串戸沖に江戸期の嘉永年間に築調された新開で串戸沖新開とも呼ばれていたようである。潮廻しは樋門によって満潮時の海水をせき止め、低地の排水を一時的に貯水して干潮時に排水するように設けられたものである。
中画像の潮廻しの端に昨日紹介した住吉神社跡があり、嘉永新開沖は埋め立てられて廿日市市浄化センター・パークゴルフ場の用地となっている。下画像は明治33年(1900)発行の地図で先日紹介した串戸港は奥まった小さな港であったようである。
串戸沖に江戸期の嘉永年間に築調された新開で串戸沖新開とも呼ばれていたようである。潮廻しは樋門によって満潮時の海水をせき止め、低地の排水を一時的に貯水して干潮時に排水するように設けられたものである。
中画像の潮廻しの端に昨日紹介した住吉神社跡があり、嘉永新開沖は埋め立てられて廿日市市浄化センター・パークゴルフ場の用地となっている。下画像は明治33年(1900)発行の地図で先日紹介した串戸港は奥まった小さな港であったようである。