極楽寺に参詣しても屋根上の露盤に銘文があることに気が付く人はほとんどいないであろう。路盤の銘文によると慶長4年(1599)霜月に宍戸備前守元次を檀那として新造されたようである。路盤上の宝珠には宝永元年(1704)卯月冶工山田氏貞能と銘文があるが下から見ることはできない。宝珠冶工の山田氏貞能は廿日市鋳物師であり、露盤には鋳工名がみられないが廿日市鋳物師の鋳造作品とみても間違いなかろう。
極楽寺に参詣しても屋根上の露盤に銘文があることに気が付く人はほとんどいないであろう。路盤の銘文によると慶長4年(1599)霜月に宍戸備前守元次を檀那として新造されたようである。路盤上の宝珠には宝永元年(1704)卯月冶工山田氏貞能と銘文があるが下から見ることはできない。宝珠冶工の山田氏貞能は廿日市鋳物師であり、露盤には鋳工名がみられないが廿日市鋳物師の鋳造作品とみても間違いなかろう。