた「仮想1」(2002)に顕著です。首つりの少女からは、ダラリと吊り下がる肉体の重みだけがただ淡々と伝わってきます。全く包み隠されない死の恐怖だけが、まさに目を背けたくなるほど生々しく表現されているのです。



いくつかのポートレートに見る、色彩も溶けた、どこか微睡んだような朧げな面持ちは、実は内面の強烈な感情が掻き乱した人物の幻影に過ぎないのかもしれません。そしてそのベールを取り払った時に見えるのは、絵よりドロドロと流れ出す苦しみや悲しみでした。また、常に死と隣り合わせである生の脆さも感じます。無数のポートレートで埋め尽くされた「女」(1992-93)が、もう何十年も前に死を迎えた人物ばかりに見えるのが不思議でなりませんでした。

この毒々しさは好悪が分かれるかもしれません。7月1日までの開催です。(5/20)

*関連リンク
ギャラリー小柳(デュマス個展~6/16)
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エリアフ・インバルが都響の常任指揮者に就任

都響の常任指揮者にエリアフ・インバルが就任します。期間は、現常任のデプリースト退任後、2008年4月より3年間です。これは楽しみです。

東京都交響楽団の常任指揮者、エリアフ・インバルさんに(YOMIURI ONLINE)



元々インバルは都響と関係の深い指揮者でしたが、ベルティーニの音楽監督就任後に何故か登場機会が減り、昨年の11月、ようやく7年ぶりに指揮台へ立ったばかりのことでした。そして今年の12月には、定評のあるマーラーより「悲劇的」と「夜の歌」が予定されています。常任指揮者就任の「前祝い」ともなるコンサートとなりそうです。

私としては、デプリーストも都響より色彩豊かな音を引き出した功績の持ち主だと思うので、任期満了とは言え三年での退任はやや残念に感じますが、まずはまたインバルを身近な都響で楽しめることに期待したいと思います。詳細は都響のプレスリリースをご参照下さい。

東京都交響楽団の指揮者体制について東京都交響楽団 トピックス)

ちなみに現、首席客演指揮者の小泉和裕も、「レジデント・コンダクター」への就任がアナウンスされています。こちらは、ポスト・インバルを見通した人事なのかもしれません。

*エリアフ・インバル(1936.2.16 エルサレム~)
1974~1989 フランクフルト放送交響楽団 首席指揮者
1985~1988 フェニーチェ歌劇場 音楽監督
1995~2000 東京都交響楽団 特別客演指揮者
2001~ ベルリン交響楽団 首席指揮者
2007~ フェニーチェ歌劇場 音楽監督
2008~ 東京都交響楽団 首席指揮者(予定)
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アルディッティ弦楽四重奏団 「西村朗:弦楽四重奏曲全集」 コンポージアム2007

コンポージアム2007 西村朗 響きの曼荼羅

西村朗 弦楽四重奏曲全集
 弦楽四重奏のためのヘテロフォニー(1975-87)
 弦楽四重奏曲第2番「光の波」(1992)
 弦楽四重奏曲第3番「エイヴァアン(鳥)」(1997)
 弦楽四重奏曲第4番「ヌルシンハ(人獅子)」(2007、世界初演)

演奏 アルディッティ弦楽四重奏団

2007/5/21 19:00 東京オペラシティコンサートホール



いわゆる現代音楽の積極的な聴き手ではありませんが、アルディッティが登場するということで行ってきました。オペラシティの「コンポージアム」より、テーマ作曲家である西村朗の全ての弦楽四重奏曲を紹介するコンサートです。

休憩前の2曲は殆ど印象に残りませんでしたが、後半部分、つまり「第3番」と今回初演の「第4番」はなかなか面白く聴くことが出来ました。専門的な音楽知識もないのでいつも通りの感想になりますが、西村の弦楽四重奏曲で興味深いのは、4つの弦楽器を用いて、さながら弦とは思えない音のイメージを多様に膨らませるところです。例えば「第3番」の「エイヴィアン」では、そこに象徴される鳥の声をヴァイオリンやヴィオラより聴くことが出来ます。またそれは、曲に「ストーリー性」(パンフレットより。)を持つという「第4番」に顕著でした。登場する神々などの役割がそのまま各パートに任せ与えられ、それぞれが音を紡ぎながら一つの物語を作って行くのです。ここに、単なる音の面白さだけにとどまらない、エキゾチックな物語を音へと置き換えたような、「劇音楽的」妙味が生まれてきます。



新作の「第4番『ヌルシンハ』」の物語には、人と獣の間であるという人獅子が登場しました。全4楽章をそれぞれ「魔神」、「ヌルシンハ」、そして「魔神と息子」というように分け、そこに「魔神=第一ヴァイオリン」、「息子=チェロ」、そして「ヌルシンハ=ヴィオラ」というような音の役割を与えます。結果、聴くことが出来たのは、例えば魔神と息子の場面で第一ヴァイオリンとチェロが対峙するような、半ば劇のイメージを浮かべ易い音楽というわけです。初めの二曲であった純粋抽象的な音の羅列ではなく、さながら起承転結の有する「現代音楽」を楽しむことが出来ました。

アルディッティを聞くのは、何年か前にトッパンで楽しんだクセナキス以来のことかもしれません。その際は、初めて聴くこのカルテットの技巧の凄まじさに驚き、クセナキスの濃厚な響きを思う存分に味わったわけですが、今回もまた純度の高い西村の響きを十分に確かめることが出来ました。ヴァイオリンを弾くというよりも、格闘していると言っても良いアーヴィンは、もはや何かに取り憑かれたかのように楽器へ対峙しています。引き込まれました。

来年のコンポージアムには、私の好きなライヒが登場するそうです。生でライヒを聴ける滅多にない機会になりそうなので、今から楽しみにしたいと思います。

*関連リンク
2007年度 武満徹作曲賞 受賞者決定!(東京オペラシティ文化財団)
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「竹川宣彰展」 オオタファインアーツ

オオタファインアーツ港区六本木6-8-14 コンプレックス北館1階)
「竹川宣影展」
5/26-6/30

オオタファインアーツで開催中の「竹川宣影展」です。さながら特大サイズのお手玉とでも言うような「七宝毬」と、大きな蝉のオブジェが空間を飾り立てていました。



「七宝毬」の大きさは直径30センチほどでしょうか。それらがショーケースのような棚に整然と並んでいます。表面には刺繍のような紋様が配され、形も完全な「球」と言うより、まるでいくつもの花びらを象ったかのような姿をしていました。また図柄も桜や菊の花など、いわゆる「和テイスト」を思わせます。艶やかです。

その毬を守るようにしているのが、二匹の「蝉」のオブジェでした。一匹は壁にへばりつき、今にも鳴かんとするばかりの格好をしていますが、もう一匹は展示台の上にしっかりと静止しています。これと毬との関係は如何なるものなのでしょう。



もしかしたらそのヒントを示すのは、展示室正面に掲げられた一枚の絵、「蝉のふ化と私」にあるのかもしれません。人より分化する蝉の様子が、まるで図表のように描かれています。

この展示だけで作者の意図や魅力を感じるのは極めて困難ですが、これからも気に留めて見続けてたいとは思いました。

今月30日までの開催です。(6/2)
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「山種コレクション名品選 前期展示」 山種美術館

山種美術館千代田区三番町2 三番町KSビル1階)
「山種コレクション名品選 前期展示」
4/21-6/3



山種美術館御自慢の日本画コレクションから、選りすぐりの名品ばかりが揃いました。「山種美術館コレクション名品選」です。会期は前後期の二部に分かれていますが、一度の展示替えで全作品が入れ替わります。(出品リスト)事実上、異なる二つの展覧会と見て良いでしょう。



山種美術館と言えば御舟の優品をいくつも所蔵することで有名ですが、この名品展だけでも計10点の出品が予定されています。そのうち前期(計5点。)では、まず「名樹散椿」(1929)を挙げないわけには参りません。大きくせり上がる丘より伸びるのは、抽象の味わいすら感じさせるしなやかな椿の大木です。葉はざわつくように群れ、そこに紅白に色付く写実的な花がいくつも付いています。ちなみにこの椿は、京都のお寺にある樹齢400年を数えた古木なのだそうです。(ただしそれでいながら、この木にはまるで老いを感じません。)何やらルソーの絵画も連想してしまうような、細部の緻密さと全体の構図の大胆さを持ち合わせた名品です。





「牡丹花(黒牡丹)」(1934)に見る『品の良さ』も、御舟の魅力の一つではないでしょうか。まるで黒い綿が包みこんだような黒牡丹が一輪、瑞々しく咲き誇る様子が捉えられています。また牡丹と言えば、「写生画巻」の「牡丹」(1926)も必見の作品です。こちらは展示環境が良くなく、蛍光灯による自分の影が作品へ写り込んでしまうのが残念でしたが、確かなデッサン力に基づく牡丹をいくつも楽しむことが出来ました。控えめな薄いピンク色もまた美しいものです。

名品展と言うことで、さすがにこれまでにも拝見したことのある作品がいくつも出ていましたが、その中からは抱一の「秋草鶉図」(江戸後期)と松園の「新蛍」(1929)、それに松篁の「白孔雀」(1973)や土牛の「醍醐」(1972)などを挙げたいと思います。これらは以前にも拙ブログにて感想を書いた記憶があるので繰り返しませんが、どれもこの美術館で出会うことに喜びすら感じるような優れた作品です。抱一の草花のリズムに秋風を感じ、また松園の描く淑やかな女性に惚れ、(いわゆる近代日本画の美人画では松園が一番好きなのかもしれません。)さらには白い顔料がさながら宝石を砕いたように舞う「白孔雀」や、眩しいほど桜の煌めく「醍醐」に心から魅入りました。



京都で回顧展を楽しんだ平八郎も一点出ています。また、久々に豪華な図録まで用意されていました。入館料が値上がりしたのは残念でしたが、この企画に対する美術館の意気込みも伝わってきます。

前期展示は明日まで、後期は今月6日より7月16日までの開催です。もちろんそちらも見に行きたいと思います。(5/27)

*関連エントリ
山種美術館で楽しむ「秋草鶉図」
「山種コレクション名品選 後期展示」 山種美術館
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