上平良大原地区の田んぼには長野川から引水しているが、水量が少ないために古い時代から川末川から分水バイパスの井手が設けられていた。(井手名不明)中世の大原地区は厳島社領の大原御衣領(御縕繒領)であり、原地区の森宗名は桜尾城主の桂元澄領でどの井手かは不明であるが永禄頃に用水懸りで紛争が起こっている。このような紛争を解消するためだろうか分水井手が設けられていたのである。
上平良大原地区の田んぼには長野川から引水しているが、水量が少ないために古い時代から川末川から分水バイパスの井手が設けられていた。(井手名不明)中世の大原地区は厳島社領の大原御衣領(御縕繒領)であり、原地区の森宗名は桜尾城主の桂元澄領でどの井手かは不明であるが永禄頃に用水懸りで紛争が起こっている。このような紛争を解消するためだろうか分水井手が設けられていたのである。