天保13年(1842)に刊行された厳島図会の速田大明神の絵図をみると境内に鐘楼が描かれている。速谷神社の梵鐘は文明11年(1479)11月21日に厳島神主であった藤原教親が願主で鋳造され奉納されていたものであった。明治初年の神仏分離で西連寺の鐘楼に懸けられていたが昭和5年(1930)9月に速谷神社に還納されていた。昭和18年(1943)国家総動員法にもとづく金属回収令によりこの梵鐘は供出された。
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