「かちかち山」の狸が乗せられた泥船ならぬコンクリート船を見るために呉市安浦漁港に向かった。漁港の先端部にコンクリート船2艘を連ねて防波堤とされており、手摺が設けられて一部の船内なども見物できるようになっていた。
このコンクリート船は呉海軍軍需部に所属していた重油船(700屯積)5隻の内の2隻で、昭和18年(1943)12月には雑役船に編入されている。舞鶴海軍工廠において武智造船所にて委託製造されたようであり、当初は公称番号で呼ばれていたようであるが現在は製造所名を採って武智丸と呼ばれている。
「かちかち山」の狸が乗せられた泥船ならぬコンクリート船を見るために呉市安浦漁港に向かった。漁港の先端部にコンクリート船2艘を連ねて防波堤とされており、手摺が設けられて一部の船内なども見物できるようになっていた。
このコンクリート船は呉海軍軍需部に所属していた重油船(700屯積)5隻の内の2隻で、昭和18年(1943)12月には雑役船に編入されている。舞鶴海軍工廠において武智造船所にて委託製造されたようであり、当初は公称番号で呼ばれていたようであるが現在は製造所名を採って武智丸と呼ばれている。