何度か紹介している上平良大原地区に祀られている都地蔵で、宝暦4年(1754)正月に地域の人達とみられる5名が願主で建立されている。由緒は不明であるが近くを流れる都井手の守り地蔵であると先人から聞いたことがある。大正期の地誌には「按ズルニ往古阿岐国庁ノアリシ地ノ遺物ナランカト思ハル」と首を傾げるような記述もある。
この地蔵さんがある用地は一般県道廿日市環状線の用地内となっており先行きはどのようになるのであろうか。
何度か紹介している上平良大原地区に祀られている都地蔵で、宝暦4年(1754)正月に地域の人達とみられる5名が願主で建立されている。由緒は不明であるが近くを流れる都井手の守り地蔵であると先人から聞いたことがある。大正期の地誌には「按ズルニ往古阿岐国庁ノアリシ地ノ遺物ナランカト思ハル」と首を傾げるような記述もある。
この地蔵さんがある用地は一般県道廿日市環状線の用地内となっており先行きはどのようになるのであろうか。