(平成19年10月撮影)
かつて広電バスが飯山集落内を通っていた頃のバス停待合小屋跡で、ベンチは廿日市の銘酒であった家納喜が寄付していたものとみられるが現在は銘板が無くなっている。ベンチの上にはドンゴロスの袋が置かれその上に座布団が置かれているのは昔のままである。小屋内には中国新聞の共同新聞受けが設けられて、各自がそこに取りに行くようであり、新聞の有無で安否がわかる過疎地の工夫であろう。
(平成19年10月撮影)
かつて広電バスが飯山集落内を通っていた頃のバス停待合小屋跡で、ベンチは廿日市の銘酒であった家納喜が寄付していたものとみられるが現在は銘板が無くなっている。ベンチの上にはドンゴロスの袋が置かれその上に座布団が置かれているのは昔のままである。小屋内には中国新聞の共同新聞受けが設けられて、各自がそこに取りに行くようであり、新聞の有無で安否がわかる過疎地の工夫であろう。